2013年(平成25年)一月一日

明けましておめでとうございます


冷え込んだものの穏やかな良いお天気の新年を迎えました

午後から聖天さんと龍安寺へ初詣に出かけました

龍安寺では階段を上ると行列でした。

二人で御神籤をひいたら吉と半吉、今年は焦らず我慢の年です。

年末の紅白はBGM代わりでしたが、印象に残っているのはデビュー当時の雰囲気で黒づくめの美輪明宏が歌った「ヨイトマケの歌」、あそこだけ空気が違っていました。そして最後の「いきものがかり」の”♪風が吹いている”というロンドンオリンピックNHKの番組テーマソングだった歌。去年はスポーツだけが頑張っていた?という印象だったかもしれません。

ところで、昨年見た「レ・ミゼラブル」でジャン・バルジャンが歌う「Who am I?」という曲があります。誤認逮捕で自分の身代わりになる人がいることを刑事ジャベールから知らされて、名乗り出るかどうか葛藤する場面で歌われます。ここの葛藤の場面のこの曲が原発問題と繋がります。
安倍新内閣の茂木経産相が年末お昼のワイド番組に出演、自民党時代の原発推進の責任を問われてもニヤニヤと笑って答えず、原発推進を臭わす、見終わって何とも言えない不快さが残りましたが、その「不快」の原因が分りました。(番組の書き起こしはコチラで:「“自分のお尻は自分でとにかく拭きなさいよ”ということで自民党に政権が戻ってきたんだと思うんですよね」美輪明宏さん12/28:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2675.html
他人の犠牲の上に自分の生活や幸福があることの”不快”だということに思い至りました。
ジャン・バルジャンが悩んだのは、その見ず知らずの”身代わり”という”犠牲”の上に、自分がこれから先生きて行くことが善いのか…悩みました。「誤認逮捕」であることを一番解っているのは他ならぬ自分です、自分が黙っていればやり過ごせるかも知れない、しかし、それで善いのか?と悩み、勿論、名乗り出る道を選びます。それは今までの生活を失うことに繋がります。
私たち日本人が今直面している原発の問題は、似ているな〜と思いました。福島の原発事故の被害者のことを考えない…ということはサスガ福島では出来ません。だから、安倍総理も福島で廃炉に全力をあげると言いますが、放射能被害は目に見えません。被害の実態が出てきても証拠不十分で言い逃れもできますし、その手の偽証をしてくれる医者や専門家を連れて来ることだってできます。フクシマの被害という犠牲の上に今までの生活、ムラの甘い汁を吸い続けることを選んだ方たちには、ジャン・バルジャンの悩みや葛藤は解らないでしょう。
脱原発の道は、他人を犠牲にしない、都会が過疎地域の犠牲の上に富みを築いたり、豊かな生活を送ったり、経済的発展をしないという選択です。こちらを選択すれば今まで通りの生活は一時的に失う結果になるかもしれませんが、「不快」な気持ちからは解放されます。脱原発は、他人を踏みつけて成り立つモノ・カネの豊かさを求めるのではなく、モノ・カネよりは他人を犠牲にしないで清々しく生きていくことの方を大切だと感じるココロを選びとるという問題であるとも言えます。


新しい年を清々しい気持ちで過ごせるように・・・今年もどうぞよろしくお願いします。