ヨウ素剤服用を決断した原発から50キロの三春町(その3)

いよいよ最後の場面が近づきました。
勝手に?ヨウ素剤の配布を始めたことを嗅ぎ?つけた県からかかってきた一本の電話。決断した町の担当者が答えます。


       明日へ―支えあおう  証言記録 東日本大震災   
                  第9回 福島県三春町 〜ヨウ素剤・決断に至る4日間〜


保健福祉課長工藤さん「誰の指示で配っているんですかって言うものですから、いや町の責任で町長の指示で動いてますと言ったら、これは国とか県の対策本部からの連絡があって、指示があって初めて配れる薬なんだよと、ましてやお医者さんの立会いがないと配れない薬をどうして配っているんだと言うので、いや、国、県は指示系統がめちゃくちゃじゃないですかと、あと、お医者さんの指示と仰ったけど、よく読んでいくと医療関係者、各避難所には医療関係者を配置しなさいと書いてあるので、医師には限定してないはずだと、特定してないはずだと反論させていただきました。
え〜、地域医療課の一担当職員だったものですから、『回収を指示します』って強い口調で仰ったので、指示となると知事命か何かのはずです、貴方は知事の権限をもっているんですかと反論させていただいたところ、彼は、いや、こういう緊急事態だから私の一存で回収を指示しますと仰ったんですね。であれば、私は聞けませんと反論させてもらって後は押し問答です。回収しろ、回収できません、もう飲ませてあるんで。後は、一方的に回収してくださいと言ったまま、向こうの方から電話を切っちゃいましたので、そのまま続行しました。」

配布は午後6時に終了。最終的に3303世帯中95%が薬を手にした。
予報通り夕方からは雨模様となった。町の人の中には薬を飲まないと判断したケースもあった。
3人の娘と話し合った時、短大生の長女から薬を飲みたくないと言われた母親:「私(長女)は飲まないって副作用があるならいいって言ったので、まぁ、飲めとも言えないし、そうかって流れで(18歳の)真ん中の子も、じゃぁ、私も飲まないってなった時に、じゃぁ(4歳の)下の子に、この子だけ飲ませた方がいいんだろうか、どうなんだろうって・・・じゃぁ今は飲まないでおこうって、これは取っておこうねって、いう話になったんです。今思えば後悔しています。あのタイミングで配ってもらって本当はあの時に飲んだ方が良かったんだなって。それはもう、あとからだんだん色んな情報を見たり聞いたりして、すごくいいタイミングだったんだなっということが解ったので、あの時飲まなかったのは親としてすごく、本当に、それは凄く後悔しています。それが解ってからは、それ以上、被曝しないように、なるべく、どうやって防御するかってことを考えて・・・」 
ヨウ素剤配布の、町が把握した副作用は2件。いずれも程度の軽いものでした。
原発事故から1年2か月経った今年5月、東京電力放射性物質の放出量を事故後初めて公開した。それによると、放射性ヨウ素131の放出量はある時点で桁違いに急増していた。全500ペタベクレルの内半分に近い200ペタベクレルが一時期に放出されていた。その汚染は3月15日と16日の2日に集中していた。三春町の人たちが飲んだヨウ素剤が効果を持っていた時期と重なっていたのです。
副町長(当時)深谷さん「要するに国なり上部機関の正しい情報、本当に我々が知りたい情報が出ているのか、ということがまず不信感が一つそこにありますよね。」
「ですから、それに対して自分たちが町民を守る以外にないのではないかと、それが優先したということだと思います。」
「国なり県なりの指示を待っていたんでは15日のタイミングは逃してしまいますよね。結果的に15日はドンピシャだったと思うんです。」

竹之内さん「これがやっぱり最善の状況だとその時は思ったし、それを判断する情報は県からも国からも無かったので、間違ってるとも言えないんじゃないかという思いは、奥底にはありましたよね、私たちのこと本当に責められる?っていうのは。」
後日、作られた放射性物質の拡散シュミレーションに15日朝、三春に吹いていた風は夕方三春の北に向け飯館方向に深刻な爪痕を残しました。
結果的に三春の汚染は国の服用基準よりも低かったと指摘されている。
深谷さん「あの日の風向きと雨の時間がうちだったかも知れないと思っています、未だに。これは、たまたまですよね。そういうことだと思うんですよ。飯館はたまたまあの時にあの時間帯に雨にたたかれたということで、あれがうちだけに限らずあの風のまわり具合と雨ということでどの町村がそういう状況になったかというのは、その時のたまたまな、たまたまと言ったら失礼かもしれないですけど、それに尽きるんじゃないかなと思いますけど。」

住民のため行政にしか出来ないことを突き詰めて考えて実行に移した三春町。
突然の災害に見舞われた時、錯綜する情報の中で、何を信じ、どう行動すべきなのか、
その問いは今も私たちにつきつけられています。(おわり)

内田樹の研究室」で、沖縄の「En Rich」という雑誌のインタビューに答える長い記事のなかに「責任」について述べておられます。
丁度良いと思いますので引用してみます。途中からです。全文はコチラ、長いです:http://blog.tatsuru.com/2012/10/05_0839.php

(内田氏)でも、考えればわかるけれど、責任なんて、結局誰にも取れないんです。失敗して、何かが致命的に失われた場合、時間が過去に戻らない以上、起きてしまったことは取り消せない。 だから、責任というのは本来予防的な概念なんです。事が起こった後に「誰が悪いのか」を言い立てるためにではなく、悪いことが何も起こらないようにするために、「何か起こった場合は自分が罪を被る」と宣言しておく。その誓言によって、起きたかもしれない災禍を未然に防ぐ。こういうのを遂行的っていうんです。


(沖縄の雑誌記者)―何かとても日本的な祈りの作法に叶ってるような気がします。



(内田氏)祝福みたいなものですから。「俺が責任とる」「いや、俺が取るよ」「いや俺だよ」「俺だよ」なんて(笑)。責任というのは、お互いに押し付けあうんじゃなくて、取り合うものなんですそういう集団においては、誰かが責任をとらなければならない問題そのものが起きないんです。


(記者)―実力のある人がリーダーであるというよりも、その言葉を口にできる人が、ということですね。原発の問題にしても、その言葉を口にできる人は誰もいないように見えます。


(内田氏)一人もいませんね。 大飯再稼働の際の首相の声明からしてあまりに出来の悪い詭弁でした。重大な文はほとんど主語がない。「安全性が確認された」とかいうような受動態の文が多用されていて、「誰が」確認したのか、「誰が」決定したのかということは、巧妙に言い落としてある。卑怯ですよ。(略)


(記者)-その意味でも「責任を取る」というのは大きな祈りの言葉ですね。

◆沖縄の雑誌記者の「『責任を取る』いうのは大きな祈りの言葉ですね」という受けとめ方、
沖縄の現状を考えると、何とも言葉がありません・・・
祈りが通じる社会(今のところ三春町のような行政府は少数派なのでしょうね)であることを願いたいと思います。
◆◆そうそう、同じブログで内田樹氏が今の社会について書いておられることが、なかなか的を得ていると思いましたのでついでに引用です。(金曜日の「かんさい熱視線」の学校でのいじめによる子どもの自殺を取り上げた番組を見ていて、思い出しました。)
原発事故で国や社会の歪がむき出しになって誰の目にも分るようになってきました。そして、子供のいじめから見える学校のシステム(教育委員会や校長の責任の取り方、責任逃れの方法なども)が社会や国のあり方と瓜二つということも。

今の日本では、失敗があった場合に、「なぜこんな失敗が起きたのか、システムのどこに瑕疵があったのか、管理運営のどこに手落ちがあったのか」を問うということをしません。反撃できない弱い個人や集団に罪を押しつけて、そこに攻撃を集中し、彼らを排除することで「穢れを祓う」ということを社会問題のほとんど唯一の解決法としている。日本全体が「いじめ社会」になってるんです。


際だった弱者に「穢れ」を押しつけて、それを排除することで集団の統合を達成するという「スケープゴート」の仕組みというのは、人類と同じくらいに古いものです
倫理的には許しがたいものですが、現に集団統合の仕掛けとしては有効だった。だから、現代まで生き延びたわけです。
でも、今の日本に蔓延している「いじめ」はもう「スケープゴート」というシステムとは違います。際だった徴がなくても、誰でも攻撃の対象に選ばれる。昨日までいじめる側にいた人間がいきなりいじめられる結果的に集団の全員が絶えず排除の対象になるリスクに怯えることになる。それが集団の力をどれほど損なっているか、誰も真剣に考えていません。


破局的な事態が起きたときに対処の仕方には二通りのものがあります
一つには真相追求、有責者の特定。「誰のせいだ」という問題のとらえ方。 でも、もう一つ伝統的な方法があります。 それは「物語る」ということです。 何か忌まわしい事件があったとき、そのときほんとうは何が起きたのかを当事者自身の口から語らせること。「供養」するというのは、このことです

◆◆◆内田先生のブログ、長くてテーマも多岐(愛国心とか教育も)に渡ってのお話になっていますが面白いです。
◎三春町で安定ヨウ素剤を娘さんに飲ませなかったことを後悔していたお母さんがいました。娘が嫌がったことを尊重されたのですが、成人以前の子どもの命と健康については親が責任を持つということを明確にしておかないと、「子どもの自由を尊重する『物分かりの良い親』」との間で迷いが生じると思いました。