押し付け憲法? 実は「メイドインジャパンの日本国憲法」

安倍自民が大勝したので、心配な憲法についてです。
憲法は変えてはいけない」ものではありませんが、「押し付け憲法だから変える」という理屈は間違いです。
今年の1月、NHKで「自由民権、東北で始まる」という番組が放送されました。
福島第1原発事故で警戒区域計画的避難区域に指定され、全町避難している浪江町や、ヨウ素剤を自力で配布した三春町は、明治の自由民権家が活躍した村でした。
今年その内容を1月末から2月1日と3回にわたってブログの記事にしましたが、(その3)の内容から引用です:

戦後、こういう議論がありますよね:「戦後日本は戦争に負けて日本の歴史に関係のないものを戦勝国に押し付けられた、だから、これをご破算にしてやり直そう」という。 とんでもない、そういうことではないんだということが・・・。


実際、1945年、敗戦後、占領軍が大変注目した民間の憲法研究会の方々が作った案がある。在野の知識人、論客たちの集まりですが、その中で唯一の憲法研究者が鈴木安蔵鈴木安蔵が高知に行った時、そこで、今まで世の中に知られていなかった植木枝盛の資料に出会う。そういう鈴木安蔵が中心になって民間草案を書いた


鈴木安蔵は、現在の南相馬市の出身。自由民権運動に光を当てた憲法学者です。

昭和11年、高知を訪れた鈴木は埋もれていた植木枝盛憲法草案を再発見する。そして敗戦後、鈴木は憲法研究会のメンバーとして昭和20年(1945年)「憲法草案」を作成。その際、植木枝盛を始めとする自由民権運動の思想を取り入れた。(「統治権は日本国民より発す」)

憲法研究会の草案はGHQ連合国軍最高司令官総司令部)に提出された。これらも参照しながら日本国憲法GHQ案がまとめられた。


樋口:「注目すべきは、アメリカの当局は日本の戦前にも民主主義があったんだという認識を持っていたということです。これは、植木枝盛だけでなく五日市、そして数々の自由民権運動の中で模索されていた憲法構想というものが、私は、地下水が表に出る幸せな機会を得たのだという風に理解しています。
(蛙ブログ「光は辺境から…自由民権 東北で始まる」(その3)より:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120201/1328055111

このことについて、「小海キリスト教会牧師所感」さんが、「日本国憲法メイドインジャパンである」というタイトルで詳しく解説しておられます。「押し付け憲法」だと思っている方は是非、是非、読んでみてください。
私たちは学校で戦後史をろくに習っていません。安倍さんや石原さんのように声が大きい人の説が本当かと思っている人たちが増えているような気がします。私たちの大先輩、明治の自由民権運動家の命がけの考えが今の憲法憲法草案となって昭和に流れ着いているということはもっと学校で教えてもらってもいいことだと思います。本当の日本人の歴史を知りましょう。一部引用です:

1.日本国憲法は明治自由民権運動の復活である

<前略>
<鈴木は、起草の際の参考資料として、明治15年に起草された植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』、土佐立志社の『日本憲法見込案』など、日本最初の民主主義的結社自由党の母体たる人々の書いたものを初めとして、私擬憲法時代といわれる明治初期、弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた二十余の草案、また外国資料としては1791年のフランス憲法アメリカ合衆国憲法ソ連憲法、ワイマール憲法プロイセン憲法を参照したとしている。実際に読んでみると、『憲法草案要綱」は植木枝盛の影響が圧倒的である


 同要綱の冒頭の根本原則では、「統治権ハ国民ヨリ発ス」として天皇統治権を否定し国民主権の原則を採用する一方、天皇は「国家的儀礼ヲ司ル」として儀礼天皇の存続を認めた。また人権規定においては、『国家ノ安寧秩序ヲ妨ゲザルカギリニオイテ」という留保が付されることはなく、具体的な社会権生存権が規定されている。このように憲法研究会の憲法草案要綱の基本構造、象徴天皇制基本的人権の尊重・国民主権という日本国憲法の基本構造そのものである。下記の国会図書館のサイトを見れば、憲法草案要綱原文を写真版でも読むことができる。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.html



 この要綱には、GHQが強い関心を示し、これを英語に翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた報告書が提出されている。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。憲法研究会案はGHQの英文日本国憲法の骨子となっている。次のサイトを見れば、その証拠文書が読める。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/060shoshi.html


 鈴木安蔵の手になる「憲法草案要綱」の内容は、たしかに現行憲法つまりGHQが日本政府に押し付けたものに非常によく似ている
<後略>

2.第9条は日本の総理大臣の発案



 日本国憲法は、憲法研究会の鈴木安蔵が書いた草案を骨子としてGHQが作成した英文憲法草案を邦訳したものである。しかし、日本国憲法の最大特徴の一つである第九条戦争放棄条項が、日本の首相幣原喜重郎の発案である。また、この憲法が発布されたとき、日本国民はこれを喜んで支持した。(以下は、伊藤成彦氏の「軍縮問題資料」1995年所収論文から略述。)


 一九四六年一月二十四日正午、幣原首相はマッカーサー元帥を訪ね、約二時間半会談をした。この会談の内容について、マッカーサーは一九五一年五月五日の米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会で証言をしている。少し長くなるが引用しておこう。

<中略> 

 改憲派の学者らしき人々が、マッカーサー、幣原の回想録発表の時期などから主観的推測交えて、マッカーサーの作り話じゃないの?とか言って「ためにする」反論をしていることは承知している。だが、文書的な客観的証拠は上の事実を語っている。以上のようなわけで、日本国憲法のもう一つの特徴である憲法第九条戦争放棄条項もまた、国産なのである。

最後に「小海」さんの「まとめ」を全文引用です:

まとめ


 以上のようなわけで、「日本国憲法はGHQ押し付け憲法だ!」、「自主憲法制定!」という主張には、さしたる根拠がない。たしかに、日本国憲法はGHQによって押し付けられたのだが、押し付けられたもの自体は実質上、日本人がつくったものだからである。海外旅行でお土産物屋さんに押し付けられたのだけれど、帰ってよく見たらmade in Japanとシールが貼ってあるというようなものだ。あるいはホンダの逆輸入バイクみたいなもの。



 どこで読んだのか忘れたけれど、日本国憲法が発布されたとき採られたアンケートでは、日本国民の85パーセントはこれを歓迎したという。一般庶民たちは、愛する者を失った戦争にはもうこりごりだし、人権蹂躙もこりごりだったのだから、あたりまえの反応である。(85パーセントという数字がどこに書いてあるかご存知の読者は教えてください。)戦争で大もうけしてきた人々や、戦前と同じように国民を支配し戦争をしたいと思っている特権階級の国権論者たちは、もちろん「押し付けられた」と感じていただろうけれども。


 日本国憲法の三大原則は、<国民主権基本的人権の尊重・平和主義>であるが、前の二つの原則は、明治の自由民権運動憲法案(特に植木枝盛)を研究した鈴木安蔵が起草した憲法研究会案が出典であり、第三原則は時の総理大臣幣原喜重郎の発案である。これらがGHQによって英訳され肉付けされて、GHQ草稿日本国憲法が作られ、これを日本政府が邦訳した。日本国憲法はこういうわけで、実質的に、逆輸入国産品であるといってよい。


 大きな歴史の流れを見ると、明治初期の自由民権運動を国権論の帝国憲法が押しつぶして軍国主義に暴走して破綻し、戦後、民権論が復活して日本国憲法ができた。しかし、今また、自民党改憲案(2012年4月27日版)は昔の国権論に戻そうとしているわけである。

◆◆◆コチラで是非、是非、全文読んでみてください:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20121217/p1

(写真は、3枚とも、投票日の唐池公園、黄金色に輝くプラタナスの葉)