旧家のおくどさん

土曜日の雨風もひどかったですが、昨日の爆弾低気圧は大変でした。南から北まで、死者まで出るような大変な嵐でした。
一夜明けて、大阪はウソのようなお天気になりました。4月初めてのヨガは新しくなった駅前サンプラ2階の和室でありました。

近江八幡市立資料館の洋館の裏には歴史民俗資料館(旧西村邸)があり、近江八幡市の商人の暮らしぶりがうかがえます。
お座敷の内壁は赤いべんがら(弁柄)色です。べんがら色、あるいは、べんがら格子という言葉で覚えている色の名前です。
調べて見ましたら、インドのガンジス川下流地帯のベンガル地方から来ていて、日本で訛って「べんがら」となって、当て字で「弁柄」とか「紅殻」を当てるそうです。天然の酸化第二鉄顔料のことで、簡単に言えば赤土の色ということです。加賀市の田舎にある母の実家が何年か前に改装したときこの弁柄色の壁にしていました。赤でも落ち着いた色合いです。
ところで、展示物の中には昔から使われていた生活雑貨もたくさんありました。母の田舎に夏ごとにお世話になっていた頃、囲炉裏の傍で一人づつ足の着いたお膳を使っていました。そのお膳が展示してあって懐かしい感じで見ました。
竈(かまど)があって、お釜が置いてあり、その上の分厚い蓋の取っ手がそれぞれ違って面白い。西川家の3階吹き抜けの広い土間で父が受付の方に、「この”おくどさん”は飾りですか?」と尋ねていました。「はい。このおくどさんはかまどの大事なお守りです」とのこと。
受付の方が座っておられた隣に大きなかまどが据えられています。両端にお釜、真ん中に蒸篭(せいろ)がのせてある竈は真っ黒に塗ってありますが、その向かいに据えられているお守りのおくどさんは漆喰塗りの真っ白な土台に大きな釜がのせてあります。
父が「おくどさん」という言葉を発したことがビックリでした。聞いたことはあっても使ったことのない言葉でした。火と水と米のお守りということでしょうか。戦後のしばらくまで、たいていの日本人はお釜でご飯を炊いていたのでした。田舎では竈で炊いていたところも多かったでしょう。今どきのぜいたくな電気がまは竈で炊くお釜のごはんを徹底研究して再現しているそうですから、いっそのこと竈を復元した方が美味しいご飯がいただけるかも…です。
昨日は夜中にフィギュアの世界選手権のメダリストたちがフランスから帰って揃ってフジテレビに出演していました。
浅田真央さんが居なくて一寸可哀想な気がしすが、こんなこともある…で再起を期待しています。
高橋君は怪我を克服してやっと普通に4回転が飛べるようになりました。再びの頂点への挑戦、やってくれるでしょう。
仙台で1年前被災した17歳の羽生くんは本当によく頑張りました。コメントの変遷が成長ぶりを物語っています。