パラリンピックの金メダル(脱亜論と慰安婦)

ロンドンパラリンピックの日本勢金メダル第一号は柔道男子100キロ超級の正木健人選手。
元々オリンピックを目指していたのが大学時代に先天性の弱視が急激に悪化してオリンピックを断念、パラリンピックに。テレビで見ると、最初に組み合った形で試合が始まり、あっという間に一本勝という勝ち方。オメデトウ!
女子では、競泳100メートル背泳ぎ(視覚障害)で秋山里奈選手が金メダル!(←讀賣夕刊)
同男子50メートル個人メドレー(運動機能障害)で鈴木孝幸選手が銅メダル!
陸上男子400メートル(車いす)で伊藤智也選手、銀メダル!
活躍が次々と伝えられます。障害をものともせずの頑張りに拍手!です。

昨日、「脱亜論」についての記事をアップした後で、NHKの「日本と朝鮮2000年」のシリーズを思い出して蛙ブログ2010年2月3,5,6日のブログを読み直してみました。
「第10回 ”脱亜”への道 〜江華島事件から日清戦争へ〜」という1時間半の番組をブログ3日分で取り上げていました。
この番組は本当に印象深く残っていて、日韓問題を日本と韓国の両方の立場でNHKが何とかまとめたものです。慎重に「侵略」という言葉を(日本向けに)カットしたりの工夫が随所に見られます。それほど日本での反応が凄まじい?ということで、この内容でも当時非難ゴウゴウだったようです。

韓国の歴史に疎かった私には、これで初めて知ることが多く、どちらかというと韓国に感情移入?して聞いていたような気がします。今、振り返ると東大の坂野潤治氏の言葉もそれほど福沢諭吉びいき?とまでは・・・「かわいさ余って憎さ百倍」という説明も少し冷静に考え直すことができました。
そこで、福沢諭吉の「脱亜論」なんですが、少し調べて見ると、匿名の社説として1885年に発表当時はそれほど注目されず、福沢の書いたものなのか?という疑問も残ると書かれているものもあります。またこれがキッカケで「脱亜入欧」、大陸進出のきっかけになったように思っているが、福沢が「入欧」とい言葉を使ったことはなかったそうです。ところが、私(たち?)の印象では、「脱亜論」がキッカケで一気に国論が「脱亜入欧」、遅れたアジアを他の西洋列強と同じように日本が植民地化して近代化を図るという大東亜共栄圏のイケイケドンドンみたいになったと思っていました。日本が確かにこの辺りからそういう方向に走ったことは間違いがないが、そのキッカケを作ったのは「脱亜論」の福沢諭吉だったという断定は無理だと思いました。そうでなければ、やはり、キムオッキュンとの深い関わりは理解できなくなります。
しかし、脱亜論に書かれている言葉は、そういう時代の風潮を見事に言葉にしてありますし、「誤解」を招く書き方であり、韓国側を傷つける表現であったことも間違いがないように思います。このあたり、日韓の学者さんの共同作業で日韓交流史が書かれる日が早く来てほしいと願っています。

ところで、昨日、最後に書いた「従軍慰安婦」問題について、天木直人氏のブログでも取り上げています。
そこで知ったことですが、<慰安婦」と言う言葉は日本は文字通り「COMFORT WOMEN」と訳しているが、海外報道では「SEXUAL SLAVERY(性奴隷)」と書かれていて、「米国議会もクリントン国務長官もそう言って慰安婦問題には厳しい。何よりも国連人権委員会報告書がそう書いている。このままでは日本は世界に恥をさらし続けることになる>と書いておられます。(単数で対比するならcomfort woman と sexual slave ですね)

橋下氏の記者会見の発言(疑問)は、依然男性優位社会の日本の一部では通じる?かもしれないけれど、世界では?という視点が必要だと思います。
「グローバルに闘っていける教育をしなければ世界の競争に負けてしまう」と言う前に、自分たちの世界観や歴史観、倫理観が世界で通用するものかどうか考えてみる必要がありそう。
(写真のバラは先月25日の咲き始めのピエールドロンサール。今は花の色も白く散る寸前です。)