「学校は今たいへん」(「”君が代条例”の波紋」を見て)

昨日は、駅向こうに住んでいる従弟が孫二人を連れて隣の両親を訪ねてきました。
母が、小さい子に上げるものが何もないので、折り紙で折ったモノ、何かあったら・・・と玄関先に。はい、はい、と小さな段ボール箱に折り貯めた作品があったので、コマと多面体と万華鏡をとりあえず。暫くして、私も久しぶりの従弟に会いに隣の応接間に。
私と丁度10歳違いの従弟は、母の今は亡き妹の末っ子です。小さいとき、小児麻痺(ポリオ)にかかり、その治療で阪大病院にかかるため叔母さんと田舎から二人でよく我が家にも来ていて、幼くて可愛かった従弟は私たち三姉妹のアイドルでした。彼も居心地が良かったのか、父に「オッチャン、株券もってくるから、ここの家の子にして〜」と言って、私たちを大笑いさせてくれました。自分の父親が株券をテレビの上に置いてある金庫のなかから取り出すのを見ていたのでしょう。5,6歳のころのことですから、私はもう高校生、下の妹たちが中学や小学校の高学年で、可愛い弟代わりによく遊んでやっていました。

そんなかわいい子だった従弟は叔母さんのいる大阪の大学を出て、中学校の先生になりました。片手に麻痺が残っていますが、子どもの時から人一倍負けず嫌い、何でも自分でしていましたし、障害を持っていると周りに感じさせない子でした。隣町の中学校の先生になって運動部の面倒をみていました。結婚して、箕面の駅向こうに住むようになり、二人の女の子の父親になり、今は5歳と4歳
の孫がいます。長年、あちこちの学校で生活指導の先生として頑張っていると聞いていましたが、彼ならきっと良い先生になっているだろうと思っていました。年に1,2回、顔を見せにやってきてくれますが、余り話す時間はなく、お互いの健康を確認、主に両親の顔を見に来ていたわけですが。
で、少しして隣の応接間に顔を出すと、男の子と女の子は手に折り紙をシッカリと握っています。コマは回るのよ、多面体の3色はスカートの色と一緒ね、万華鏡は、ほら、こうすると、色も形も変わるでしょ、と遊び方を教えて・・・それで、従弟と少し話しました。
「どう、学校は?」「学校は、たいへん! 大津のいじめ事件があったでしょ、同じことでみんな大変」「そう、やっぱり。ま、昔からどこでもあったはね〜」「そう、昔から、どこでもあった。あそこまで、放っておくのは、あれは、一寸おかしいけど。あそこまで行かない問題は、いつでも、どこでも」「日の丸、君が代は?」「あれは、もう、無茶苦茶。たいへん!」「え〜、そうなの?」「あんなことをやられたら、もう、たいへん。維新の会は、無茶苦茶」「大変なの?」「現場は維新に振り回されている。なんでも勝手に決めて!! それに解らないで投票する人がいるから・・・。大阪は避けられて、兵庫や滋賀や京都に流れている」「え? あ〜新しく教師になる人たちのこと?」「そう、大阪に来たい人が減って・・・」「そう、大阪の教員の質が下がるはね〜」「そう、大変なんだから、締め付けが何もかも」「先生がそんなに大変ということは、子どもたちが大変ということね〜。昨日の夜、NHKで日の丸君が代特集やっていたけど見た?」「ああ、和泉高校の?」「そう」「見逃したな〜」と。

小さい子二人と両親がいる前で何とか二人で交わした会話がだいたいこんなものでした。やっぱり大変なんだ。この「たいへん」の中身が知りたいと思いましたが、夫が山の写真を持ってきて、山の話になりましたので、私は隣に戻って洗濯の続き。そのうち外で声がするようになって、見送りに出ました。これでまた1年ほど会えないでしょう。

ところで、15日の夜のNHKの「かんさい特集・夏」は大阪の「君が代条例」が教育現場にもたらした波紋をとりあげたものでした。関西だけで放送されたのか全国放送だったのか?・・・和泉高校の校長先生の卒業式と入学式の取り組みと、あと定年まで残り2年を切った女性教諭の「立てない理由」を追い、歴史を振り返りながら現場の「たいへん」を紹介していました。なかなか良い番組だったと思いました。

校長先生は「口元チェック」を「未成熟で、そう5年も10年も続けるものでははない」と入学式ではやめようと思って教育委員会に電話します。しかし、目で確認を押し付けられます。この校長先生はここで従うことを決めるのですが、反対する教師の気持ちを救う道はないかと考え、3日前、70人の教職員の前で、話をします。「当日は自分の意見をアピールする場にはしないで、先生方はこども達に話をして下さい。特別授業で有志の子どもたちに、資料を充分に整えて反対の立場も紹介しながら」と。タブーにしてはならない、自分の考えを主張するときは、反対の立場の考えも良く聞いて、判断は自分でするように、という校長先生は、生徒と一緒に、平和問題では長崎に行って被爆者の話を聞き、国防問題では自衛隊へ行って隊員の話を聞く、という時間を作っています。
そして無事、入学式を終えた校長先生は、この夏、日の丸・君が代問題を生徒と共に考える時間を教師たちに働きかけて作ろうとしています。そして別の学校の女性教諭は残された2年で今まで自分の問題だった「日の丸・君が代」を、子どもたちに考えてもらいたいと、パソコンに向かって「なぜ立てないか」を語りかける文章を綴っています。国旗・国歌が戦争と切り離せない役割を果たし、今は80歳代の母が、戦争中の娘時代、兄にむかって「立派に死んでください」とまで言わせる戦前の軍国教育のことなどを考えると彼女には譲れない想いがあるのです。

(教育委員会と教職員組合の板挟みになって校長が自殺する事件が。政府は法制化をはかり、法案は16日間の審議で1999年(H11)8月13日国会を通り即日施行。賛成の立場の人も反対の立場の人も拙速だったと)
若い校長先生が、最初は条例に決められたことを守るのは当然と思って、命じられたままに口元チェックをしたのですが、ものすごい批判の嵐にあって、考える。そこで初めて「守れない人」の理由を考える。その理由の中にはこの国の歴史や大勢の人の思いが入っている。それは、私もそうでしたが、無視できない。自分はそうではないけれど、そう考えるのも、もっともだと思えるものがあります。そうすると、そういう思いもなぎ倒して条例にまで決めて従わせようとすることが良いのか悪いのかという問題になってきます。
和泉高校の校長先生は、(そこまで考えて?)教育委員会に電話をしたのですが、受け入れられず、目視で確認願いますと返されてしまいました。彼は確か橋下「維新の会」肝いりで弁護士から校長になった人で、いわば「君が代条例」の広告塔だったのでは。その彼がテレビカメラの入っている前で教育委員会に言い返すことはさすがしなかった、できなかったのでは、と思われます。それとも心底決められたことだから守るべきと思ったのか、それなら教育委員会に「5年も10年も口元チェックをするのは未成熟。入学式では遣らないつもりです」と電話したりしないですね。番組では校長先生は「教育委員会府民の問題だ」と職員会議で発言されていました。

「当然だと思ってやったことに大変な批判があったこと」「それで条例に反対したり従えないと考える人たちの意見を考えたこと」「反対の背景にはイデオロギーや戦争観などで深い思いや考えがあること」(「条例が良いのか悪いのか考えざるを得ないこと」)「条例反対の立場の人たちの意見を救える場がないかと考えたこと」「問題は教育委員会と校長、教員の間の問題にしないで子どもに話しかけるべきだと考えたこと」「反対の思いを子どもに語りかけ、対立する考えも紹介して、タブー視するのではなく、子どもに考えさせる事が大事ということになったこと」。”批判の嵐”も受け止め方次第では大変意義ある道筋が導き出されることもあると思いました。<( )内は私の想像>

花の写真はYさん宅垣根の白とピンクのムクゲ(槿)。
ムクゲは韓国の国花。韓国では8月15日は解放記念日。日本の「敗戦」が「解放」の日。
韓国の歴史を思うと、アメリカと日本、その日本と韓国という関係が重なって見えてきます。
過去は未来のために。お互い現在に振り回されないで、大きくて深い知恵を働かせて、
平和に相互理解を深めてアジアの隣国として慈しみ合いたいものです。
さて、明日からお墓参りに加賀市の夫の実家に2泊して弟一家の世話になってきます。
イタリア旅行で一緒だったFさん夫妻とも食事を共にする予定です。


◎お薦めブログ:「日々坦々」さんで、田中康夫氏が「戦後史の正体」の内容について著者の孫崎氏と話し合っていますので、コチラで:http://etc8.blog83.fc2.com/blog-date-20120816.html
◎日経朝刊4面より見出しのみ:「大飯原発4号機営業運転に/ 次の再稼働 なお見えず /泊原発など、年内厳しく」