「ドイツが心配する尖閣諸島問題」と「荒れ野の40年」

いよいよウインタークレマチス立春を過ぎ、花びらの反り具合が大きくなって、終わりに近づいてきました。
下の写真:バレエの踊りで、手を交差させて繋ぎながら爪先立ちで4人で踊るパ・ド・カトル(パ・ド・ドゥX2)を見つけました。
 
先週の水曜日、夫が仕事で名古屋に出かけた日の午後、2年ほど前に子供さんたちのいる千葉に夫婦で引っ越したS氏から電話がありました。
お久しぶりの電話なので、まず「どちらから?」と訊ねると「清荒神」と。え〜〜っ!なんで〜?ですが、「仕事で大阪に来て早く片付いたので(厄除けだか、何だかの)お参りで清荒神へ。そこで路線地図を見ると近いので・・・」と。「あいにく…事前に知らせて戴ければ良かったのに・・・」「いやぁ〜、3月にも来ることになってるのでその時は事前に連絡して・・」ということで、私から、「中国、大丈夫ですか?」「はぁ〜?」「チンタオにいらしたんでしょ。日本人、大丈夫ですか? 尖閣のことで」「あぁ〜、そんな〜、尖閣ってどこ?ってくらいですよ。中国人、そんなこと何とも思ってない。政治家が勝手に騒いでるだけでしょ。日本(仕事)あっての自分たちと思ってますよ〜」「へぇ〜そうなんですか〜? 主人に話してください」「なんで?」「一時期、カッカして大変でした」「あぁ〜日本でも煽るやつがいるから〜」と。思いがけないことから中国情勢を聞くことが出来ました。
ところで、「みどりの1kWh」(http://midori1kwh.de/)の2月3日更新のなかに、ドイツから見た尖閣諸島問題(1月27日づけですが)を取り上げておられますので紹介してみます。
日中の関係は、独仏の関係と比較されることがあります。同じように第二次大戦で隣同士で戦争になって侵略された側が戦勝国、侵略した側が敗戦国となりました。その後日本は米ソ冷戦体制の中、アメリカの中国封じ込め政策の拠点として沖縄が召し上げられ日本本土も基地となって今に至っています。その間、沖縄返還があり、中国とは田中角栄氏が日中国交回復を果たし、その後、経済的にも文化的にも関係は深まりましたが、今のような状態です。
一方の独仏関係については、陸続きでもあったドイツは、過去の徹底した自己批判無くしてヨーロッパ大陸で生きていくことはできないということもあって、政府が率先して反省と関係改善の努力を積み重ねてきました。それを最近実際に感じる出来事がありました。最近、夫が仕事で会ったドイツ人の言葉に夫はひどく感銘を受けて帰ってきたことがありました。具体的なことははっきり聞いていないのですが、ユダヤ人にナチスがしたことを今のドイツ人が深く恥じて反省していることを知って、日本人の自分は何も知らない、教えられていない、日本が大陸でしたことを余りに知らなさすぎると言っていました。
私は、ヴァイツゼッカー大統領の戦後40年の演説「荒れ野の40年」で、日本とドイツは違う、過去に向き合う覚悟のほどが違う・・・と羨ましくさえ思ったことがありました。一昨日のヨガの後の食事の席でのこと、唐突に一人が「天皇陛下戦争犯罪人として処刑されていたら日本はもっと違っていた」と一緒にいた4人がビックリするような発言を。普段そこまで考えている方とは思えなかったし、え〜そんな〜と口に出した人も居たりしました。私も「そこまで行かなくても、あの戦争の責任は私にあったと認めて国民に悪かったと謝っていれば、戦争についての一区切りはついていたでしょうね〜」と。そして、つい最近東京で靖国神社遊就館を見て、当然のように流されている戦争賛美の映像を見てきたSさんは、その時の話を。
キチンとけじめがつけられていないから安倍さんみたいな考え方の人が総理大臣になったりするのよね〜、安倍さん2度目で最後と思っているのか一寸怖いよ〜、コアなファンがいるのよ、三宅久之さんとか、死んだ人じゃない、遺言でしょ、遺訓かぁ〜、憲法改正国防軍だから、体罰だって戦争中軍隊でやっていたことの延長だし、日本は引きずってる…と、昨日は戦争の反省の問題になっていました。私たち世代は平和教育を受けてきたけど、若い人たちは戦争をどう考えているのでしょう、学校でどう教えられているのでしょう…不安です。
前置きが長くなってしまいましたが、しっかりとした反省の上に立った幸せな独仏関係が最後に紹介されている”まる”さんの記事「ドイツが心配する尖閣諸島問題」全文をコチラで:http://midori1kwh.de/2013/01/27/3018  ここでは、その中からお仕舞の部分を引用してみます:

・・・・ 最後に南ドイツ新聞北京特派員、カイ・ストリットマッター氏は、この記事をこう結んでいます。「本来中国は、軍事衝突に興味はないはずである。日本は中国での最大の投資家であり、2番目に重要な貿易相手国である。このようなエスカレーションは、これは中国首脳陣も分かっていることだが、中国の新しい大きさを示すものではなく、すぐにアジアと世界のあらゆる所で敵を作り、始まったばかりの上昇は不意に止まってしまうだろう。しかし最も危険なのは、誰も望まないのに状況が制御不可能になることである。軽卒な挑発一つで、そのような事態に陥る恐れがある」。


そうですよね。誰も望んでいないのに、何かの拍子であっという間にコントロールできなくなる。そういう可能性だってあるはずですね。


これらの記事が掲載される前日、1月22日の南ドイツ新聞は、独仏協力条約(エリゼ条約)調印50周年を記念して、フランスのルモンド紙と共同で、新聞まるごとフランス特集でした。パノラマ面を開けば、「エレガントで、しかも楽々と仕事と家族をマネージするパリの女性」たちについての記事や、ロミー・シュナイダーアラン・ドロン(交際期間1958−1962年)、ギュンター・ザックスとブリジット・バルドー(結婚期間1966−1969年)といった独仏の夢のカップルの紹介、スポーツ面では、フランス人とツール・ド・フランスとの関係についてや、サッカークラブのパリ・サンジェルマンについての記事といった風に、政治・経済面に限りませんでした。



こんな楽しいことができてしまうなんて、やはり50年間努力して築きあげてきた友好関係は違いますね。羨ましい限りです。

◎中国との関係で忘れられないのは残留孤児の問題です。母はよく、中国の人は偉いね〜我が子でも育てるのは大変なのに、日本人の子をよく育ててくれたね〜と口癖のように言っていました。働き手として、育てた以上のメリットをあてにしていたんだという人もいますが、そういう場合があったとしても、大勢の子どもたち、それも敵国の子どもたちが育てられたこと、日本人に置き換えて考えて、そんなことが出来たろうか?という母の気持ちは分る気がします。
とにかく、戦争は二度としないという原則で何事も話し合ってという姿勢を崩さず、何かの拍子で誰も望まない最悪のケースにはならない様に、くれぐれも日本から挑発的な仕掛けをしたり、相手の挑発に乗るようなことのないようにと願っています。

◎「荒れ野の40年」の中から:(引用元:http://www.asahi-net.or.jp/~EB6J-SZOK/areno.html
「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。戦いが終り、筆舌に尽しがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。」

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。」

「心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。」

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりませんしかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
(写真は、立春も過ぎて、芽が出そろい始めたチューリップ)
PS:今回のレーザー照射事件については、天木直人氏が指摘されているように、今回だけを取り上げて安倍政権が大騒ぎ?するのであれば・・・という所、考えなければならないと思います。

何が問題なのか。

 まず指摘しなければならない事は、今度のレーザー照射がどこまで危機的な威嚇的なものであったかという事である。

 なぜならば、中国のレーザー照射は野田民主党政権の時はもとより、小泉政権時からも度々行なわれていたことがわかった。 
 その時のレーザー照射と今度の照射に威嚇としての危機的違いがあったのかどうか。

 さらにいえば尖閣国有化以降の中国の威嚇軍事行動に関しては、レーザー照射攻撃のほかにも威嚇的軍事行動が繰り返されていたという

 そのような威嚇行動と今度のレーザー照射威嚇との間に決定的な危機的違いがあったかどうか。

 このような事は素人には分からない。直接情報のない者には判断できない。

 もし大きな違いがなく、今度ばかりを日本が大騒ぎしたとしたら、それは日本が作為的に騒いだものだという中国側の言い分に口実を与えることになる。そして中国はその通りの対応を見せ始めた。

 大きな判断ミスだ。   (引用元:http://www.amakiblog.com/archives/2013/02/08/#002503