また晶子短歌発見と規制委について

昨日10日の日経新聞朝刊から2つの記事を取り上げてみます。
一つ目は12月26日のブログで与謝野晶子の未発表短歌発見の記事を取り上げましたが、年明けて今度は岡山で発見です。


街行けば涙ぐまるるおもひでの必ずわきぬまづしきがため  (街行けば涙ぐまるる思い出の必ず湧きぬ貧しきがため)


砂踏むを焼けむとそしり網小屋の蔭をあゆめり物思ふ人 (砂踏むを焼けんとぞ知り網小屋の蔭を歩めり物思う人)


物思ふ萱の葉などと並ぶ時今こし方のわれもうらめし  (物思うカヤの葉などと並ぶ時今来し方の吾もうらめし)



髪よりも静かなるなし夕ぐれの山の色よりみづうみよりも (髪よりも静かなるなし夕ぐれの山の色より湖よりも)


12月の記事の中で、「なお各地に埋もれている可能性は高く、まだまだ出てくるかもしれない」と書かれていたのが大当たりで、1か月経たないうちに発見の記事が出ました。
前回は昭和の作品と思われましたが、今回は大正期の作品とのことです。以下記事を移してみます:

与謝野晶子の未発表?16首  岡山で発見 直筆原稿に103首


 歌人与謝野晶子直筆の短歌103首が収められた原稿用紙が岡山県倉敷市で9日までに見つかった。親交が深かった同市出身の詩人、薄田泣菫(すすきだきゅうきん)に新聞掲載用に送った作品で、うち16首は未発表とみられる。
 就美短大(岡山)の加藤美奈子准教授(日本近現代文学)らが、倉敷市に寄贈された泣菫の書簡類「薄田泣菫文庫」を調査し、発見した。加藤准教授は「晶子の考えが伺える生原稿で、近代文学の大変貴重な資料」としている。
 短歌はB4サイズの原稿用紙12枚に黒インクのぺんで記されていた。「与謝野晶子」と署名が付されたものもあった。加藤准教授によると、103首は大阪毎日新聞に勤務していた泣菫に送られた大正期の作品とみられる。うち「街行けばーー」など16首は新聞紙面や晶子の全集に掲載が確認できず、未発表とみられるという。
 また、計15首をつづった2枚の原稿用紙には「紫影抄」と題名が付けられ、欄外に「一度にお載せ下さい」と朱筆で書き添えられていた。加藤准教授は「短歌は配列も重要だ。紙面の都合で一部だけが掲載されないよう書き添えたのではないか」と分析している。

同じく日経10日の記事から原子力規制委員会の記事です:

審査手法、原発ごとに 規制委 危険なら有識者会合
 原子力規制委員会は、7月以降に始める原子力発電所の安全審査で、津波活断層の影響をそれぞれの原発ごとに審査する。危険度の高い原発有識者会合を開き、再稼働しても安全かどうかを議論する。全国一律の基準ではなく、立地の危険度に応じた審査手法を使い、安全性を高める。審査が長引けば、再稼働の時期にも影響しそうだ。

 規制委の田中俊一委員長は9日の記者会見で、「(地震津波の)心配があるところは個別に有識者会合を開く」と語った。新しい安全基準が策定される7月から審査を始める意向も示した。
規制委は1月中に、地震津波の想定を見直した新たな耐震基準の骨子案をまとめる。地震対策では活断層の定義を厳しくするほか、原子炉建屋など重要な施設を活断層の真上に建てない事も明示する。津波対策は防潮堤の建設や浸水対策を求める。

規制委が組織理念 「何ものにもとらわれない」
原子力規制委員会は9日、5項目の活動原則を記した組織理念を公表した。第1項に「何ものにもとらわれず、科学的・技術的な見地から、独立して意思決定を行う」と掲げた。福島第1原発事故を防げなかった反省を踏まえて、政界や経済界、立地自治体の影響を受けずに判断を下す方針を改めて強調した。

原発再稼働、新設もという現政権下、唯一の頼みは規制委の姿勢、となってきました。
 「何ものにもとらわれない」を貫けるか注目です。