ローザンヌで優勝!とドイツ人学者の見る日本原発事情

若手バレエダンサーの登竜門とされるスイスの「ローザンヌ国際バレエコンクール」で4日、日本の高校2年生の菅井円加(まどか)さんが優勝。
40回目となる今年のコンクールには、事前審査を通過した世界19か国の79人が参加。日本人は最多の19人を占めた。
4日の決勝には21人(うち日本人5人)が進出。菅井さんは技術を要するクラシック、表現力を求められるコンテンポラリーの両部門で高く評価された。コンテンポラリー部門の特別賞も受賞した。(日経朝刊)
熊川哲也さんも1989年の金賞受賞者。国際的な活躍が期待されます。
踊る姿はスッカリ大人のダンサーですが、素顔はまだまだ愛らしい高校生でした。

今朝はeireneさんのブログで大事な記事を見つけました。(2月6日の「eirine's memories」:http://d.hatena.ne.jp/eirene/
電気代の原価計算でテレビ番組でもお馴染みの立命館大学の大島堅一教授が、ドイツ内外で環境史研究の第一人者として知られているドイツ人教授をインタビューした内容が文字起こしされています。全文は下記に:

■[原発]ヨアヒム・ラートカウ教授 インタビュー 来日中のラートカウ教授のインタビュー。文字化された方がいらっしゃる。重要な内容だと思う。

2月2日 ヨアヒム・ラートカウ氏×大島堅一教授、通訳:朴勝俊教授

http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3269808.html

大島先生の「なぜ福島のような事故が日本に起きたのか?」という質問には:

 一つは、本当に優秀な科学者は日本では原子力分野に進まず、もっと違った分野に進んでいたんじゃないか。
日本はアメリカから出来上がった原子力発電所を輸入した、それも沸騰水型原子力発電所というのは、すでに様々な問題を抱えているということがわかっていて、当時の最先端の技術とは言えなかった。本当に最高の技術者、科学者という人たちがたくさん原子力に関わっていれば、こういうものを輸入するということは、なかったのではないか
 二つ目は、地震の問題です。原発には、地震の有る・無しに関わらず、内在的な危険性の問題というのがあり、特に地震というのは避けることができない問題です。この点、アメリカは特に地震の問題を重要視していました。特に、当初、アメリカの初期の反原発運動で一番成功した運動の一つが、フディガペというところの北サンフランシスコの原発が計画された時で、地震の危険性があるということを理由に規制当局も電力会社に「ここに立地をさせない」ということを決めました。これには、北サンフランシスコには、1906年に大きな地震があり、その記憶があったのでここに建設するということは避けたということです。そして、それ以降もアメリカの原子力規制当局は、地震が起こりうる地域に原子力発電所を建設するということは認めてきていません。これが二つ目。
 そして三つ目は、日本の環境保護運動の問題です。日本には運動が無いということは決して言えません。というのは、水俣の問題にしても、その他の公害問題にしても、大きな反対運動、或いは被害者の運動が様々な変化をもたらしてきた。これは、ドイツに対しても高度成長時代、工業主義の時代から転換して、公害対策を進めるという、その成功例として日本は伝えられています。ですから、日本の反公害運動が弱いということは、一般的に言えないが、しかし反核運動というのはかなり抑え込まれたということが言えるんじゃないでしょうか。

大島先生の質問は続きますが長くなりますので省略。最後の質問は、「日本が日本の市民がこれから取り組んでいくべき課題というか、もちろん先生非常に謙虚な方ですので、「外国人の私が言えない」という、私もそういうふうに答えそうです<笑>」にヨアヒム氏は答えます:

何度も言いましたけれども、外国人として日本がどうすべきというのはなかなか言いにくいんですけれども、外から観察者として言えることは、二つくらいあると思います。
 一つは、日本の伝統って大事ですけど、日本の伝統というのは、常に最高の技術を持っているということではないかと思います。世界の電気・電子革命というのをリードしてきたのは日本なんですね。この日本というのは、エネルギーが実は少ない国である、石油のある国からは遠いし、国内にもほとんど石炭が無い。


 そういう中で過去、日本は、「自分たちの成功の道は、エネルギーをたくさん使う産業ではなく、知識をたくさん使う産業、省エネ型の産業だ」というふうな形で、実際に日本の産業は成功してきたと思うんですね。 これと同じことで、将来もより知識集約的で省エネ型で、そして再生可能エネルギーを発展・普及させる産業、ここに懸けていくことが大事ではないかなというふうに思います。


 その中でソーラーの技術、そして電子工学の技術、これは世界最高のものを日本が持ってるわけですが、これをうまく活用することによって、より分散型のエネルギーというものをもっと活用していく道をとっていくことができると考えます。 これまでは、エネルギーというものは巨大な集中型の発電所で供給をするということでやってきたんですけれども、分散型というのは技術の問題ですから、それは今すぐでも可能だと思います。 


これに関して言いたいことは、日本の問題は、『エネルギーが不足していること』ではないと思います。むしろ、『発想が不足している』のではないかと思うことがあります。

<略>

ただ技術の問題だけではなくて、代替案の実現を可能にするような新しい政治のスタイルというものを作っていく必要があると思います。これまでの原子力、例えばエリートたち、大企業がトップダウンで持ってきたらできるというものでなくて、代替エネルギー再生可能エネルギーというか、これからのエネルギーは様々な技術を組み合わせていくことが必要です。それも地方がそれぞれ自分たちに合ったエネルギーを選んでいく。そこではトップダウンの方法は通用しませんから、円卓会議といいますか、話し合ってボトムアップで問題を解決していく。


 最後になりますけれども、『日本はなかなか変わらない、保守的な国だ』と思われているかもしれませんが、歴史家から見ては、決してそういうことはありません。日本でも過去の大きな変化を成し遂げたことが何度も何度もあるんですね。たまたまこ原子力の問題で日本の人たちは、なぜか保守的になっているように見えますけれども、そんなことはありません。大きな変化というのは、日本は必ず成し遂げることができると思います。 その点でドイツと日本というのは、お互いに協力し合えることがきっとあると思いますので、これからも協力関係を、連絡を続けていきたいというふうに思います。

脱原発の点でドイツは先進国と考えがちですが、実は・・・というお話もあって、貴重な見解だと思います。
日本の原子力推進が国策で進められ、反原発の運動を早い段階から司法である裁判所も含めた形で押さえにかかった歴史、導入部分でのアメリカの意図や意志など、やはり日本の戦後史と独立の問題、安全保障と安保条約とか、大きな問題をキチンと勉強?しないと日本の脱原発運動の現状は理解出来ないと改めて思いました。
ヨアヒム氏によりますと、「フランスの脱原発運動が反原発が確かにあった。しかし、フランスの反原発運動は、やがてやる気を無くしていく。というのは、フランスの原子力政策は非常に中央集権的で、しかも抗議活動に対してフランスの警察の方が激しい弾圧をおこなった。ドイツの警察もかなり激しい弾圧をおこなったんだが、それ以上にフランスの方が酷かった。その結果、フランスではやがて反原発運動が下火に」なっていったんだそうです。抑え込まれた結果がフランスの今だというのもナルホドです。
脱原発運動がフランスのようにはならないで、ドイツのようになるには・・・
日本の現状を変えるのは日本人にしかできないということですが・・・頑張らなくっちゃ・・・です。