聖フランチェスコのアッシジを訪ねて(3)

2日目、6月18日(月)、今日はフィレンツェからアッシジ(Assisi)に移動します。

7時にホテルの朝食を摂ってから、時間があるので皆で散歩に行くことに。昨日、日曜日でバスの便が特に悪く、サンジミニャーノでゆっくりできなかったFさんたちは、滞在時間2時間ほどで何もできなくて白ワイン一本買って来ただけ、あとは2時のバスで早々とフィレンツェへ戻ってホテルに早く着いていたそうです。それで、朝の散歩はお二人にとって二度目の貴重なフィレンツェ体験。ホテルからアルノ川に向かい、大きな橋の袂の広場のような交差点を渡りました。

昨日のウッフィツィ側とは反対側から見たポンテ・ヴェッキオ。お店が未だ開いていない橋の上で男性モデルを撮影している人たちが。

橋を渡って対岸を、川沿いの道はかんかん照りなので一筋中に入った細い道を通り、橋二つ分戻って元の広場に。途中で果物屋があったので、前回の旅でとても美味しかったスモモを買うことに。5個4ユーロでした。

ホテル・ユニコーンは駅に近くて川にも近く便利。それにとても古くて小さくて南仏のアヴィニヨンで泊まったホテルに似ていました。レセプションの背後の額に折りヅルが貼り付けてあったり、階段を一階分上がったところにあるエレベーターホールの壁面には日本画風の波が描かれていたり、奇妙で風変わりな内装でした。
荷物を転がしながらサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の前を通って中央駅(サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)へ。結局、フィレンツェ歴史地区の何十分の1しか見ることが出来なかった1日滞在でしたが、満足でした。


フィレンツェ10:47発の電車でTerontola12:05まで。
ここで乗り換え、その間に昼食のパニーノ(サンドィッチ)と飲み物を買い込む。
Terontola12:31発でアッシジ到着13:43.


さて、アッシジは聖フランチェスコ(1181or82〜1226)の街。
ジョットの「小鳥に説法」の絵でも知られていますが、私がアッシジのフランチェスコのことを教科書以外に知ったのは衛星放送で見た映画、フランコ・ゼフレッリの「ブラザー・サン・シスター・ムーン」でした。
裕福な織物商の放蕩息子が戦争から帰って深く考え込むようになり、
小鳥を追って屋根を歩いたり、父親の商品である豪華な織物をまき散らしたりの奇行が続きます。
ある日、身につけていたものを全部脱ぎ捨てて新しい生き方を始める。
村はずれの廃墟の教会の再建に取り組み、やがて、人々が彼の周りに集まって、新たな宗教集団ができる。
ところが、せっかく完成した教会は焼き打ちにあって、フランチェスコローマ教皇に会うために旅に出ます。
訴えを聞いたアレック・ギネス演じる金色の法衣をまとったローマ教皇は、
粗末な身なりのフランチェスコの前に額づき裸足の足に接吻する。聖人フランチェスコの誕生です。


宗教臭くない描き方をした聖人映画なのですが、なんとなくお釈迦さんと似たような生き方。また、小鳥に説法では、良寛さんみたいとか、カトリックという西洋の聖人なのに勝手に仏教的〜、日本的〜なんて解釈をしてきました。その聖フランチェスコの生れた街がアッシジです。

駅前でタクシーに乗って山へ向かいます。
正面に見えてくる山の上がアッシジ
2時頃、ホテルALEXANDER前に到着。荷物を降ろし、小さな階段を荷物を持って上がりました。そこのフロアの2室が私たちの部屋でした。窓からは向かいの小さな教会が見えます。受付の女性はそっけない態度ですが、こぎれいな宿で大満足。荷物を開けて、2時半観光に出発です。
坂道を少し上がるとコムーネ広場に出ます。大きな建物の前にふっくらした馬の像があって、何かいわれがあるんでしょうが不勉強でわかりません。分かれ道があって道標を見ながら歩いて行きますと中世の街並みがどこを見ても絵になります。しばらく歩くと急に見晴らしがきいて、その先に白い堂々とした大聖堂が。これは見事です。


大聖堂へ向かう途中お坊さんに写真をお願いすると快くお二人で立ち止まってモデルになってくださいました。強い日差しの逆光でお顔が見えないのが残念。
旧市街と呼ばれるこの高台は海抜が424mもあり、ウンブリアの谷を見下ろすと、田園風景が広がっています。アッシジは1997年に大きな地震があり、フレスコ画が剥落するなど深刻な被害を受けたが、修復作業も進み、2000年には「サン・フランチェスコ大聖堂と聖フランチェスコゆかりの地」としてユネスコ世界遺産に。

アッシジは中世以前の歴史も古く「2000年以上前のエトルリア時代にはアッシジウムと呼ばれていて、古代ローマ時代にはローマに属する自由都市として繁栄。ローマ帝国衰退とともに、ビザンチン、スポレート公国などの勢力下に置かれ、支配される歴史をくり返した。11〜2世紀ごろに一時的に勢力を盛り返し、この頃聖フランチェスコを祀る大聖堂も建立されている。16世紀以前は、隣国ペルージャとの抗争、ビスコンティ家などの有力貴族の支配や内部抗争など、街は常に戦いの中にあった。アッシジ教皇領として平和な時代を享受できるのは、イタリア統一の1861年以降のことである」とのこと。(引用は昭文社の「新個人旅行イタリア」より)

サン・フランチェスコ大聖堂:1228年から着工され1階は1230年、2階が1239年に完成。
内装は13〜14世紀に描かれたフレスコ画に覆われ、1階にはチマブーエの「聖母と天使と聖フランチェスコ」、2階にはジョット作「聖フランチェスコの生涯」などの大作があり、これは圧巻!
ジョットのフレスコ画による「生涯」図、真ん中縦長の写真のコーナーに書かれているのが「小鳥への説法」です。

石はすべて乳白色から美しいピンク系



戻り、お店に入って一休み(左の写真)、2色のアイスクリームを食べて体を冷やすことに。途中のお店、冷やかし半分に入ったら、オジサンが奥の机で絵を描いています。並んでいる絵は「私が描いた」のだとか。サン・フランチェスコ大聖堂を描いたものではないのですが、私もFさんも同じ絵が気に入って求めることに。これはプリントだけどいいのかと言われOKと返事。一人ひとり裏にサインをしてくれました。夫は店を出てから、そうそう、美味しいお店を教えてもらおうと引き返して訊ねています。案内するから付いて来いとワザワザ角を曲がって少し下ったところのお店を指さして、7時からオープンだから、私から話しておいてやるとのこと。お礼を言って広場へ。
噴水のある広場に面してギリシャのコリント式の列柱が並ぶギリシャミネルバ神殿があります。
紀元前1世紀に建てられたものだとか。
中に入るとユリの花が良い香りを放っていて、外見とはちょっと違うブルー系の可愛い教会になっています。


]元来た道を戻りながら今度はサンタ・キアーラ聖堂へ。二股の道で修道女の方に道を聞くと、下の道ですよと教えられる。
これまた真っ白な石の聖堂が見えてきた。遺体が安置されているのか少し趣の異なる質素で暗くて静かなお堂です。

外に出ると日はまだ高く、ライオンが暑さに耐えかねて寝そべっているように見えます。
遠く高く見えるマッジョーレ城塞は諦めることに。


5時40分にホテルへ戻ってシャワーと洗濯を済まして一休み。


約束の7時にホテルを揃って出て、すぐ前の教会へ入ってみることに。夕べの礼拝が始まっていましたので、そっと出ました。
教えられたお店はどれもこれもとても美味しいお料理でした。最初に出されたのは丸いパンの上にポテトと黒いトリュフを乗せたもの。マッシュルームとマカロニのキノコの味と香りがとても濃厚で後を引く美味しさ。ポークのソースがこれまた種々の香辛料が効いていて見事なお味。ご主人がバランスのとれたセットメニューを薦めてくれたのでワインのついたそれを注文したのですが、これでわずか一人当たり18ユーロです。サービスしてくれたチャーミングな女性が、追加した”2本目の白ワインは私からのプレゼント”とこれまた粋な計らい。”アッシジ再訪の折りにはまたお立ち寄りください”というご挨拶も嬉しい! 絵描きのMartiniさんに感謝!

9時半、店を出て、夜のアッシジをそぞろ歩き。夜空が藍色というか群青色というか、ゴッホの夜のカフェの空の色です。
アルルでも言ったあの言葉、「本当に夜の空はゴッホの色なのね〜。そのまんまだったのね〜」とアッシジの夜でもFさんともう一度。