4月のお茶のお稽古

お稽古の報告に入る前に、おとじろうさんの”物語「ボクは原発君!」”が最終章まで発表されましたのでそちらを。
ココロを鬼にして鬼になっている悲しい原発君ですが、実際には原発は今鬼にもなれずもっと厳しく悲しい現実です。

● ボクは原発君!第4章 バクハツしたボク(http://blog.rairu.com/?eid=1139

● ボクは原発君!最終章 ボクは鬼になる(http://blog.rairu.com/?eid=1140

ついでにもう一つ相聞歌のような母と子の詩のやり取りを「shuueiのメモ」さんから:「おかあさん、ぼくが生れてごめんなさい」(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20130423/1366662342

 康文くんの先生で、この本の著者の向野幾代さんは復刊にあたって「あの子の詩は障害者が『ごめんなさいね』なんて、
言わなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。今もこうして皆さんの心に、呼びかけているんですね。
いま、障害者の問題は、高齢者の方たちの問題でもあります。『老いる』というのは、障害が先送りされているということ。
歳をとると、足腰が不自由になって車椅子が必要になったり、知的障害になったり・・・健常者の方も、
たいていはいつか障害者になるんですよ。だから康文くんたちは私たちの先輩。
世の中をより良くするよう切り開いてきた、パイオニアなんです」と・・・


さて、4月も下旬になりましたが、気温は3月なみ、なのに、春だからと薄着で出かけてしまいました。
ここ数か月でお二人より後になったのは珍しい。お話が弾んでいるところへ加わることに。
お軸はお家元の書かれた「柳緑花紅」という扇面を掛け軸にしたもの。お花はシャガに都忘れに白いのは?コデマリに見えましたが、先生は卯の花系の名前を仰っていたような。香合はお花に引っ掛けて「隅田川」という名前のもの。船を出してお花見をしている風景なのか、敷いてある袱紗の色が川の水を表したような水色です。真中に手がついているので、そこを持って蓋を開けたら、”違うのよ、やはり縁を持ってこうやって開けるの”と注意を受けました。

そして、4月は釣り釜です。五徳を外して筒ガマを天井から降ろした鎖で釣ってあります。炭火が見えて春のお茶です。
今日は、お棚、ではなくて、「芝点て」という桑製の箱。
持ち手がついていれば出前の岡持ちみたいです。用途は野外でお茶を点てるときのお道具一式を入れるものなので一緒です。
先に二番手の座る場所をとられたので、私が先に点てることに。
水屋で仕組み茶碗を用意して出ます。
今日はお棗(なつめ)が、ナツメ型ではなくて筒型になっています。これは「ふぶき(雪吹)」(「吹雪」とは書かない)と呼ばれる形の棗。
袱紗での清め方も「こ」の字ではなく「二の字」に拭く。お抹茶のつめ方もナツメ型はなだらかに、雪吹はエベレスト型に尖がらせます。いつもなら蓋を取ってお茶碗の横に置くところを、膝とお茶碗の間に置くという細かな違いがあります。
蓋置は桜の連山を描いた吉野山というのを選びました。水差はオーストリア製の見立て使い。

お茶碗は春の野草を華やかに描いた「春の野」というお茶碗。
波の絵が描かれたお茶碗。大波なので海かと思ったら、
「桜川」という名前のお茶碗。川浪というわけです。
他にもボタンや桜を描いたお茶碗を使いました。
二人が終わって三人目のNさんは立礼式。
テーブルの上に置いてある水差しがなかなか堂々とした信楽です。
Nさんもお客さんになっている時は袱紗を捌いてパチンと音が出るのに、いざ本番となると音が出ません。本当に不思議なものです。
本番に弱いね〜なんて言いながら他人事ではありません。
薄着がそろそろ堪えてきました。外に出ると玄関先のシャガの花に西日が当たっていました。