タオルミーナ観光(7)

6日目、6月22日(金)、タオルミーナ1日観光。
タオルミーナ」という地名を初めて聞いたのは、高校生の時。試験中、母に許可を得て上映最終日の池田の映画館で見たアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」でした。ニーノ・ロータのあの哀切な甘いメロディとトム・リプリーのイジケタ犯罪。完全犯罪に酔いしれるトムの真上でやがてそれを白日に曝してしまう太陽がいっぱいに輝いている。映画の流れと関係のないカデンツァのような部分で魚の顔が大写しになる場面があります。トムが奪った恋人を匿うのがタオルミーナだったように思います。だから最後の場面もタオルミーナじゃなかったかとも。(撮影はナポリだったということが解りました。ヨットで行き先を聞かれたトムが「タオルミーナ」と言いますが、匿ったのも最後のシーンもナポリの可能性ありです。)
ちなみにこの映画のアラン・ドロンは余りにピッタリで、私は次作の「若者のすべて」という映画でガッカリ。ルキノ・ヴィスコンティ監督が「カラマーゾフの兄弟」を下敷きに映画化して、アリョーシャが「ロッコ」となってアラン・ドロンが演じることに。私は「カラマーゾフの兄弟」を読んでいてアリョーシャには思い入れがありました。ところがアラン・ドロンのアリョーシャ「ロッコ」には”魂の気高さ”が感じられません(「青い年頃」のせいです)。どうしても「太陽がいっぱい」の卑しさが出てしまって困りました。それからは、アラン・ドロンはダメになってしまいました。映画評とか先入観とかが邪魔したのかもしれませんが・・・小沢さんが引用した「変わらないで残るためには変わらなければならない」という言葉で思い出した「山猫」でも、アメリカ人俳優のバート・ランカスターは立派に老貴族に見えるのに甥っ子のアラン・ドロンは、私の偏見からか、とても貴族にはみえなかったものです。アラン・ドロンを見直すようになったのはウンと大人になってからでした。
その「太陽がいっぱい」で知った「タオルミーナ」を、今、半世紀以上の時を経て訪れています。なるほど太陽がいっぱいです。
さて、タオルミーナは正面にイオニア海、背後に今も白い煙を吐き続けているエトナ山を抱く、「ヨーロッパ屈指のリゾート地。シチリア島の東岸、海抜250mの小高い丘の中腹にあり、”地中海の女王”と称される美しい景観が自慢だ」
朝、食事前に二人で散歩に出かけました。公園の出口に満開のジャカランタの大木が一本あります(左上の写真)。閉まっているのでもう少し歩いて大きな鉄の門扉の所が開いているので中へ。手入れしている園丁さんがお一人。園内はレンガ造りの奇妙な廃墟風の建造物があちらこちらにあって、不可思議な雰囲気。通り抜けると南はテラスのように張り出して海が見えます。そして、西上を見上げると高い山の上に教会と城塞が。今日、これから、あそこ(写真下の段の右端の2つの頂点)へ行きます。ホントにあんな高い所まで行けるのかな〜不安。


8時前にホテルに戻って、食事は崖と隣家に挟まれた海の見えるテラスのような場所。なかなか素敵です。薄紫のルリマツリが咲いています。パンとバターやジャムが出され、飲み物はコーヒーかイングリッシュ・ティーかと聞いてくれます。ところが、その女性がニコリともせず陰気な雰囲気。F氏も異様に感じて、接客業をやるにしては・・・と。私と夫は「きっと何か不幸を抱えている人ね・・・」と。イタリア人じゃないかもしれないし・・・。
さて、9時。いよいよ出発です。帽子は暑いので、私は今日は晴雨兼用の傘を日傘にして出かけることに。
男性二人が地図を見ながら民家の間の細い道をとにかく上へ上へと登って行く、そのうち、住宅街をはずれて山道に。ジグザグのコーナーの所に巡礼?の像があって、いくつコーナーを曲がっただろうかという頃にやっと天辺に。教会の十字架が見える場所に水飲み用の水が出ています。こんな高いところに水が出る不思議。もう一方の城塞の方にも上ってみることに。屋台の土産物屋さんが一人、そっちは閉鎖という。でも、上ってみよう。途中、個人の家があって、その前を登って行くと確かに鉄の扉があってしまっている。黒猫がするりと抜けて階段の途中に座って、一休みしている私たち4人を見ています。

下の街では見えなかった景色が見えます。
遠くに大きな石灰岩の丸い山の上に張り付いたような家々が小さく見えます。
あれがカステルモーラの村です。バスで15分。明日行く予定でした。
「世界で一番美しい村」と観光パンフレットなどに最近書かれ始めています。
でも、アッシジも、アマルフィも、タオルミーナも充分美しい中世の面影を残した街です。
結局、同じようなものだと思うから、明日はあのエトナ山へ行こうということに。
元来た道を下って、街なかに入り、にぎやかな「4月9日広場」に出る。1866年、スペインから解放された日を記念して名前が付けられた。昨夜くぐった東のメッシーナ門と西端のカターニャ門を直線で結ぶ約800mの歩行者天国の繁華街ウンベルト1世通りの中間点にある。ところがこの中間点にも門と思しきものが建っていて、これが大いに後でややこしいこととなる。(下の写真2枚目、あの山の教会と城塞まで上ってきました!)(右端の写真がカターニャ門)(その手前(の写真)にも門らしきモンが・・・?)


ウンベルト通りからメッシーナ門寄りの真ん中あたりで南に下った角にあるお店で昼食にする。スパゲッティやピザを取って4人で分け合ういつものスタイル。これが一番合理的。残さなくてもいいし、数種類楽しめる。
隣に座った方がサラダとスパゲッティを注文、届いたその量の大きさにビックリ! 二人で分け合うのかと思うと、男性が大盛りのスパゲッティ、女性が大盛りのボール一個分もあるサラダを食べているのをチラッとみて、またビックリ! イタリア料理を懐石風にしてしまう日本的食べ方の方が美味しく健康的に食べられるのに…と余計なお世話を心の中で。
さて、これから町はずれのギリシャ劇場へ。
山のてっぺんからも見えていた古代の劇場。
シチリアでは2番目に大きい円形劇場で、紀元前3世紀に造られたものだが、今も使われている。
ホテルで映画祭をやっているから是非と勧められた。
確かにパイプ椅子が並べられてスクリーンの準備も進んでいる。
    <煙を吐くエトナ山→>
さて、十分に街を楽しんでホテルへ戻る。男性陣は朝のブッキラブウお姉さんとは別の、英語がイタリア訛りだけど自由に話せるロングヘヤーのオバサン風の方と明日のエトナ山行きを相談している様子。
私たちは部屋に戻って一息入れて、洗濯やシャワーを済ます。今日は、F氏の合唱団へのお土産を探してお菓子屋さんに寄った。その時、アクセサリ[ーのショーウインドーで蛙を見つけたので、2,3個出してもらった。デザインが良いペンダントと銀製で青い石と組み合わせたブローチに出来そうな蛙をみつけた。ちょっと遠慮してペンダントにしたんだけど、日本に帰って後悔しないかな〜なんて思って、戻ってきた夫に話したら、夕食前にちょっと寄って買えばよいと簡単。じゃ、そうしようかと、夕食前にそのお店を探すことに。ところが思った場所に見当たらない。
Fさんも一緒に探してくださってメッシーナ門からもう一つの門まで、結局、4人の日本人がウロウロと4回も行ったり来たり。私が買っているときにFさんが瓦にタオルミナの絵が描かれている陶器のお土産を買ったというお店も忽然と消えている。両手を伸ばせないほど狭い家と家の間に入った私をF氏が撮って下さった場所も消えている。あれ〜〜!!??と狐につままれたよう。私は自分のせいでこんなことになって、”もういいわ〜〜”と申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、皆で不思議、不思議ということに。
それで結局気が付いたのですが、それが夕食前だったか、食事が終わってからだったか今では定かではありませんが、とにかく、中間点にある門をカターニャ門と勘違いしてウンベルト通りの半分を探しただけで、本当は中間点よりカターニャ門側の通りにあるお店でお菓子も買い、Fさんの陶器のお土産屋も、私の蛙のアクセサリーのお店もソチラ側にあったということが4人がかりでやっと分りました。お店はもう閉まっていましたが、これで謎が解けました。
さて食事は、昼間ピザを食べたコーナーより少し上がった所のレストランに入ることに。入るといっても、皆外で食べているので、空いているところに座り込む。
ここは「リストランテ」で、前菜3種、なかなかいいお味。ウニのスパゲティを勧められたのですが、たいしたことなし。我が家の息子特製タラコスパゲティの方が美味しい。
カンツォーネアコーディオンや笛に合わせて歌う4人組がテーブルへやってきて美声を聞かせてくれたが、リクエストには「応じられない」と悲しそう。「オーソレミオ」だか「帰れソレント」だかのさわりの部分だけ聞かせてセカセカと別のお店へ。すぐ、別のグループが。書き入れ時で長居は無用、後がつかえていたよう。


さあ、長かった、楽しかった1日が暮れました。明日はエトナ山です。