大飯原発活断層?と安倍氏の「中道」批判と「百匹の猿現象」

今日は、3つ、引用ばかりを我が家の紅葉の写真を添えて並べてみます。
まず、大飯原発敷地内活断層か地滑りか問題。昨日の朝のモーニングバード「そもそも総研」が取り上げていました。
最後に小出裕章さんへの取材があって、やはり小出氏のコメントは分りやすいです。
毎日精力的に「書き出し」をして下さっているブログ「みんな楽しくHappy♡がいい♪ 」さんが全文書き起こしされています。
その中から結論部分の一部をコピーします:全文はコチラ(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2515.html

玉川:そうするとたとえば渡辺先生なんかは、「グレーであれば少なくとも止めて調べるべきだ」というふうにおっしゃっているんですが、


小出:
あたりまえですよね。ですからこういう、わざわざSクラス(最重要施設)と決めた、これが無ければ本当に困るんだというようなものは、活断層の上には建てないということが、ずっと原則できたわけであって、「活断層かどうかが分からない」と言うなら、「まずは止める」というのが当たり前のことなんであって、「動かしながら調べる」というのは言語道断だと私は思います。


スタジオーー


玉川:いかがですか?   羽鳥:その通りですね。


松尾:本当にこういう判断をね、その・・決めている人達はきっと、動かすという結論があって決めていたりする、
規制庁って、規制委員会の田中さんも、島崎さんも、おそらくはもう、「結論が内側にはおありなんだろうな」というような感じですよね。


玉川:ま、そうでないと私は願ってはいますけれども、少なくとも、「危ないから調べる」「疑わしいから調べる」という時に「止める」というのは正論だと僕は思うし、「じゃあ、今大飯を止めたら電気は足りないんですか?」というと、そうじゃない事はこの夏に分かりましたよね。
困るのは関西電力だけです。止めたら。


だから、そういうふうな状況で、じゃあ「関西電力と私たちの安全と、どっちが大事なんですか?」というふうな話には最終的にはなると思うんですが、そこはきっと、いろいろな判断があるんだろうなというふうに思うんですが、


今日の結び。 原発推定無罪はなし」 

原発は「疑わしい」だけど、「事故が起こんないんじゃないかな、」と思ってやってきて、福島第一の事故が起きているわけですよね。
という事は、少なくとも今「疑わしいんだったら、止めて調べるべきじゃないか」

さて、週前半はアメリカの大統領選でテレビは持切り。オバマ大統領が接戦の末2期目もということに。4年前のオバマ大統領誕生は、「ベルリンの壁」と同じで、あり得ないと思っていたアメリカの黒人大統領の誕生でした。それが、2期目もアメリカはオバマさんに国のかじ取りを任せることを選んだ訳です。
アメリカも、今、共産党大会をやっている中国も、そして日本も、本当に大変な問題をかかえていますね。平和的にそれぞれが自国の問題を他国のせいにしたりしないで頑張るしかないですが・・・さて、日本の政治から小話?みたいなお話を「日本がアブナイ!」さんから取り上げてみます。
タイトルにした自民党の安倍総裁の「中道批判」です。 

自民党安倍晋三総裁は7日午前、都内で講演し、政府・民主党が強調している「中道」路線について自分の信念も哲学も政策もない人たちを中道の政治家という。堕落した精神、ひたすら大衆に迎合しようとする醜い姿がそこにある。つまり自分たちの考え方がない」と厳しく批判した。(産経新聞11月7日)』


民主党の細野くんが、ちょっとナイスな興味深い反論をしていたので、それをアップしておくことにしよう、


民主党細野豪志政調会長は7日、次期衆院選マニフェスト政権公約)で同党が「中道」路線を打ち出すことを検討していることに対し、安倍晋三自民党総裁が「大衆迎合の醜い姿」と指摘したことについて、「大変驚いた。右翼と左翼以外は政治家、政党として認めないなら、極めて偏った考え方だ」と批判した。国会内で記者団に語った。 細野氏は、公明党も綱領に「中道主義」を掲げていることを念頭に「民主党以外にも『中道』と言っている政党があるが、そこを含め一体どういう考えなのか聞かせてほしい」と述べた。「首相をやっていたときから安倍氏は変わらない。非常に神経質な反応だ」とも語った。(時事通信11月7日)』


「そうなのよ。そもそも「自民(保守)vs.社会(革新)」が対立する55年体制が続く中、極端な思想に偏ることなく、中道の路線を歩もうとしたのが公明党(&民社党)だったのよね。 実際、公明党は、本当に綱領の中で「中道主義」と明記しているのだ(・・)」

以上一部引用は「日本がアブナイ!」さんのコチラから:http://mewrun7.exblog.jp/19173589/

もう一つ共感できる記事を取り上げたいと思います。
これは、3・11以後の国民の意識の変化について書かれたもので、これも一部、最後の方を引用します。

さかんにメディアが煽っている今の第三極論ともいえる話題だが、それをに同じような時間に同じような分析を行っていたことは、いわば「共鳴・共振作用」ともいうべきものだと思った。

いわゆる、「百匹目の猿現象」である。

≪宮崎県串間市幸島に棲息する猿の一頭がイモを洗って食べるようになり、同行動を取る猿の数が閾値(ワトソンは仮に100匹としている)を超えたときその行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れでも突然この行動が見られるようになったという。このように「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間にも伝播する」という存在しない現象を指す。≫


共鳴・共振作用は物理的なものから観念的なものまで、今では素粒子論的次元においてまで幅広い分野で研究されている。

個人的には、それが最大に表象されるものは哲学だと思っている。

その辺については別の機会にするとして、311以降、日本人の意識が変わり価値観も変わったというのは多くの人たちが論じている。


何が変わったのかといえば、「根源的意識」であり、意識下にない潜在意識が一番大きく変わったと勝手に考えている。


東京電力福島第一原発事故により、我々は今も尚、生命の危機に晒されている。
知らず知らずのうちに個々人の中で自己防衛本能が強く働いて、無意識のうちにこの危機を脱する「すべ」を模索しようとしていると思える。



また同時に、阪神・淡路大震災東日本大震災を通じて、自然の猛威とともに人間の限界を思い知らされた


特に日本人は西洋の「自然を支配する」という考え方とは違い、「自然と共に生きる」ことを由としてきた民族である。もっといえば、日本人は、大自然というものを時として「神」として崇め、「畏敬」の念をもって「崇拝」してきた。
日本人は自然から必要なものを与えられ、自然の恵みいただいて「お蔭様で生きさせていただいている」という意識を強く持っている民族だと思う。


自然とは(自ずと然り)ということでもわかるが、「あるがまま」「あってあるもの」で、人間もその一部であるという考えは、日本人の主要な価値観だと思う。


それが明治以降の「和魂洋才」をもって推し進められた近代化は、戦後より今日まで続く米国植民地化によってその魂を抜き取られ、グローバルスタンダードのもと、「日本的なるもの」が削り取られ、家族的企業経営や牧歌的人間関係が壊されてしまったと思う。

同時に押し付けられた民主主義ゆえに、肝心な「個」の確立がなされず、考え方も歪んで「自由」と「放縦」を履き違え多くの社会問題を抱えることになってしまった。


これが、311以降、「このままではいけない」という思いが人々の中で強く畳み掛けられて、それが原動力となり「行動する市民」となって具現化された。

その市民たちの行動は、全く違うことをしているようでいて向かっているところは同じであり、その運動体の目標が近ければ近いほど「共鳴・共振作用」を起こしやすいと思えてならない。  引用先:「日々坦々」(http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-1737.html

3・11以後の、福島の原発事故について、何やら熱に浮かされたような焦燥感、何かを取り戻さなければ、取り返さなければ…・あるいは、追いつかなければ…というような訳の分らない焦燥感は、ヒョットするとこの「自己防衛本能が働いて無意識に危機を脱する術(すべ)」を探していたのかもしれない、と思いました。自己というのは個人としても集団(国民or民族=日本人)としても。
そして、同じように311以降「このままではいけない」という思いの者同士が大きな「共鳴・共振作用」を起こしつつあるとしたら・・・私たちは、生き残るためには変わらなければならない、ですね。(「山猫」のあの、小沢さんが口にした、あのセリフです)

先日、カマキリと「目が合った」と書いた次の日も同じ場所に、あの大カマキリがいました。あれは「目が合った」のではなくて、私を警戒して睨(にら)みつけていたんだと思いました。すぐ傍(そば)のレモンユーカリの葉に隠れるようにカマキリの卵が細い枝に産みつけられているのを見つけました。
(写真上から鉢植えのモミジ、白いアジサイのような花が咲く木、ジューンベリー百日紅サルスベリ)、赤くなり切れないポインセチア