「佐伯祐三展」と「ル・アーブルの靴みがき」

日曜日、山帰りの夫から「明日は佐伯祐三と映画」という予約の電話が入りました。
天気予報では夕方から雨、雨が降らないうちに帰れるといいな〜と思いながら11時心斎橋の出光ビル着で箕面をでました。少し早めに到着、エレベーターが動かないので、トーキューハンズ のビルの地下に本屋さんがあったのでそこで時間つぶし。
佐藤栄佐久福島県知事の対談本「地方の論理」を買いました。11時、ビルの13階(旧出光美術館)にある大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室の「佐伯祐三とパリ ポスターのある街角」展に。
佐伯祐三(1898-1928)は大阪ゆかりの画家。北野(中学)出身、東京美術学校で学んだあとパリに渡り、2度目の渡仏時、結核のため30歳でフランスで亡くなっています。

佐伯祐三の没後、いち早くその芸術に真価を見いだした大阪の実業家、山本発次郎の収集品が、日本最大かつ最高水準と言われる大阪市立近代美術館の佐伯祐三コレクションの基盤を築いています。本展は、その中から佐伯祐三がフランス滞在中に描いた油彩画をまとめて展示し、合わせてパリで交流のあった日本人画家の絵や、1920年代前後のパリの街かどを飾った実際のポスター作品(サントリーポスターコレクション)も出品して、佐伯祐三が魅せられた芸術の都パリの街角の息吹を伝えます。」(チラシより)

伯祐三の絵といえば、パリの広告の字をそのまま描いた建物の絵がお馴染みですが、他にも最晩年の郵便配達夫の絵、やレストランの絵など、どれも油絵の筆致とフォルムと色と線が独特の佐伯祐三の世界です。1回目のフランスでブラマンクに「アカデミック」と言われてショックを受け、顔を削った自画像も展示されていました。それから、苦労の末独自の絵画世界を切り拓いていったということです。奥さんや子供さんとの家族写真や、留学生たちとの交流の写真も展示されていました。(チケットの絵は「人形」→)
パリ滞在わずか3年少しで今も瑞々しく1920年代のパリの街を絵の世界に留めた佐伯祐三。 今回は陰鬱な白や茶色の中に、ルオーに共通する艶やかな黒と原色の少量の赤や青がとても美しいのに気付きました。ポスターにも使われている「レストラン」の絵の白い椅子やテーブルの脚、壁に書かれた字などの軽やかな踊る筆跡を見ていると人間は一人しか描かれていないのですが、何となくパリの静かなざわめきが聞こえそうでした。
12時に外に出て、12時50分の映画に間に合わそうとタクシーで。運転手さんが今日二人目のお客さんだと話しかけてきます。出身が奄美大島の喜界島で、奥さんは福井の武生だとか。話しているうちに聖書の言葉の引用がたくさん出てきて熱心なクリスチャンだとわかりました。話は薬に頼らず自然治癒力を活かすようにと聖書には書いてあるという話です。先日、「クローズアップ現代」で鬱を治すために薬漬けという話をやっていましたが、へぇ〜”免疫力を高めて”とか漢方のようなことが聖書にも書いてあるのかと思って聞いていました。
梅田ガーデンシネマのあるスカイビルでタクシーを降りて、地下のレトロ街の滝見小路でラーメンを食べて4階の映画館へ。お目当ての「ル・アーブルの靴みがき」は満席で立ち見券のみ。「時は金なり」でタクシー走らせ間に合わせたんだし「立ち見でも座れるでしょ」(?)と入ることに。座席の脇の通路に座っている先客の空いたところに紙を敷いて座り込みました。画面下の字幕も頭の隙間から何とか見ることが出来ました。小学生の頃、高田浩吉の時代劇など3本立てを石橋の映画館で立ち見で見て以来の映画の立ち(体育座り)見でした。
映画は予備知識なしで見ましたが、フランス映画でした。悪人が一人も出ない見終わって何とも幸せな気分になれる映画です。
チラシから内容を:「北フランスの港町ル・アーブル。パリでボヘミアン生活を送っていたマルセル・マルクスは、いまはル・アーブルの駅前で靴をみがくことを生業としている。家には献身的な妻・アルレッティと愛犬ライカが彼の帰りを待っている。ある日、港にアフリカからの不法移民が乗ったコンテナが漂着する。警察の検挙をすり抜けた一人の少年イドリッサとの偶然の出会いが、マルセルの人生にさざ波をおこす。しかし同じ頃、妻のアルレッティは医師より、余命宣告を受けるのだった…」、監督はアキ・カウリスマキ。「庶民の人情と善意が奇跡をたぐり寄せる至福のハッピー・エンディング」
セリフは少なく、淡々と、でもハラハラドキドキの脱出劇なんですが、ほのぼのとしていい感じ。
息子が冗談で「欧州の小津安二郎」と言いましたが、なるほど…とも思えます。
予定より2時間早く雨が降る前に帰宅できました。

箕面の駅前、正面、緑のモミジの植わっている場所にあったポリボックスを東(右)にずらして滝道の見通しがよくなりました。ちょうどオレンジバスが駅前到着。透明の屋根が人波を商店街にリードするために取り付けられましたが、その効果は・・・。
帰宅後一休みして夕食の支度。思えば一日にこんなに沢山のことが出来るようになったのも筋肉を鍛えた?おかげです。胃が3分の1の私には無理と負のスパイラルに落ち込んでいましたが、3年前、私のせいで遅らせていた海外旅行へ行かねばとプールへ行くようになって転換できたようです。諦めてはいけないと実感しました。