勝尾寺さんへ初参り

昨日、ヨガ初日を済ませて12時ごろ、昼食を始めようと準備していると夫が隣の両親を勝尾寺へ連れて行くのにいい天気だというので、電話をすることに。
隣りも食事中、耳の良い父が電話に出て、「そうか!」と嬉しそう、すぐ母に代わるので、「どう?」と事情を説明。母もすぐ「そう、連れて行ってくれはるの!」と嬉しそう。1時前に出発ということで決定。
母が、「今日はヨガの初日でお食事で遅く帰ると思ってたのに」と言うので、「来週が新年会なので連続では悪いと思って…」と私。「そうね、それはそうね」と母。家で仕事をしている夫を放っておいて楽しくランチもそうそう続けては無理。今年初めて初詣を省略した両親には嬉しい提案だったよう。夫の仕事も月曜からの仕事始めが一段落ついて、冷え込みがあまり厳しくない昨日今日、誘うのに好機と思ったとか、有難いことです。
山麓線を東に向かって外院をこえて、クリーンセンターへ向かう勝尾寺への登り口の山道をドライブです。父は久しぶりというか、今年初めての外出とか。クリーンセンター方向へ向かう車数台とは途中で別れて”枯れ木”の山を走ってほどなく到着。駐車料金500円を払ってお寺の方へ。入場料はお正月は無料だったようですが、大人400円を払って中へ。上右写真は料金を払った後、池越しに見る全景。料金所+土産物店+喫茶食事(関所)の建物の屋根が右上端に見えます。「応頂山」の名前がかかる立派な門は左側にあります。通り抜けると裏には「勝王寺」の額が。これには由来があるそうです。
当山の勝運信仰の歴史は平安時代の中期、六代目の住職が清和天皇の病を祈祷で治した為「王に勝った寺」として「勝王寺」と名付けられた事に由来します。以来、人生あらゆる場面に勝つことの出来る寺として、源、足利、徳川など歴代の将軍や武将たちが当山の勝運を祈り参拝を重ねて参りました。
以上は「勝尾寺と勝だるま」の看板より。この由来を利用して今の住職さんになってからダルマを買って願を掛け、叶ったらそのダルマを供えに来るというような風習をこしらえたようです。それが大当たり、あちこちにダルマが供えられています。また箕面市民になった西川きよし・ヘレンさんが檀家に、西川さんも実家のお墓を勝尾寺さんに移したりして、墓地(霊園)でも当てて(品のない言い方ですが…)、造園業者を入れて桜や紫陽花、シャクナゲ、ハスなど植えこんで・・と目覚ましい整備ぶり…本堂も、真っ新、宿坊も新しく、トイレも最新式で綺麗になっています。
私たちが学生のころは、本当に荒れた山寺で、山林の中の古屋の宿坊で合宿したことがありました。昔、お寺の子どもたちは冬場は里のお家に下宿して小学校に通っていたと母も思い出話を。半世紀経って、今では、食事を出したり、宿泊が出来たり、喫茶ができたりと、宗教的なことは解らないですが、資産の有効利用に成功、立派なレジャー施設というか観光寺、花の寺になりました。

さて、両脇にシャクナゲが植わっている正面の広い階段を上りますと多宝塔が見えます(下真中の写真。帰りひと回りしてここに出ることに)その左にまた階段です。途中まで行くと、左の方に宿坊へ続く下り坂が。真っ直ぐ行くと昔ながらの階段道がかなり急こう配で続いています。心臓が心配な父と、圧迫骨折の後遺症で歩くと背中が痛い母ですので、これはマズイ、ここまで・・・と思った私たち。
父が、「いつも来ていたところだから大丈夫」とさっさと杖をつきながら進みますので…いいのかな〜とついていくことに。この石垣と階段と石垣の上の土壁が唯一子どもの頃からのままのようです。すでに、石垣の一番高いところの土塀は崩れかけていて鉄柵の補強がされて近づけなくなっていて、コチラの近道の階段は閉鎖されていました(あるいはお正月の雑踏をさけるためかも)。
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土塀の漆喰は剥げ落ちて、中の土と瓦が見えています。この階段を上がった所が奉納ダルマを収納している所。ビッシリ並んでいるのは何十倍もの大ダルマばかりです。その横の古いお堂が「厄払い三宝荒神堂」。通り過ぎると古木があって、ヤドリギが新しい根を突っ込んでいるのが見えます。お正月の出店のブースみたいなのを撤去する作業中です。足元に気をつけながら大師堂へ。ここはお堂の横からひと回りして反対側に出ると四国八十八カ所を巡ったことになる有難いお堂になっています。因みに箕面勝尾寺は西国二十三番札所です。

そして、紅白の幕で巡回路が決められている通り歩いて行くと本堂の前に出て、お参りです。
ここも少し急な階段がついています。お参りを済まし、ろうそくをたててから、売店前へ。
お守りやダルマや携帯ストラップや細々としたモノが沢山並んでいましたが、素通りして鐘楼へ。(写真、灯篭の向こうの立派な屋根が鐘楼)
ここが先ほど下から見上げた一番高い石垣の上になり、境内で一番見晴らしが利く場所です。遥か下に車を置いてきた駐車場が見え、山の向こうは千里の街並み。階段だけで相当の高さを登って来たことに。

夫が大きく鐘を打ち鳴らした後、父が続きます。
母が驚いて、「お父さん、大丈夫?」と声を掛けています。
杖をついたまま鐘の下まで進んで、大きくゴォ〜〜ンと鐘をつきました。
今年97歳になる父が鳴らした鐘の音です。
母が、「お父さん、来年は来られるかわからないのに、良かったね〜思い出になって」といいますので、『そんな…』と思いながら、『そういうことになるかもしれないのか・・・』とも。母は覚悟しながら生きているようです。
さて、帰り道は、案内通りに行くと、心配だった石垣下の急階段は降りないで、本堂右横、ルリ色の屋根の不動堂の奥、杉木立前の下りのスロープを辿って行くことに。
少し行くとなだらかな階段があって、シャクナゲの階段の上で多宝塔を見た場所、不動さんのある広場に出ました。
正面のシャクナゲの階段をおりずに、また左にスロープを辿ると池の反対側に出る道に出ました。途中、新しく滝が設えてある道を行くと鯉の餌やり場に出ます。これで園内一周したことになります。
茶屋で暖かいお善哉でも食べようということになりました。
小一時間歩いたことになりますしかなりのアップダウンです。いい運動になったし、良く両親が歩けたことと感心しました。

帰りは箕面大滝の上に出る道を取ってドライブウエイを帰ってくることに。昔、小学校の歩く遠足で勝尾寺といえば、遠い 、気が遠くなるほど遠いと思ったものです。杉木立の中のその道を車で走りだすと、外気温5℃だと車の中から表示を父が読んで教えてくれました。大阪9度予報ですから箕面は8度としてもマイナス3度です。それでも風のない日で良かったです。
今は枯れ木のモミジや桜があと数か月で花が咲き新緑となります。その頃また来てみるのもいいかなと思いながらお山を後にしました。