アマルフィから海峡を越えてタオルミーナへ(6)

5日目、6月21日(木)、今日はいよいよ移動日。アマルフィからバスと電車と船でシシリー島です。


6時前起床。7時食堂へ。見晴らしの良い海側に朝食が既にセットされている。
お名残惜しいですが、行かなければなりません。ガラスケースの中の可愛い陶器は売っていますと前日のフランチェスカさんが言ってたので朝、ホテルの車でバス停まで送ってくれるというMartinoさんに聞いてみると、いいですよ、と取り出して包んでくれる。3つで13ユーロ。Fさんも一つ残っていた一輪挿し?を買うことに。これでアマルフィとこのホテルの記念のお土産が出来ました。折角淹れて戴いたカプチーノは大ぶりの白いカップになみなみと入っていて、とても飲み干せるものではないので残していくことに。

7時40分ホテルの方の運転する車でアマルフィの広場へ。8時発のバスでサレルノへ。1時間少しの乗車です。

バスの運転手さんの警笛の鳴らし方が面白い! この人独特なのか、あるいは決められているのか、面白くってメモしていたので拾ってみると。ファファ〜! タラッパ・パッパー! ピプックピップ・パッパッー!! ラパ〜ッ! ララッ、パラッ、ピッ!とこんな具合です。
下って海側を走るようになるとコンテナや車が見え始めました。そろそろかな〜という頃、9時10分、サレルノ着。終着駅ではなかったようです。
バス停から道路を渡ったところで警察官が何やらたむろしているので夫が駅を教えてもらうと、すぐそこと指差されたので、左側へ曲がる。どうも駅らしき建物が見えてきたので、横断歩道のある信号のところまで行って待っていると、車のクラクションが鳴って先ほどの警察官が身を乗り出して駅の方を指さして”スタチオーネ”と言っている。私たちが真っ直ぐ駅へ向かわなかったので解っていないと思われたらしい。ということは、イタリア人は横断歩道のないところでも平気で渡って良いということ(で、ある意味、歩行者優先がキッチリ守られているということ?)。私たち日本人が信号のある横断歩道まで行ったことが信じられない…バカだな〜と思っているか、律儀だな〜と思われたか…と考えるとオカシイ。これ以後私たちも「郷に入らば郷に従え」で堂々と信号無視する方が安全なんだと学習しました。
ところで、夫の年代物のスーツケースは2輪で小さな取っ手を引っ張って歩く旧式。私たちのは4輪で引っ張っても押しても軽快に動く。私たち夫婦の方は寒がりの用心深さからどうしても荷物が多くなる。で、今回、20キロ近い荷物を担げば平気で山でも登る夫が、石畳の道をひきづって歩くのが見ていても大変そう。それで、今回は私も頑張って自分の荷物はなるべく夫に預けないで自分で持つようにしました。
さて、駅について一休みです。生ジュースのしぼりたてを自動的に作る機械が置いてありました。両側から上に積んであるオレンジが下に落ちて二つに割られ、割られた二つが同時に絞られてジュースになって出てきます。美味しいジュースでした。乗車時間6時間、ここで車内で食べるパニーノ(サンドイッチ)も手に入れておくことに。

10時33分発の電車が25分遅れで出発。はじめてコンパートメント(6人用)になっている車両でした。私たちは窓際に母娘で座っている方の空いている席に入ることに。11時過ぎ、少し早目の昼食をと持ち込んだパニーノを食べ始める。隣の母娘らしき方たちもお食事タイム。
ところで、F氏は直前に図書館でイタリア料理の本を借りて持って来られていました。写真や絵入りでイタリア料理の名前と食材や料理法が書いてあってとってもお役立ち本。私とFさんは今回もヒョットしてとお箸と扇子を持参。扇子は役立ちましたが、今回食材を買ってホテルの部屋でという場面はなくお箸の出番はありません。毎晩、家庭料理の美味しいお店を探して今までは成功です。さて、いよいよ、今日からはシシリー島へ渡って美味しいシシリー料理を探さなければ。で、そうだ、隣の方に聞いてみようと、本を借りて、話しかけました。英語は全くダメとのこと。困った・・・私の知っているイタリア語は、チャオとボンジョルノ(こんにちは)、ボナセーラ(今晩は)、グラーツェ(ありがとう)とアルデベルチ(さよなら)とボーノ(美味しい)だけです。
そこで、案内書の付録のイタリア語会話リストを直接見せながら、美味しい(ヴォーノ)のは、(指で)「何?」「どれ?」と聞いてみました。通じました! 差し出した頁の写真を指さして、「アクアパッツァ」と「インボルティーニ」がお勧めだとか。
アクアパッツァ」というのはケッパー、ドライトマト、アンチョビなど魚介の出汁で煮たもの。野菜の煮物。「インボルティーニ」というのはカジキマグロのロール巻を揚げたものとか。「ヴォーノ、ヴォーノ」と仰るので相当美味しいらしい。
今度はイタリアの地図を広げて、「私たちはここまで行くんだけど、どちらまで?」と訊ねると、「もっと先のレッジョ・ディ・カラブリウアまで」とか。
お別れ前に、写真を撮らせていただいて名前と住所を聞くことに。私が立ってカメラを構えているものだからお二人とも起立の姿勢で身構えられたので申し訳ない。夫が気を利かして自然な状態で私たちと一緒の写真も撮ってくれることに。こうやって親しくなった方の写真を帰国してから送り届けることも旅の楽しみの一つです。アンジェラさんという名前で住所は駅の名前と同じサン・ジョヴァンニになっていました。お二人はこの駅で乗り換え。お別れです。
さて、長靴の爪先まで来て、今度は、石ころに渡ることになります。これに1時間以上はかかる様子。本土側の駅名はヴィラ・サン・ジョヴァンニ、シシリー島側はメッシーナ。渡る海峡はメッシーナ海峡です。ここで3,4車両ごとバラバラにされてそのままレール付きのフェリーに乗せられてメッシーナ海峡を渡ってシチリアに渡り、島のレールとくっ付けてそのままタオルミーナまで電車で行くことになる。

島を走る電車の窓から見える海は、遠くは綺麗な水色、近くは水が透明で底の石が透けて見える。あちこちパラソルを広げて甲羅干しをする人たちや浮き輪で浮かんでいる人たちも見えます。

さて、タオルミーナ駅4時着。タクシーで「ホテルELIOS」へ。標高250mほど登ることに。狭い道路に片側駐車の道をスイスイと進んで目的のホテルへ。
今までで初めての雰囲気のホテル。空き家?みたいな感じで、殺風景。椅子が置いてないわけでないし・・・でも何だかガランドウ。置いてあるグリーンもフェイクみたいだし。受付の女性も何だかぶっきらぼう。夫たち二人は部屋を見せてもらうとエレベーターで上へ。私たちは二人で荷物番。しばらくして戻ってきた二人、部屋を変更してもらうんだと又ショートヘヤーのぶっきらぼう女性と上へ。やっと決まったらしく、一組ずつ荷物を持って上へ。夫は3階以上は荷物を持ち上げなければならないので3階にしたと言い、F氏は広い共用のテラスが気に入ったとかで4階へ。荷物を置いて、シャワーを浴びシャンプーも済まし、洗濯も。今度は小さなテラスがついているので紐を掛けて外で干せるし、3泊なのでゆっくりできそう。部屋は古いけれど南がテラス、西側にも窓がついていて今は西日除けに雨戸が降りているけれど、見晴らし良さそうです。とにかく、ここで3日過ごせます。
7時半ロビー集合で夕食に。街の中心部から少し外れたところなので、少し歩いて中心の繁華街へ出る。
イタリアのお店を覘いて驚いたのはどこでもキティちゃんを見たこと。アッシジでもフィレンツェでも。「世界的」というのは本当でした。
さて、ホテルお薦めのトラットリア(レストランより格下の地元の人も利用するお店)を探して歩く。中心街をメッシーナ門のほうに歩き、門を出て坂を下った所にあった。シンシアさんというウエイトレスがなかなか上手な英語を駆使して上手に注文を聞いてくれる。さっそく、電車の中でアンジェラさんに教わった2品を聞いてみる。
シンシアさんは盛んに口が剣先のように長い魚のロールしたものとジェスチュアを交えて英語でsword fishとも。カジキマグロのこと! で、「その身を野菜に巻いて揚げたもの」=インボルティーニ!! それ!それ!ということに。これは美味しい揚げ物になっていました。
メモによるとこの日頼んだものは、ムール貝のスープ、トマトのブルスケッタガーリックトーストしたパンのこと)、生ハムのメロン添え(美味しい!)、豆のスープ(いろんな種類の豆がドッサリ)、そしてメイン料理、それに甘口のアーモンド酒が出されて梅酒みたいで美味しかった!
乾杯はイタリア語で「サルーテ!」ということも教わりました。夫が「サッカーのザッケローニさんアリガトウ!」をここで言ってくれました。知ってる〜と言う反応でした。
一度食べて見たかったパンナコッタを勧めてくれたので、どんなものですか?と訊ねたら、シンシアさんが困って「ん〜〜??」と英語がでてこなかった、というわけで、”ナンノコッタ?”とトライしてみました。ヴォーノ(美味しい)とメモに。(右の写真の手前が私の頼んだパンナコッタ)
10時半ホテル着。11時就寝。タオルミーナの第一夜です。