ペシャワール会発足30年、イラク攻撃から10年

中村哲氏のペシャワール会の会報(4月3日付NO.115)が届きました。先日、「天天日記」さん(http://d.hatena.ne.jp/mm3493/20130416#1366121270)で取り上げておられたので、そう、そう、忘れるところだったと思い出しました。会報が届くたびに書きとどめておきたいことがあってブログの記事にしてきました。それなのに前回はパス。今回は「天天」さんに感謝です。
今年はペシャワール会にとっても節目の年ということでアフガニスタンの歴史と重ねて振り返る意味でも最初に「事務局便り」からの引用を。
写真はカラー特集「用水路建設工事の変遷/第2回ガンべリ砂漠の開墾と試験農場」から、上は「開墾前のガンべり砂漠(2010年3月)」、下は「ガンべり砂漠・試験農場で初めての麦栽培(のちに砂嵐で砂に埋まる)。砂防用に畑を囲む植樹を急ぐ(2011年3月)」

事務局便り

 今年の秋で、ペシャワール会発足以来30年になります。
振り返ると、ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟への中村医師の赴任、JAMS(日本―アフガン医療サービス)診療所発足、アフガニスタン山岳部診療所の建設、JAMSとPLS(ペシャワール・レプロシー・サービス)を統合してPMS(ペシャワール会医療サービス)病院の建設(98)とハンセン病を柱にしての診療を続けてきました。それはソビエトの侵攻によるアフガン戦争(1979-1989)、社会主義政権から内戦を経てタリバン政権による実効支配、9・11事件の後2001年10月からは米軍侵攻によるアフガン戦争という、長い戦乱の下での活動でもありました。診療した患者総数は250万人を超えます


 さらに2000年からは大旱魃による農地の砂漠化が進み、その結果難民の発生、あるいは農村青年の武装集団や米軍の傭兵へのリクルートが進行し、治安がさらに悪化しました。本来人口の8割が農民で、穀物需給率が90%を超える豊かな農業国であったアフガニスタンは、荒廃したテロの巷であるかのごとく国際メディアが伝えるところとなったのです。


 旱魃により診療所の村人が難民となって村が消滅する中で、「飢えと乾きは薬では治せない」(中村哲医師)と、1600本の井戸を掘り数十個所のカレーズの修復を行いましたが、飲料水の確保だけでは農村の回復は不可能です。そこで2003年3月19日には、農業用水路確保のための用水路建設に着手したのです。奇しくも翌20日ブッシュ政権イラク攻撃を開始した日でありました。それから10年です米軍のイラク戦争による死者はイラク市民約12万人、米軍兵士4千487人、戦費と戦後処理費は500兆円と試算されています。大義名分の「大量破壊兵器の存在」も「フセイン政権とアルカイダの関係」も否定されました。イラク攻撃を批判したオバマ政権は、米軍兵士の死傷者を減らすために、アフガニスタンでは無人兵器を多用しています。現代文明というものの行き着いた荒野を見るようです。


 中村医師の報告にあるように、この春マルワリード=カシコート連続堰が完成すればPMSの事業で1万6千500ヘクタールの農地の維持が可能となり、推定65万人(アフガニスタンの人口2千万人〜2千500万人)の暮らしが維持されます費やされた費用は10数億円です。10年目の春に、文明と自然について、深く考えてみるべきかと思います。

今や中村哲氏は医師であり哲学者であり詩人でもあると私は思っているのですが、その中村哲氏の巻頭報告の中から端折って。写真は上が「開墾中のガンベリ砂漠(2009年8月)、下は「試験農場。生長した砂防林に囲まれ無事に栽培されたウマゴヤシ(2012年7月)」。

マルワリード=カシコート連続堰、完成の目途――推定65万人が安心して暮らせる土地に
            PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表 中村 哲


三郡の安定灌漑 (省略)

連続堰に精力を傾注 途中から
 去る12月中旬、河の水を流し、この巨大な堰の全貌が見えた時、皆が暫し作業の手を休め、うっとりと眺め入りました。敷き詰めた巨礫を流れる水が余りに美しいのです。説明抜きに、誰にでも分る美しさです。それは人と自然が和解した瞬間でもあったでしょう。また、命に直結する清らかな美です。「これで生きていける!」。多くの村民は、そう思ったと言います。以後、安堵感が地域に拡がり、難民となっていた人々が続々と帰郷し始めました。


「護岸」とは人の安全確保 (省略)

自然への畏敬忘れず(から)

 自然を制御できると思うのは錯覚であり、破局への道です。ただ与えられた恩恵に浴すべく、人の分限を見極めることです。最近の日本世相を見るにつけ、ますます自然から遠ざかっているように思えてなりません。足りないのは、敵意を煽る寸土の領有や目先のカネ回りではありません。自然に対する謙虚さと祈り、先人たちが営々と汗で築いた国土への愛惜、そこに息づく多用な生命との共生です。


私たちには時間がある(から)
  先はまだ長いですが、「緑の大地計画」の悲願実現に向けて確実な動きがあった一年間でした。アフガンのニュースと言えば、外国軍の撤退時期、軍規や治安の乱れ、汚職、危険情報ばかりが伝わります。しかし、焦ることはありません。私たちには時間があります。どこから何を見ようとするかで、ずいぶん印象が異なります。騒々しい情報世界を離れ、悠久の自然と人の営みに焦点を当て、今後も歩いて行きたいと思っています。

◎「どこから何を見ようとするかで印象が違う」、「騒々しい情報世界を離れ、悠久の自然と人の営みに焦点を当て」というのを応用して生きていきたいと思いますが、難しいですね。毎日のように大変な事件が起きる昨今、一喜一憂しないで…と思うものの・・・
そういえば、先日3月15日の蛙ブログのコメント欄にお芝居の上演案内が入っていました。山下惣一という農民作家の言葉「原発で得た豊かさは、時限爆弾の上で宴会をしているようなもの」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130315/1363323579)をタイトルにした記事だったのですが、昔ながらの農業は私たちの生き方のヒントかも知れません。
青年劇場」の方のコメントによると「佐賀県唐津で農業をやり、また作家でもある山下惣一さんと、岐阜県で自然卵養鶏を実践されている中島正さんとの書簡集である著書『市民皆農』を原案とした『田畑家の行方』を製作し上演することにいたしました」「4月25日〜5月3日。新宿駅新南口から徒歩3分のところにある紀伊國屋サザンシアター」での公演案内も、良かったら3/15のブログを訪ねてコメント欄をご覧ください。 (花の写真は両親の庭に咲くシャクナゲ2種)