祇園祭の宵山を京都で

昨日はお昼頃地下鉄の駅で3人集合、お迎えの赤いプジョーに乗り込んで加茂川沿いのマンションへ。
早速朝から準備してくださっていた散らし寿司の具を半切りの酢飯ごはんに混ぜたり、冷やしそうめんの具をテーブルに運んだりで昼食の準備。
昨年、葵祭に呼んでもらって以来の1年2か月ぶりに在関西の4人で集まりました。夕飯が終わったころ、東京で二人の母親のお世話で泊まることが出来ないもう一人の友達に携帯で電話をして回しました。
宵宵宵山にあたる土曜日の夜、祇園祭の山や鉾が飾ってあって歩行者天国になっているというので出かける予定でいました。ところが横降りの雨がふりだしました。これはダメかな〜と思っていたら、Mさんは通り雨、夕立できっと晴れるから大丈夫。さすが京都に住んでいるだけあって予報はピタリと当たって雨は止みました。
7時半ごろバスで地下鉄の駅まで行き、数駅乗ったあと降りた駅で地上へ。雨のお蔭で最初は少し涼しく人出も少なかったようですが、歩いているうちに大変な人出になってきました。
さて、1000年以上続く祇園祭の起源を、浴衣姿の女性が配っていた京都新聞祇園祭特集から:

京に疫病が大流行し、東北が巨大な地震津波に見舞われた869年、洛中随一の池があった神泉苑(中京区)に、当時の国の数、66本の鉾を立て、神輿(みこし)を送り平安を祈った「祇園御霊会(ごりょうえ)」が起源とされている。
「自由に飛び回れない日本の神様は、物について動くと考えられた。鉾は神が宿る依代(よりしろ)、それが山鉾の原型。御霊会はやがて国の行事になり、平安末期には祇園社(現八坂神社)の年中行事になる。
鎌倉時代には田楽や獅子舞で神を楽しませる趣向も加わった。鉾には台や車もついて、見物人をあっと驚かせる仕掛けも施された。
室町時代には、町ごとの趣向やスタイルが決まり、能楽の影響を受けて囃子(はやし)も成立、まつりの形態は、ほぼ固まった。

応仁の乱で中断後、復興したまつりの主役になったのは経済力をつけた京の町衆である。桃山から江戸時代初期にかけて、彼らは財力を競うように山鉾を豪華に飾り立て、まつりは隆盛を極めた。
山鉾町に生まれ育ち、祇園祭山鉾連合会理事長を務めた深見茂さん(78)は「これほど豪壮な祭りを運営できたのは、自治権をもち、裁判・警察以外の行政を担った町衆の力」と分析する。幕末の大火や第二次世界大戦を乗り越えられたのもその力があってこそといえる。「祭りにだけは現在も、自治の精神が残っています」と胸を張る。

「宵宵山宵山の町会所」は山鉾見物のポイントとも言われ、各山鉾町の町会所と呼ばれる建物で、13日ごろからご神体や懸想品(けそうひん)などのお宝が披露されている。
写真は「鯉山の町席」。うなぎの寝床と言われる、間口の割に奥の深い町屋が開放されていて、展示場になっています。
鯉山の山飾りは重要文化財に指定されている16世紀のベルギー・ブリュッセルで織られたタペストリー。図柄は紀元前1200年ごろのトロイ戦争を題材としたギリシャの詩人ホメロス叙事詩イーリアス」の一場面。そういえば、何年か前「B.B」の文字が見つかったという話題で賑わっていました。
鯉山は昔、龍門の滝山と呼ばれていたそうです。チラシによると、龍門とは中国黄河の上流にあるという激流の難所のことで、ここを鯉が登りきると龍になり,祀られたというのが「登龍門」の起源。それから、登龍門は難関突破、立身出世といった意味でつかわれるようになったとか。鯉山の象徴の鯉は江戸初期の名工左甚五郎の作。素材は1650年頃の檜(ひのき)であることが近年の研究で判明。どのお宝も普段は京都国立博物館や町蔵で厳重に保管されていて、真近に見ることが出来るのは宵山の三日間だけ。


宵山で可愛いのは大活躍の子どもたち。町会所の中で唄うように「チマキ、どうですか〜、うちわ、どうですか〜、てぬぐい、どうですか〜」と3,4人の子どもたちが声をそろえて唱和しています。あまりに可愛いくて、何も買わないで通り過ぎるのが悪いような気がして、行者鉾の町会所では手拭いを買いました。
室町通りの役行者山、黒主山、鯉山を見た後、一筋それて(警察官の誘導で)新町通りに入り、南観音山、放下(ほうか)鉾を見て四条通りに折れて月鉾、函谷(かんこ)鉾、そして巡行では先頭を行く長刀(なぎなた)鉾を観ておしまいに。
山(23)と鉾(10)の違いは山には山岳信仰に基づいて山を表す真松が立てられます。

さすが鉾になると8mほどの屋根の上に、真木に支えられた鉾頭(ほこがしら)があり、高さは17〜25mもあると書いてありますので、見るからに高い!
真ん中あたりに、榊を束にしたものが両横につけてあります。太鼓と鉦と笛のコンチキチンのお囃子はそれぞれ山や鉾によって曲が違います。山車への出入りは町会所の二階から空中廊下伝いに行けるようになっています。
2時間ほど人ごみの中を歩いて祇園祭宵山を堪能しました。
京都に住む人なら、あのお囃子が聞こえたら出てこずにはいられないというのがわかります。
何年か前、今はカナダですが当時長岡天神に住んでいたSさんに誘われて、(山口の)Wさんと3人で祇園祭山鉾巡行を見たことがありました。本番の巡行はまた晴れがましい興奮がありますが、その日に向けて徐々に盛り上がっていく宵山(の2日前)の土曜日の夜、山と鉾の間にはたくさんの夜店が並んで、いろんな匂いが漂っています。こんな夜の時間に京都に居ること自体、Mさん宅一泊が無ければあり得ないこと。
帰りは地下鉄から出てタクシーで。
その後は、NHKスペシャルの「緊急生討論! どうする日本のエネルギー」を途中から。Wさんが、政府の3択の提示自体が間違っていると厳しい意見。20〜25%があるのがおかしい、どうしてゼロと15%の間に5%や10%がないのかとか。私も同意見でしたが、4人で政府の不誠実な誤魔化しにテレビに向かって批判しきりでした。二人は大学生相手の現役の教育者ですので、橋下大阪市長に対しても不満や批判がいっぱい。シャワーを浴びて、そのあとは深夜まで話し込んで没。
朝起きると轟音が。加茂川が泥の川になって濁流が逆巻き川幅いっぱいにものすごいスピードで流れています。Mさんによると、ここに住んで以来初めての水量と川幅と流れだとか。明け方北山に大雨が降ったんだそうです。九州の雨雲がやってきたのかしら…と皆で。
10時15分、車に乗り込んで地下鉄の駅まで。
これで、また、しばらく、それぞれの生活に戻ります。Mさんお世話になりました。