金曜デモと「あれから2年・武藤類子さん」(「いきいき」より)

昨日は金曜日、ブログ仲間さんには紹介するまでもありませんが、私の場合、あちらのAさん、そちらのBさん、こちらのCさんとブログをやってなくて一緒に考えましょうと呼び掛けたお仲間さんへ、今回も是非このブログを覘いてみてと「特別な1日」さんのこの記事をご紹介します。
ブラック企業と★0426 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議」http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20130426/1366986871
出だしが痛快です。<何が4月28日が『主権回復』式典なんだよ。その日に本土復帰を果たせなかった沖縄を完全にのけ者にしているのはもちろん、今の日本にまともな主権があると思ってるのか。横田基地がある東京の西側は今だに米軍が航空管制しているんだぞ(だから西から帰ってくる飛行機は千葉から遠回りして羽田へ入ってくる)。首都の上空を他国に管制されている国が、TPPの交渉なんかマトモにできるわけがないだろ(笑)>。
先日、この4月28日の問題で一水会鈴木邦男さんにコメントを求めた番組がありました。なかなか面白い発言でした。<一連の動きは頭の良い人がシナリオを書いている。対米従属とか言われてるのが引っ掛かって日本は独立国だと主張したかったんだろうけど、沖縄を忘れていたんだろう。今頃しまったと思っても引き返せないのでやるしかないんだろう>と。なるほど!ですね。

さて、今年の中之島の3・10脱原発集会、参加のお目当ての一つが武藤類子さんでした。
武藤類子さんは、一昨年の秋、9・19さよなら原発5万人集会で福島からの感動的なスピーチをされた方です。
(蛙ブログでは「さよなら原発集会 ・武藤類子さんのスピーチ」:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20111004/1317701053
借りている「いきいき」4月号の武藤類子さんの記事、4月が終わらないうちに、少し端折りながら取り上げてみます。

昨年末に、”手抜き除染”の現場として話題になった福島県田村市は自然豊かな山里で、原発事故が起こる前まで、私は喫茶店を開いていました。名前は里山喫茶「燦(きらら)」といいます。今、私が住んでいるのは、その隣の三春町です。
 私が2011年に、6万人が集まった「さよなら原発集会」でスピーチをすることになったのはなりゆきです。実行委員の方に「5分だし、類子さんやってよ」と言われて、「しょうがないなあ」って(笑)。
 まさか、作家の大江健三郎さんや澤地久枝さんが、同じ集会に出られるなんて。スピーチ原稿をゆっくり考える時間が無くて、話す直前まで書き直して。それまで人前で話したことなんてなかったのに、人生が変わりましたね。


電気に頼らない暮らしを事故前から実践
 私は福島原発事故の前から原発に頼らない暮らし方をしたいと思い、以来16年間、自給的な生活を目指してきました。祖父が残した雑木の山を自力で切り拓き、家を建て、太陽光パネル太陽熱温水器を設置。電気も太陽光エネルギーで半分程賄ってきました。
 家の周りでは色々なものを収穫しました。  ・・・・  自然の恵みを享受する豊かな暮らしでした。
 そもそもこんな暮らしを目指したのは26年前、チェルノブイリ原発事故が起きた年に私の姉が白血病を発症したことがきっかけ。それまでの私は原子力に無知で、福島に生まれ育ちながら、県内に原発が10基あることも知りませんでした。姉を看病する傍ら、原発から出る放射線が与える影響を知り、その後、原発を無くしていくために自分に出来ることを続けてきたのです。


事故の前より今は厳しい状況です

 私の家の回りは平均すると毎時0.2マイクロシーベルですが、ホットスポットという線量の高い場所がある状況は事故当時と変わりません。だから私は洗濯物も布団も外には干さないし、畑で野菜を作ることもありません。裏山の木の実も山菜も食べられず、薪も使えない。「燦」は事故以来閉店したままです。
 原発作業員や除染作業員として働く方の6〜7割は福島県民です。・・・・・・・
 福島第一原発での作業現場の状況は私にもわかりませんが、危険手当がピンハネされたり、防護服や食事の支給がなくなったり、(11年12月の野田前首相の)収束宣言以降、彼らの労働条件はすごく悪くなっていると言われています。
 理不尽なことはまだあって、例えば今進められている甲状腺検査では、判定が出ても本人には結果しか伝えられません。詳細が知りたくても、情報開示請求をしなければ手に入らないのです。
 先日、川内村では除染作業員の宿舎が火事になり、3名が怪我をしましたが、一人は16歳の少年でした。
 ・・・・・  こうした苦しい現実に福島県民は今も耐え続けています。


怒りの感情から物言わない方向へ 
 ・・・・・   私は、放射能がまだ厳然とあるこの環境で、何が復興だと思うんです。でも、そうは考えず、自分たちの力で何とか復興させたいと思っている人たちもたくさんいます。そういう人の前で、「やっぱり危ないんじゃない」とは言えなくなるんです、だんだん。それは対立する構造にもなり得るけれど、対立すらできない。元はお互いに仲よかったひとたちだったからこそ黙らざるを得ない。そうなると、何もいわなくなってしまう。
 スピーチをした一昨年はまだ、みんなが怒りの感情でつながり、脱原発ってまとまっていられたけれど、今はそれが分断され、物言わない方向になりつつあるように思えてなりません。でも、このまま黙らされてたまりますかって思っているんです。
 告訴と告発の違いも分からないような私が、国と東京電力に損害賠償を求める福島原発告訴団の団長をしているのは、誰かがこの事故の責任の所在を問わなくては、と思うからです。社会は、政権で変わるのではなく、一人ひとりが変わることでしか変われないと思うのです。


全国に避難する母子の心の支えになって

 たくさんの方々にお願いしたいことがあります。昨年から全国各地で「福島の子どもたちのための保養プログラム」という取り組みが行われるようになりました。
 この活動に公的な補助金はなく、維持していくのは大変です。ぜひこうした活動に積極的に関わってください。カンパも出していただけるならありがたいです。
 また、福島県民に限らず、子どもの健康を案じて避難民となった方もたくさんいます。その多くは母子避難していて、友だちや親を置いてきたという罪悪感に悩み、避難地で孤独を感じているようです。近くにそういう方がいたら、気にかけてあげてください。心のサポートをしてもらえたら嬉しいと思います。・・・・・こうした形で被災者を支援してもらえたら、ありがたいと思っています。

保養プログラムの詳細はこちら
福島の子どもの保養プロジェクトin久米島
NPO法人 沖縄・球美(くみ)の里(http://kuminosato.net/)
311受入全国協議会(通称 うけいれ全国(http://www.311ukeire.net/)

むとう・るいこ/1953(昭和28)年生まれ。養護教員を経て、2003年に里山喫茶「燦」を開く。チェルノブイリ事故以来、原発反対運動に携わり、福島第一原発事故発生後は、福島原発告訴団団長として、住民と避難者の人権と健康を守る活動に奔走。著書「福島からあなたへ」(大月書店刊)。