「レ・ミゼラブル」と「はだしのゲン」

←昨日、ヴィソラの映画館7号館にあったポスターです。
先日の淀川区民合唱団の第九を見に行った時、客席で隣り合った山の会の女性陣、IさんとYさんと「レ・ミゼラブル」を見たいねという話になりました。Iさんとは同世代、Yさんは少し若いかな。3人とも「あゝ、無情」よね、小学校の頃児童向けのお話で読んだことがあるし、ジャン・バルジャンよね、パン一個盗んでね、しつっこい刑事、ジャベールね、追い回されて、コゼットとマリウス、そうそう、と盛り上がりました。
「私は”飛天”でミュージカルで観たことがある」というとIさんも、「私も飛天で」「今はまた”飛天”じゃなくなりましたね」(昔の梅田コマ劇場が無くなって阪急インターナショナルホテルのビルの中に出来た劇場でした) 黙って聞いていた夫も「いつそんなの見たんだ?」「子供会の世話役OBメンバーと」「そんな昔か・・・」と。Iさんが「どなたでしたか?」で、そうだ、加賀丈史がジャベールで滝田栄ジャン・バルジャンだったと思いだしました。「島田歌穂さんがエポニーヌで、イギリスで歌われたのよ」とIさんも。(OB会のノートを調べたら飛天で見たのは1994年でした。)

ところで、小学生のころの「あゝ無情」をビクトル・ユゴー原作の「レ・ミゼラブル」として翻訳で読み直したのは確か河出書房の世界文学全集だったと思います。エンジ色の布カバーの小さい変形サイズの分厚い装丁でした。河出書房で検索してみると、<この全集(グリーン版)の姉妹編として60年から刊行された『日本文学全集』は、やはり原弘が装幀を担当したが、これはワイン・カラー版であった>というところに該当するようですので、私が中高生の頃ですが、グリーンではなくワイン・カラーだったし手触りまで覚えているつもりですが、「世界」と「日本」が違うので記憶違いかも。省略版にはなかったコゼットとジャン・バルジャンのその後、革命やマリウス青年、下水道のシーン、ジャベールとの対決、等々、壮大なスケールの物語に驚きました。
さて、映画です。まだこれからの方たちもたくさんおられるので、内容には触れずに、見ごたえ十分、2時間半、充実した世界にドップリと言っておきます。私は今回、憎悪という感情しかなかったジャンが司教の慈悲を受けて、改心、生き方を変え、コゼットを引き取ることによって人間的にも再生、そして、復讐の機会があっても『職務に忠実だっただけで恨んでいない』と赦す境地に、そして若い者たちに希望を託し、良く生きることが良く死ぬこと、ファンテーヌに誘(いざな)われて神の国に召されていくという流れが見えてきました。クリスマスの直後だったからか、あるいはhateheiさんに感化されたか…今回は宗教的な愛の力を強く感じました。
狂言まわし役のテナルディエの奥さん役をヘレナ・ボナム・カーターが楽しんで? 怪演していました。
作品紹介をコチラのブログの記事から端折って:(引用先http://eiga.com/movie/77186/critic/


ビクトル・ユーゴー氏の同名小説を原作にした名作ミュージカルを、「英国王のスピーチ」で第83回アカデミー監督賞に輝いたトム・フーパー監督が映画化。舞台版のプロデュースを務めた、キャメロン・マッキントッシュが製作に参加し、19世紀のフランスを舞台に、激動の時代に翻ろうされる人々の姿を描く。ヒュー・ジャックマンラッセル・クロウアン・ハサウェイアマンダ・セイフライドらが出演している。

パンを盗んだ罪で服役していたバルジャンは、仮出所後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受け改心する。やがて、ファンテーヌと運命的な出会いを果たし、幼い娘コゼットを託されると、警官ジャベールの追跡を逃れてパリへと旅立つ。

ミュージカルの醍醐味とは歌の力なのだ、と思い知る力作

1985年にロンドンのウエストエンド、その後ニューヨークのブロードウェイでロングランヒットした名作ミュージカルの映画化として、堂々とした風格を備えている。

原作は150年前に書かれたビクトル・ユーゴーの「ああ無情」。19世紀の革命後のフランスを舞台にした“コケが生えた”ような物語だ。観客の多くは結末に至るまでストーリーを熟知していて、予定されたことしか起こらない。貧困や格差にあえぐ民衆たちが自由を求めて蜂起する。しかし民衆は踊らない。3・11後の初めての選挙にも関わらず、国民の4割が選挙権を放棄したいまの日本社会の姿を重ね合わせることができる。この映画の革命は、民衆たちの「無関心」により失敗に終わるのだ。フランスの三色旗が虚しくはためく。 佐藤睦雄

◎この佐藤さんという方、映画の革命を今回の選挙に重ねた見方は面白いな〜と思いました。
さて、帰宅して隣から届いた昨日26日の讀賣夕刊の記事、一面のコラムを丸ごと引用です。

「よみうり寸評」
 <はだしのゲン>は単行本10巻の累計発行部数が約1000万部、英語など18か国語に翻訳された◆ヒロシマの原爆を6歳で被爆した中沢啓治さんの自伝的漫画。これだけ読まれているが、決して最初から順調ではなかった◆1973年に週刊少年ジャンプで連載をいくつか替え断続的に描き続けた。6歳の目に焼き付いた原爆投下直後の場面をありのまま描いたのが「子どもには残酷、リアルすぎる」と抵抗があったためだ。が、「原爆を甘い糖衣で包んで子どもに見せれば、戦争を甘く考え、なめてしまう」と中沢さん◆作者としてはあれでも残酷さを薄めたつもりだった。その中沢さんも最初は原爆のテーマは避けていた◆変わるのは被爆しても60歳まで生きた母の死後。母の骨はもろく、灰ばかり。 その憤りが<ゲン>を生んだ白内障、肺がんで、漫画の筆をおいた中沢さん逝く。19日、73歳◆欲0日の初版第1刷発行で最後の著書「はだしのゲン わたしの遺書」が刊行された。合掌。

◎「憤り」は母の体内をボロボロにした原爆だけではなく、落とした原爆の効果を調べたくて調査のために被爆者の身体を追い求めつづけた非人間的なアメリカの原爆調査のやり方、ABCCに対してでもあった。そのあたりのことを詳しく書かれたブログがあります。「青空学園だより」の「追悼 中沢啓治さん」:http://d.hatena.ne.jp/nankai/20121225
◎又「ゲンの記憶、つなげたい 遺作の担当編集者が手記」という記事をコチラ<日本の放射能被爆の原点を風化させまじ/「ゲンは遺書」 原爆への憤り刻む 中沢啓治さん死去>で:http://d.hatena.ne.jp/keniti3545/20121226/1356517316
(写真は映画館へ行くとき通り抜けた唐池公園、プラタナスも最後の黄葉です)
PS◎以前、報道特集で見たはずの放影研(中沢氏の母親の話)を自分のブログで探していたのですが見つからず、諦めていたら「Happy」さんで見つけました。素晴らしいですね、どうやって探して完璧に文字起こしされるのか感心!
番組はコチラで:「知られざる放影研ABCC中沢啓治さん」http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2672.html