5月に入って色んな花が咲いています。まずご近所のYさんの生け垣のナニワノイバラの白い花。
小沢裁判に無罪判決が出てから、しばらく経ちました。
無罪とはいえ、判決文を読めば限りなくクロに近い、責任は免れないという方も多いとか。私は、小沢一郎嫌い、個人的に、あるいは、政治「手法」が嫌いという人(政治評論家もコメンテーターと言われる人も)は、ほとんど検察側が調書をねつ造(罪に陥れるためにでっち上げの調書を作る)したり、強制起訴をさせるために素人の委員にデッチアゲの報告書を提出したことについては一切触れようとしないことがとても不思議です。私たち市民にとっては、ブタ箱に放り込んで一切の市民としての権利を奪う権力を持っている検察がこんなことをしてまで裁判で勝ちたい(有罪にしたい)と思ってやったことの方が重大な問題だったのでは、と思うのですが。
我が家でも小沢問題となると夫婦間が険悪になります。夫は小沢一郎の金の問題しか言わないし、私は検察の問題しか言わないと夫に責められます。それで小沢問題はタブーです。判決が出たときも「無罪だって」という私の声で、「へぇ〜」とテレビを見に部屋から出てきましたが、その後も、この件、一切、お互い触れずです。
今回、小泉政権当時、外務省のラスプーチンと言われた佐藤優氏の助言で石川智弘氏がカバンに録音機を忍ばせて録音していなかったなら、無罪判決も無かったと佐藤氏が判決の後発言されています。石川氏は助言を受けても「そんな卑怯なことは・・・」とためらったそうですが、経験者で服役を済ませた佐藤氏は相手がルール破りをしているのだから卑怯ではないと説得されたようです。その結果、言ってもいないことが石川氏が言ったこととして供述書に書かれていることが分りました。
新聞の論調では相変わらずの小沢バッシングだそうですが、検察の問題がスルーされていることが何としてもオカシイと思っていたら、沖縄の琉球新聞の社説がシッカリ取り上げていました。わたし自身は小沢一郎という政治家の金の問題に関心は無く、それよりも、3年前民主党の代表として官僚から政治主導・コンクリートから人へ・日米対等というマニフェストを掲げて政権交代にいよいよという時期に「仕掛けられたデッチアゲ事件」という捉え方の方に関心がありました。
これからも、長年の自民党政権下既得権益を手放したくない勢力や官僚の抵抗と闘って、アメリカとベッタリではなくアジアの近隣諸国からも孤立しない自立した日本の実現に力を注いでくれる政治家は誰なのか、そして脱原発に舵を切ってくれる政治家は誰なのか・・・見極めて行きたいと思っています。
小沢判決/検察の「闇」が裁かれた 全面可視化しか道はない 2012年4月27日
裁かれたのは検察の深い闇だ。そう受け止めざるを得ない。政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎民主党元代表への判決で、東京地裁は無罪を言い渡し、検察の手法を厳しく批判した。
供述を検察が「ねつ造」したことが明らかになったからだ。大阪地検の証拠改ざんもあった。断罪されたのは検察の体質そのものと言える。もはや検察の調書は信頼できない。取り調べを全面可視化するほか信頼回復の道はない、と法務当局は認識すべきだ。
今回、「ねつ造」された供述はそのまま検察審査会に送られ、強制起訴の根拠になった。検察審査会の在り方も議論すべきだろう。
証拠改ざんに通底
この裁判の最も重要な瞬間は、小沢氏の弁論などではなく、むしろ田代政弘検事の証人尋問だった。昨年12月の公判で田代検事は、事実と異なる捜査報告書の作成を認めたのだ。2010年5月、田代氏は元小沢氏秘書の石川知裕衆院議員を再聴取した。その報告書には「あなたは国会議員。やくざの手下が親分を守るようなうそをついてはいけない」と検事に言われたのが効いた、と石川氏が述べ、小沢氏の関与を認めたかのように記した。
だが石川氏はかばんに録音機をしのばせ、隠し録音していた。このため、そのような応答は全くなかったことが証明できた。
田代氏は「過去の供述と記憶が混同した」と弁解したが、あまりに不自然だ。録音されていない「供述」はほかにも数多くある。裁判所が弁解を「にわかに信用できない」と退けたのも当然だ。
取調室は密室である。隠し録音をしていなければ報告書が虚偽だとは証明できなかっただろう。ほかの調書類でも同様の「ねつ造」がないと信用できるだろうか。
検察のストーリーに合わせて事実をねじ曲げた点は、大阪地検の証拠改ざんとも通底する。もはや検察の体質と化していた、と疑わざるを得ない。
検察は取り調べの一部可視化を始めているが、全面可視化は拒んでいる。だが一部可視化は可視化しないのと同じだ。検察に都合のいい部分だけを公開し、ほかは隠しておける仕組みでは、可視化の意味がない。法務当局は、国民の信頼を取り戻したいなら、全面可視化を断行すべきだ。
市民団体は田代検事を虚偽有印公文書作成・同行使罪で告発したが、検察は起訴を見送る方向という。大阪地検の証拠改ざんは最高検が捜査したが、今回は東京地検が担当だ。東京地検の犯罪を東京地検が捜査して、公正と言えるはずがない。最高検か他の地検、警察が捜査すべきではないか。
資料開示も必要
検察審査会(検審)の仕組みもあらためて問われる。今回は検察が起訴を見送った事案だが、市民の告発を受けて検審が2回議決し、強制起訴となった。
だが検審の仕組みもあまりに不透明だ。政治的に対立する人が恣意(しい)的に告発することは、いくらでもできる。審査が何回開かれたか、委員がどんなメンバーかも分からない。
検審に開示する資料を検察が恣意的に選ぶことも可能だ。今回の審議も、くだんの捜査報告書を基にしていた。全面可視化と同時に全ての捜査資料を全面開示する仕組みでなければ、公正な審議はできないのではないか。これは裁判員裁判にも言えることだ。
強制起訴が可能になったのは裁判員制度と同じ09年の司法改革からだ。それ以前、検審が起訴議決をしても、警察官や検察官が身内の犯罪をかばうかのような不自然な不起訴が続き、市民の不信感が高まったことが背景にある。
だから強制起訴の仕組みの必要性にはうなずける点もある。だが政治家は起訴だけで議員辞職を迫られてしまう。特定の政治家を恣意的に排除できるかのような仕組みは改善の余地がある。国民的議論で改善策を導き出すべきだ。
昨日5月の1日に我が家の庭に咲いていた花々です。
左上・スズランと、右の白い花の名前は不明。
囲みの中の一番上は、高知のSさんに何年か前に戴いたイチハツ。その下、白い丸い花をつけているのはスノーボール。
植木屋さんの刈り込みで今年は花数が少ないミニリラ(ミニライラック)、そして咲き始めのグリーンから真っ白になったオオデマリ。
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