<NRC元委員長ヤツコ氏、福島を訪ねる>つづき(終)

NHKETV特集「”原発のリスク”を問い直す〜米・原子力規制元トップ 福島への旅〜(4/6)」、つづきです
MHKがセットしたと思われる評論家の柳田邦男さんや国会事故調の元委員長や委員と事故についての話し合い。
そして、ヤツコ氏はいよいよ福島訪問の結論を出すことに。

原発関係者は原発リスクを根本から捉え直すべきだと強く主張する柳田邦男さん。柳田さんはスリーマイル島の事故を取材するなど原発技術が持つ意外なもろさとそれがもたらす被害の大きさを繰り返し警告してきました。福島の原発事故の政府が設置された事故調査委員会の委員長代理も務めている。柳田さんが最も重視したのは、「被害書の視点」ということ。
柳田氏「ヤツコさんがNRCの自己規制の仕事をしてこれらた、そういう立場からいうと関心があるのはテクニカルな原子炉やプラントの中の様々なシステム化と思ったら、今回、被災した浪江町を訪ねたり、避難している人たちと会ったりされている。これはどういうご関心で行かれたのか?」
ヤツコ氏「事故後に重要なのは被災者のことを直視し考えることです。故郷や家族から引き離されるような苦難を今後誰も経験するこのとないようにです。事故前まで一緒だったのに今は離れて暮らす人の話を聞きました。子や孫は別の町に避難しているため会えなくなってしまったのです。被災者の声を聞いて初めてこの悲しみを理解できるのだと思います。」
柳田「非常に重要な視点だと思うんですね。で、私も委員会の中で被害の調査ということが非常に重要だと…プラントの中のことはシッカリ調べるのだがそれだけではない。事故を調べるというのは被害者を調べることだ
政府は16万人が避難しているのを16万という数字で見ているが、私の不幸であり、私の人生の挫折であり、私の悲劇である。ですから16万という数字ではなくて、それら1つ1つの悲劇が16万人分同時にそこで起こっている。自分の子どもの将来がどうなるのか、自分の仕事はそこで出来るのか、一人ひとり切実ですから自分の人生や命をかけて新しい町なり安全というものを考えないといけない。原発というのは、仮に10年に1回、30年に1回起こったら、その地域の人也国の相当な領域の人たちが生活も人生も破壊され、次の時代を生きる子どもたちが路頭に迷う、育児が困難になってしまう、こういう問題が出来ちゃう。そういう2つの意味から原子力と我々がどこまで共存できるんだろうか?
ヤツコ「とても難しい質問ですね。それぞれの社会が違った角度から答えを見つけていくのだと思います。リスクを受け入れる社会がある一方で受け入れない社会もあるでしょう。確かに今回のような重大事故は受け入れがたいです。電力会社、規制機関、政府は、このような事故を防ぐ方法を見出さなければなりません。原子力が今後もそれがどこの国であれ、エネルギー源として在り続ける限り、本気でこのような事故を防ぐという目標が欠かせないでしょう。」

多くの人々の人生を変えてしまった原発事故、その背景には何があったのか。ヤツコさんは国会の事故調査委員会のメンバーを訪ねた。
国会事故調査委員会政府事故調とは別に1000人以上の関係者から聞き取りを行い、2012年7月に報告書を提出した。その報告書の中でヤツコさんが注目した点は、原発事故を「人災」と断定し防ぐことが出来たはずだと指摘したことだった。その考えを詳しく聞きたいと思った。
ヤツコ「私は原発の”安全性”を新たな形で定義する必要があると思っています。事故の時、大規模な避難をしなくてもすむような原子炉の設計を考えねばならない。それこそが今考えなければならない。全ての事故を起こらないように防ぐのは余りに難しいから、原発事故で大勢の人が強制的に避難せざるを得ないような事態をさけるべきです。大規模で長期の住民避難は受け入れがたいものだからです
皆さんの報告書を大変興味深く読みました。人々の共感を呼んでいると私が思うのが事故を「人災」としている点です。その言葉が意味するところをお聞きしたい。皆さんが何を考え伝えようとされたのかということを。」

野村修也(元委員・中央大学法科大学教授)「3・11以前の段階でもう少しきちっとした規制をしておいたり準備をしておけば防ぐことが出来たのではないかという点に強い関心を持った。この事故を想定外というまとめ方もあるが、調査を通じて随分気づくチャンスがあった。何度も津波に対する警告はあったし、全交流電源喪失に対する危険性の警告もあったのにそのチャンスをどうして逃がしてしまったのだろうということに最大の関心をもった。人間の力で気付くことが出来なかったのなら天災だけど、気付いていながら先送りしていれば人災だというのが私どもの調査委員会の結論ということに。」
黒川清(元委員長・政策研究大学院大学アカデミックフェロー)「調べて行けばいくほどこのような情報の時代に色んな自然災害に対しては、いろんな人たちがいろんな経験をしていますね。失敗もしているし事故もあったし。ガバメントというのはそれに対して責任がありますから世界のいろんな事、この経験がわかっていたにもかかわらず、調べると政府も電力会社もそれを知っていながら積極的にやらなかったことがハッキリとドキュメントとして出てきたと思います」
田中三彦(元委員・元原子炉製造技術者)「私は、アメリカがスリーマイル事故を起こして以降、一時原発を造らなくなってから日本というのは何か勘違いをして、日本はアメリカから学ぶことは無いみたいなそういう感覚がもしかするとあったかもしれない。油断をしていた、技術的な発展とかに関してライバルがなくなっちゃったみたいなところがある。日本っていうのは世界で一番原子力の技術が進んでいるという錯覚に陥ったと思っているんですね。アメリカの原発はどんどん姿を変えていくことがあったと思うが、それに対して日本が同じような考えになったんじゃないか」


去年9月、新たに原子力規制委員会が発足。安全神話にのっとってリスクを軽視するのではなくて広くリスクをとらえて原発の安全を強化していくこと、それが課題となっている。
田中俊一委員長の挨拶:「事故から2年経ちましたが環境に放出された放射能のために故郷に戻れない方は未だに15万人を超えています。事故によって多くの方が厳しい生活にたたされているという現実をしっかり受け止めて引き続き最大限の努力をする覚悟を新たにしたいと思います。」
しかし、発足から半年、幹部が公表される前の内部資料を電発事業者に渡していたことが明るみに出るなど信頼性に疑問符が付く出来事も起きている。


野村修也「日本の規制局に関する問題としては、これまでは保安院という役所が普通の中央省庁の中の一役所としての位置づけにあるため、これまで関係のない仕事をしていた人が短期間だけそのトップに座るというような人事のローテーションが認められてきたという点で日本は規制当局の専門性に問題があったといえる。与えられているミッションに対するコミットの仕方も2年だけその仕事をしていればよいという感覚になるため、短い期間の自分の保身に走りがちという問題点がある。今回やはりその反省から独立した規制当局に変えるという方向に舵を切ったわけですが、最大の問題点はヤツコ氏が仰られた誰がその役割を担うべきなのかという問題です。しかし、この業界に関して言えば専門性を持っているのは業者であったり、その分野の学問的バックグラウンドとすれば学会という一つの集まりが背景にある。ところが日本では、事故が起こったためそういうバックを持った人に強い抵抗感がある。」

ヤツコ「規制機関は法的な独立だけでなく機能面でも独立していなければならない。原発の検査や確認を行い判断を下せる人材を独自に確保しなければならない。それは非常に難しく継続的な人材育成が必要です。原発の安全を考える上で大きな問題は事故を確率論で考えてしまうことです。事故の確率が百万分の一でも、「明日起きないとは限らない」ということを忘れがちです。百万分の一の確立とは「百万年に一回しか起こらない」という意味ではないのです。規制機関が判断力を働かせて想定外と思われる事態に対しても対策をすると決定を下さなければならないのです。
今回の規模の津波が過去に起きたという指摘があります。千年や二千年に一回というのは大いにあり得る話とは言えません。けれども実際に起きたのです。起きてしまってから「対策の不備」を指摘しても意味がありません。電力会社は「起きる確率の低い」事故に注意を払おうとしません。規制機関は「起きる確率の低い」事故に目を向け難しい決断を下さなければならない。NRCで私が常に言ってきたことは「信頼を得ることは大変だが失うことは容易だ」ということです。失った信頼を取り戻すには時間がかかります。信頼を失わない様にすることが大切なのです。信頼を取り戻すには判断を下す時の透明性がとても大事なのです。」


先月の復興庁の発表では震災から一年以上過ぎて死亡した震災関連死のうち、避難生活による肉体的精神的疲労が原因とされるものがおよそ半数を占める。
浪江町仮設津島診療所を訪ねる。避難生活が長引くなか多くの人がストレスを抱え体調不良を訴えている。「味、戻ってきた?」「はい」。
診察をしていた関根俊二所長「何か月も続くので高齢者の方の認知症と、動かないで仮設住宅に居るものだから手足の筋肉が落ちて、地震前は元気に歩けた方も今は杖をついてしか歩けないという廃用症候群の方々が増えてきています。
住んでいた場所の放射性物質を取り除く除染も福島県各地で進められている。浪江町ではこれから本格的に始まる予定です。それで元の暮らしが取り戻せるのか住民は不安を抱いている。
仮設住宅に設けられた内部被曝を検査する施設。ここのホールボディカウンターで住民らは無料で被曝量を測ることが出来る。すでに浴びたかも知れない放射能の影響が心配になり健康への不安を持ち続ける住民が少なくありません。


浪江町/昨年12月の住民アンケートの意見から:


今回福島を訪ね避難を続ける多くの住民たちの声に耳を傾けたヤツコさん、たどり着いた結論がありました。
「本当の意味での住民との新しい契約が必要です。社会に重大な影響を与えるような事故を決して起こさないという契約です。原発の安全の新しい考え方を必ず実行すべきだと思います。原発事業者が政府には責任があるのです。周囲の住民に甚大な被害を与えてはならない責任が生れるのです。福島の事故は住民との契約が欠かせないということを明らかにしました。大量の放射性物質の放出や住民の大規模避難を許さないという契約です。住民と原発業者の間に新しい「社会契約」が欠かせないのです。」   終わり

◎さて、結論として導き出された住民と電力会社との「社会契約」、大量の放射性物質の放出=これは日本の東電がフィルタープラントもつけていないままに建屋の爆発を避けるためにベントを強行したことを指していると思いますが=や住民の大規模避難を許さないという契約。う〜〜〜んと考え込んでしまいます。
柳田邦男さんが指摘される問題。一たび事故が起これば大変な事態になる原子力発電所の事故、「原子力と我々は共存できるのだろうか?」という疑問に答える方が先なのではないか…と思ってしまいます。ヤツコ氏は「難しくても原発エネルギーを使い続ける限りはこのような事故の無いよう防止すべき」だというのですから、「共存前提」の立場であるととれます。そこがアメリカ人であるヤツコ氏の立場なんだろうと思いました。
日本人の私は、アチコチで頻繁に地震が起こり続けている今、つい2年前まで日本人の大多数が安全神話を疑いもせず、原発の存在を意識もしないほど受け入れていた日本で、田中委員長率いる規制委員会がどんなに頑張ったってNRCほどの独立性や専門性や透明性を供えた機関を創ることが出来るとは到底考えられません。そのうえ、事故があっても無くても原発が稼働する限りは核のゴミは生み出され続け、危険は増大、置き場所はいよいよ見つからないという事態が続くのです。 それなら、いっそのこと、ここで大きく方向転換して原発は廃止する方向へと踏み出す道筋をつけてほしいと思ってしまいます。それまでは、勿論、規制委員会にも頑張ってもらって、二度と事故が起こらないよう出来る限りの用心に越したことはありませんし、ヤツコ氏の言われる「社会契約」だって取り入れることは有効でしょう。
でも、この番組、見終わって、福島原発事故の発生時からアメリカNRCトップとして日本の事故後のお粗末な対応をつぶさに見てきて、想像力と直感で避難を強いられた人々の苦難に思いを馳せたグレゴリー・ヤツコ氏、それをまた委員長辞任直後、現地に足を運び訪ね歩いて確認するという責任感の強さには本当に頭が下がる思いです。日本の原発推進の先頭に立ってきた人たちにこそ感じてほしい責任感と、備えてほしい想像力と共感力と実行力です。もし、脱原発に舵きりが出来ない日本なら、規制の在り方はこのヤツコ氏のようであってほしいと思います。