椿咲いて…ドレミの謎

7日、ポルトガルのファロで行われた女子サッカーのアルガルべ杯決勝戦なでしこジャパン、ドイツに勝てずでした。
前半、あっけなく2点取られ、やっと川澄の素晴らしいシュートで1点返して、折り返し。前半と違って、日本らしさの現れた攻防で田中の同点ゴール。終了間際、ゴール真正面からのPKを決められて2−3。その後それまで大活躍の長里が執念のゴールでまた同点。見ている私もPK戦に持ち込めるかと思ったところ、ロスタイムでドイツ側に決勝点。いくらなんでも追いつく時間が・・・という死闘で負けました。追いつけ、追い越せ、追い越されとゲーム自体はハラハラドキドキのいい試合でした。
今年の目標はロンドン5輪での優勝ですから、体調不良の澤さんが復帰して万全で挑んでほしいと思っています。

一昨日は季節が一月先の陽気でした。翌日の昨日はそうでもなかったのですが、ヨガの帰り、芦原池を通ると、暖かさに誘われたかのように太公望がズラリでした。
住宅街の庭木の椿を写真に撮ってみました。
「暑さ寒さも彼岸まで」、そして関西では奈良のお水取りが済むまでは寒の戻りがあります。
それでも、日ごと、暖かさが増すようで、春は確実に進んでいます。
桜のつぼみがふっくらしだしているのも目にします。


先日(6日)の日経夕刊のコラムに面白い記事を見つけました。
冲方丁(うぶかたとう)という作家の方の「ドレミファソラシドの謎」という題です。世の中、つくづく色んな人がいるもんだなぁ〜と思いました。
ドレミファソラシドが気になって音楽が苦手になったというのです。
「ド」はなぜ「ド」なのか? 先生に尋ねても答えてもらえず、「音楽の授業は不条理そのものだった」のだとか。
「ド」は「ド」で済ませてきた者としては、驚きです。そんなことをずっ〜と考え続けた人がいるんですね!
そして、拘った人はこだわったなりの喜びが与えれるということです。
「とある仕事で、ヨーロッパの宗教革命について調べることになり、今のキリスト教の根幹にまつわる多くのエピソードを知った。そしてその一つが、まさしく「ドレミファソラシド」の起源を説明するものであったのである」。その起源とは:

 ドレミファソラシドの「シ」は、「Sancte Iohannes(聖ヨハネ)」の頭文字SIからきている。
 その音階は、聖ヨハネを称える聖歌「ウト・クエアント・ラクシス」からきていたのである。



 ド(Ut queant laxis)、レ(resonare fibris)、ミ(Mira gesutorum)、ファ(famuri tuorum)、ソ(Solve polluti)、ラ(labii reatum)、シ(Sancte Iohannes)。
 歌詞の意味は、「あなたのしもべたちが、弦をかきなでて、あなたの素晴らしいみわざを、和やかな気持ちで称えられるように、どうか彼らの汚れた唇の罪を清めて下さい、聖ヨハネよ」(『グレゴリア聖歌』より)であるとのこと。



 これら一連の歌詞の最初の音が、順番に高くなってゆくことから、音階名として採用したのだという。
 なぜ「Ut」が「ド」になったかは諸説ある。私は「主(神)」を意味するラテン語、「ドミネ」の「ド」からきている、という説に納得している。


 この音名を採用したのは、十一世紀のイタリアの修道士グィード・ダレッツィオであるという。
 ダレッツィオは、記譜法の発明者であった。音符を用いた旋律の記述法を工夫し、音楽を学習する上で基礎となる音階を確立したのである。

 その方法論がやがて各国で採用され、なんと、千年間も生き続けた。そして子どもの頃に私を悩ませた、あの音楽の授業の基礎として、この国でも採用されたのであった。

すごいですね〜。子どもの頃の疑問が大人になってふとしたことからその疑問が解けた! 
「長年、『なぜ』と抱き続けた疑問に、明白な答えが与えられた瞬間というのは、なんともいえず素晴らしいものだ」そうです。
「さすがに音楽の先生が知らなかったとは思えない。子どもの私には難しいと判断し、あえて黙っていたのだろう。教えてくれれば音楽の成績も少しはましになったのに。そう思うが、おかげで、疑問を抱き、自ら解答を見出す楽しさを得たのだから、よしとしている。」
今は疑問があれば検索してすぐ解けた気になれる時代ですが、こうやって、時間をかけて謎解きする自分だけの楽しみは貴重ですね。

冲方 丁(うぶかた とう、1977年2月14日 - ):日本のライトノベル作家、SF作家、コンピュータゲーム制作者、漫画原作者、アニメ制作者。

1977年、岐阜県各務原市生まれ。4歳から9歳までシンガポール、10歳から14歳までネパールで過ごす。その後、埼玉県立川越高等学校に入学。早稲田大学第一文学部中退。小説のみならずメディアを限定せず幅広く活動を展開する。日本SF作家クラブ会員。『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞、『天地明察』で吉川英治文学新人賞本屋大賞、北東文芸賞を受賞し、第143回直木賞にノミネートされた。

家族は妻と息子。自宅は福島県福島市にあるが、2011年3月11日に発生した東日本大震災により母と妹夫婦の住む北海道池田町に避難し、そのまま十勝地方に移住する意向である。(Wikipediaより)