NHKスペシャル「原発事故調 最終報告」

NHKスペシャル7月24日(火)PM10:00〜10:49

NHKスペシャル 原発事故調 最終報告 〜解明された謎 残された課題〜


世界最悪レベルの放射能汚染を引き起こし、今なお多くの人々に避難生活を強いている福島第一原発事故
事故後、政府と国会そして民間による3つの原発事故調査が始まったが、7月23日の政府原発事故調の最終報告をもって、全ての調査報告が出そろった。
番組では3つの事故調の代表が、初めてひとつのテーブルを囲み、明らかになった原発事故の真相や、残された課題について徹底議論する。

畑村 洋太郎 (政府事故調・委員長 東大名誉教授)
黒川  清  (国会事故調・委員長 政策研究大学院大学 教授)
北澤 宏一  (民間事故調・委員長 科学技術振興機構顧問)
柳田 邦男  (政府事故調・委員 作家)

この番組に先だって土曜日には同じくNHKスペシャルで「メルトダウン 連鎖の真相」が放送されました。


NHKスペシャル21日(土)

あの日「メルトダウン」していく事故の現場でいったい何が起きていたのか?福島第一原子力発電所の事故は、発生から1年4ヶ月がたった今なお多くの謎を残したままだ。番組では今回、1号機が爆発した3月12日から2号機がメルトダウンをおこした3月15日までの3日間を徹底検証する。実は、この期間にほとんどの放射性物質が外部へ放出されていた。しかもそのほとんどは「水素爆発」によるものではなく、これまで国や電力会社が想定もしていなかったあるルートからだった可能性が浮かび上がってきた。史上最悪レベルの事故を防ぐことは出来なかったのか?現場の作業を阻んだ放射線。そして外部からの支援も途絶え孤立していった原発の実態。独自のデータと最新のシミュレーション、そして現場の当事者たちの証言から事故の真相に迫る。

順序として先に「メルトダウン連鎖の真相」を取り上げるべきかもしれませんが、ブログ仲間の「keniti3545の日記」さんで取り上げられた「SR弁が開かない!」(http://d.hatena.ne.jp/keniti3545/20120726)を読んで、「事故調最終報告」に進みます。

メルトダウンと爆発 防げなかった元凶とは?
前日に発表された政府事故調の発表は、昨年の一番早い時期(6月)にスタートして、770人のヒアリングをして1年以上かけて出されたもの。
報告書に従って1号機から続く3つのメルトダウンを追っていきます。そこから分るのは重大事故への備えが不足していたという共通点
●1号機は津波で全ての電源を喪失、手動で操作する非常用装置(電力が無くても冷やせる)があったが未習熟で、作動中と勘違いして炉心冷却失敗。
また、緊急時の役割が明確ではなかった。津波の直後、吉田所長が消防車による注水の検討を指示していたが、あらかじめ定められたスキームのマニュアルがなかったので誰も準備を進めなかった。結局、消防車の注水が始まったのは12日の早朝。すでにメルトダウンは進んで、その日のうちに水素爆発が起きる。その前に事故の深刻化を防せぐ手立てはあった。
●この頃、3号機の冷却はまだ続いている。(ところが作業員は認識不足で装置は作動していると誤信。炉心の冷却に失敗。)津波を免れたバッテリーで非常用の冷却装置(HPCI)が働いていた。ところがメルトダウンの危機が迫っているにも関わらず、現場の作業員は装置が壊れることを恐れ手動で停止してしまう。他の冷却方法へ切換える確認ができていない。「リスクを適確に評価することなくHPCIを手動停止させ、間断なく原子炉へ注水を実施する必要な措置が取られていたとは認められない。」
「原子炉が危機的状況に陥った時、何を優先させるべきかという判断力が備わっていなかった」と指摘。
●そして3月14日6時過ぎにメルトダウンした2号機。最も時間的余裕のあった2号機で、どのような対策が取られたか注目。
津波ですべての電源喪失した後も冷却装置(RCIC)は奇跡的に動き続けていた。しかし、3日後に止まってしまう。問題は装置が止まるまで3日間もあったのに、次の対策がとられなかったことだ。いつ止まるかわからない装置に過度に気を許し楽観視していたため、適切に評価する必要性についての意識が希薄であった。冷却装置が止まってからは効果的手だてが打てずメルトダウン。3つの原子炉のうち、最も膨大な量の放射性物質が放出されたとみられている。


政府事故調」:「東電の危機対応能力の脆弱性があると結論づけている。」
        「深刻なシビアアクシデントは起こりえないという安全神話に囚われ危機を現実のものと捉えられなくなっていたことに根源的な問題がある。」
「国会事故調」:「本事故では運転員による試行錯誤の連続に頼らざるを得なかった。」


畑村(政府事故調)委員長:「まず、長かったな〜という感想。全電源喪失はありえないと思ったから起こった。事故が、仮に、前提を置かず、十分な準備がしてあれば、地震津波が来ても充分対策できたのではないかと思っている。」
柳田(政府事故調)委員:「3つのメルトダウンでわかったことは、一つ一つは違うが、共通するのは、電源喪失を想定していなかった。その背景にあるのは、やはり事故は起こらないというのが、事業主(東電)、規制の原子力安全保安院の双方にあった。それが、現場においてはイザ事故が起こった時、どう対応すればいいのか、様々なバックアップシステム、それをどう操作するかというマニュアルや訓練、その時の意思決定をする責任者の判断、様々なものが有機的に働くことによって安全が維持できるのに、それがない。ダウンしてしまった。それが、脆弱性という中身ですね。


「国会事故調」は、初めて全ての議論を公開ということで、情報公開を徹底したという点と、「人災」とした特徴がある。
黒川(国会)委員長:津波地震も日本は災害大国として前から注目されていた。なのに、規制も、当事者も備えをやらないできた。
民間事故調」は、政府・国会からも独立した民間の機関として事故調査をした。アメリカの?との比較分析が特徴。
北沢(民間)委員長:海外からも注目されていたのは、むき出しのプールの中に置きっぱなしになっていた使用済み燃料。建屋が飛んでしまって大気にさらされた状態。
畑村(政府)委員長:使った後どうするか、熱も放射能もある。そこに水がなくなって、むき出しになった状態になったらということをみんなが共有していない。使ったものを炉の近くの高いところにそのまま置いてあること自体が問題。

7月中に、この辺まで書き進んでから、日経新聞に東電による事故報告も加えた「検証 原発事故調査報告書」という2頁にわたる記事(7月29日)が出て、各項目を挙げた比較表がでました。事故調の比較をするなら、これが分りやすいですし、事故現場に到達もできないで事故の詳細の反省ができないことは分りきっているし、と書きすすめていく気持ちが萎えてきました。なんとか続けてみようと思い直したのは、唯一、委員長でなくて参加していた柳田委員の存在です。
柳田邦男氏を私が初めて知ったのは「ガン回廊の朝(あした)」という本ででした。その後は日航機の墜落事故でのNHKでの解説者として。そしてその後はご自身の息子さんの自死について書かれた本で。この方が委員に入っているなら政府事故調も信頼できるかもと思ったりもしました。
そしてこの日のこの番組でも、柳田氏の発言は、被害者、被災者の立場からこの事故を見るという視点の役割を果たしています。(その日航機事故の27年目の日(12日)に書いています。あの日と同じように甲子園では高校野球が開催されています。)
さて、メモを取り出して読み直すと、やはり、記録しておくことも良いか・・・と、つづきです。

避難混乱と被曝 根本原因とは?
住民避難はなぜ混乱したか?
国会事故調では10キロ圏内を対象に1万人にアンケート調査をした。その結果、原発事故発生を知っていた住民は20%に過ぎなかった。70%前後の住民が4回以上の避難をおこなった。政府は事故発生から1日余りの間に避難区域を半径3kmから10,20km圏と次々に変更。住民は「ただ『西へ逃げろ』ということだけで具体的な指示はなかった」
混乱の中、大きな負担を強いられたのは「病院の入院患者など自力での移動が困難な人たち」だった。
原発から5kmの位置にある双葉町病院では、避難の影響で40人の死者が出た。福島県の災害対策本部では入院患者の多くが寝たきりという情報を得ていたが、しかし、手配したのは患者を寝かせたままでは運べない大型バスだった。
受け入れ先の病院も決まらない中、患者たちは230km以上、10時間以上の移動を強いられた。「避難途中の車内で3人が、翌日の早朝までに11人が死亡」
搬送先の高校では医療従事者がおらず、「3月末までの死亡者数は7つの病院、および介護保健施設の合計で少なくとも60人に上った」(国会事故調)。

●日本では、避難範囲が10kmを超えることは想定されていなかった。避難の実施方法も具体性を欠いた。それらを事故調は問題視している:「こうした事態をもたらした要因は広範な避難区域設定を伴う大規模な原子力災害を想定していなかった原子力災害への備えの欠如があるといえる。」
原子力災害への備えの欠如」は、事故直後だけでなく、その後も住民に負担を強いることに。
避難指示の出ている区域の中には、放射線量が高かったにもかかわらず、住民が長期間放置された場所があった。
政府はモニタリングデータ(SPEEDI)の解析から、遅くとも3月23日の時点ではこのことを把握:「積算線量が高いことを認識していた」。それにもかかわらず何故避難指示が遅れたのか? 実は移住が必要となる長期間の避難は想定されていなかった
そのため、長期間の避難の判断をする放射線のレベルは決められていなかった。国会事故調は次のように指摘:「あらかじめ避難指示を出すべき空間線量率を定めておけば、基準を超えれば自動的に避難指示を出せるわけで、新たな避難基準を定めるために時間を浪費する必要もなかった」。
政府が飯館村を避難区域にすると発表したのは4月25日。事故から1か月以上も後のことだった。
報告書は政府は自治体の姿勢を批判している:
「避難区域の拡大化という判断を先送りし、避難を住民の判断にゆだねるという対応をしたものであり、政府、原災本部は国民の生命・身体の安全の確保という国家の責務を放棄したと言わざるを得ない」。


黒川委員長:「町長さんに会って、話したりタウンミーティングも3回、WEBでも見ることが出来る。2万人にアンケートを配り、1万人が答えてくれた。避難の演習もされていない、指示もテレビで知ったという。。。悲痛な思いがつづられている。今後の対策の上で、被災者の貴重な資料だ。」
柳田委員:「原発事故とは何か? 原子炉の安全(安全対策とか消防車が来たかとか支援対策は・・など)に気を取られがちだが、地域や住民の安全という住民側から見ると、避難は出来るのか、健康問題や元の場所に住めるのか?などの問題がある。安全だから大丈夫じゃなくて、日ごろの安全訓練が必要。」
畑村委員長:「1つの方向から見るのではダメ、双方向から見る。原子力発電というのは最初からとんでもない大きな災害になるものだと分って対処すべき。」


(では)「事故はなぜ起きたのか?」 「癒着が生んだ規制の骨抜き」
3つの事故調は規制機関と電力会社の安全対策が不十分だった原因について追及した。その結果、過去に安全対策が何度も見直す機会があったにもかかわらず「先送り」にしてきた事実が浮かび上がってきた。たとえば、80年代の「津波堆積物調査」、アメリカで同時多発テロの際も、少なくとも23回の先送りがあった。その中には事故が起きた際の新たな避難対策(2006年のIAEA基準の避難対策)の先送りも含まれていた。
 日本では大規模で長期間に及ぶ避難対策がなかったので住民は今回大きな混乱に陥りました。
●実は、IAEA(国際原子力機関)が示した避難対策をもとに日本では新たな対策が原子力安全委員会で検討されていた。しかし、その動きに原子力安全保安院が横やりをいtれたと報告書(政府事故調)指摘している。 
「現行の防災対策が不十分であるとの認識を与えることになり原子力安全に対する国民の不安感を増大させるのではないかという強い抵抗があった。当時の保安院長広瀬研吉氏の発言:「JCO臨界事故への対策が一段落するなどしてようやく国民が落ち着いたときになぜまた敢えてそのような議論をして国民を不安に陥れるのか。寝た子を起こすな」。 
新たな対策を提案していた安全委員会も保安院を説得しようとはせず、住民に安全に避難させるための国際基準の導入は先送りされた。」
●さらに三つの事故調が重要なポイントとして指摘したのは安全設計審査指針検討会[1993]=電源対策の先送りです。
フク一で起きたメルトダウンの欠陥は電源が失われ通常の手段での冷却が行えなくなったことだった。実は20年前、原子力安全委員会では、すべての電源を失った時の対策を規制に盛り込むことが話し合われた。その場には東電と関電の社員が出席していた。
 電力会社からはそのような対策を規制へ反映させることは行き過ぎだと反対意見が出された。すると原子力安全委員会は、電力会社に対し、「今後も『30分程度』で問題ない(中長時間のSBO(電源喪失)を考えなくてよい理由を作文してください」と依頼したという。(国会事故調)
 規制をしない理由付けを規制される側の電力会社に作らせるというあってはならないなれ合いがまかり通っていた。結局「規制化は行われなかった」。全ての電源が失われても重大事故に至らないための規制は先送りされた。


民間事故調の北澤委員長:「日本では空気を読む--そういう風土、そういうものが組織にあって、下手をすると正義よりも組織の方が重要、とそういう雰囲気がある。原子力を扱うような規制と推進側に相手の都合を考えてやっていくようなことがある。もう一つ日本には安全神話があって、100%安全なものにこれ以上の安全は無いという自縄自縛状態があって改善が規制側にも言い出せない面があった。」


国会事故調の黒川委員長:「『規制の虜(とりこ)』と言っている。政府は規制する、ところが規制される側に専門的な知識とかないと、規制する側がされる側に引っ張られて先延ばしという関係ができる。日本に特有でもない。先延ばしは双方に都合がいいことがあるので…国民の安全第一よりも組織第一。国会でしっかり監視してください。」


政府事故調の柳田委員:「新しい規制庁ができますが、長になる人と委員がどういう実績を積み上げるか? 業界と癒着のない、安全を最優先する規制の業務を最優先する、そういう中で作り上げてゆくもの。規則やルールだけでは出来ない、人物、人々、スタッフがそういう文化を根付かせる、5年以内で、そういう文化を、下からの、自らも、家族が住んでいたらという視点を持って。


今後の課題
北澤氏:「情報の伝え方。今回は失敗、国が信頼を失った。地域、放射線量、海外への伝え方を普段から考える。」
黒川氏:「世界中が監視している。すべての関係者がそういう意識があったかが、信頼の失墜につながっている。」
畑村氏:「原発はなぜこんな設計になっているのか、技術の来歴、メルトダウン、どうやってもれたのか、など再現実験をして検証を次の機関でやってほしい。調査の継続」
柳田氏:「住民の被害状況の把握災害関連死761人の大半が原発避難者。被害の実態、農地、家畜、食糧、子育て、など被害の全体像を2,3年かけて国家予算をつぎ込んで総がかりでつかむことが不可欠。
NHKナレーション「膨大な報告書は出発点。分析はこれから・・」