ミニ蘭開花と流木の花器と地震

ツボミの期間が長かったミニランが四月に入ってほころび出しました。
薄いピンクの優しい小さな花が咲きそろっています。
今は玄関の下駄箱の上に移して飾っています。
そして、流木のアーティストさんから届いた花器。
穴に収まるペットボトルが見つからないので、台にしてストレプトカーパスの鉢を置いてみました。
花台として使うと作家さんの意図とは違って申し訳ないのですが、早くお披露目したくて、置いてみました。
写真を見ると、台の割には鉢が大きく、また流木の長い足が隠れてしまっていますが、また次回にでも。
先日、シャンソンを聞きに桜井の駅を降りて西南公民館に向かうとき、久しぶりのIさんと、前日にも香住の竹内さんの産直お任せ鮮魚の引き取りで会っているSさんと、3人で地震の話になりました。
Iさんの方から、こんなに地震があるというのに原発は無理。どうして政治家の人たちには解らないんだろうと。
汚染水と言ってもただの泥水じゃないでしょう、放射能汚染水をようあんなことして保管できると思ってたのがオカシイ。
早く、止めて、方向転換してほしいよね〜という話に。初めてストレートな意見を聞くことになりました。
そういえば、Iさんと3・11以後会っていなかったようです。
以前、Uさんから聞いていたお仕事の話も、開場を待つ間、聞きました。イタリア人が3・11以後全く来なくなり、仕事が1年なかったこと。その間に使っていないイタリア語と、通訳の仕事で欠かせない体力に自信がなくなって、もう70だし、と仕事を辞めたこと。その分暇になり、やりたいことを探しているとか。フラダンスを隣町の池田で習っているけど色々約束事があって、若い人たちとは違うので、ついていけるか…考えているとも。
外見ではとても70には見えないIさんですが、独身でお姉さん一家と一緒に暮らしておられて、新しい老後を3・11をキッカケに迫られたお話を聞くことになりました。
ところで、その地震。私たち二人はIさんのお姉さんと以前ヨガ仲間だったことから、お宅に招かれて何度かお食事をよばれたりしていますので、Iさんの陶器のコレクションを知っています。阪神大震災の時には随分被害にも合われたようですが、今回は無事だったとか。真っ先に戸棚の食器を調べたと仰っていました。
←土曜日の讀賣の夕刊に出ていた阪神大震災以後の主な地震のリストです。
大きな地震が頻繁に起こっています。こんな危険な国に原発があること自体がやはりおかしかったと今ではつくづく思います。
今のうちに脱原発に切り替えて危険に備えることが責任ある立場の方たちのリーダーシップというものでしょう。
そういう声を届かせるのが参院選だと思いますが、自民党の方たちには届いていないようです。そこでどうするか・・・ですが・・・。