逸翁美術館「復活!不昧公大圓祭」

月曜日のお茶のお稽古の時に先生から案内を受けた池田の逸翁美術館に、昨日(土曜日)午後から3人で出かける予定でした。2時から学芸員の解説があると先生から聞いていたのでこの時間に間に合うように。今回は連休初日でNさんのご主人もお休みで運転はご主人でした。
不昧公(ふまいこう)というのは松平不昧といって出雲松江藩の第7代当主で江戸時代を代表する大名茶人だそうです。
小林一三さんの収集品の中でこのお殿様というか茶人にゆかりのモノが一番多いんだそうです。今年は小林一三さんの生誕140年に当り、記念の展示会として、昭和29年(1954年)に阪急百貨店の6階にあったという古美術街で開催された「不昧公大圓祭」を取り上げて、そこに出品されたお道具類を集めた展示会です。
今から59年前のその「不昧公大圓祭」では、<松江からの出品物の他、逸翁が創設した充美会(じゅうびかい)や、雑誌「日本美術工芸」の協力のもとに、不昧公の好みものや、縁の作品などが展示され、逸翁もこの催しに非常に強い感銘を受け>たそうです。
書、茶碗、箱書き、茶杓、竹の花入れ、野点のイラストなどなどの作者が「松平不昧」になっています。左上チラシの真ん中の白い陶器は「呉州菱馬(ひしうま)水指(みずさし)」。中国陶器で菱形の角に2頭の馬、裏側には1頭の馬が描かれています。かなり大ぶりで、描かれた馬の絵が躍動的でした。
書は隷書という書き方で「響」という字が素敵でした。それに「春月」が絵画的な字です。+を三角に3つ書いてその下に日で「春」、月は三日月に二の字はたなびく雲のように書かれていました。学芸員さんの解説では、参勤交代の途中で大阪や京の茶人との交流もあったらしいとか。江戸生まれのお殿様が松江にユニークな文化圏を築いたということです。
学芸員さんによると最高級といわれる曜変天目茶碗などには関心を示さない逸翁さんですが、不昧公のモノとなると茶人として相通じるところがあったのかたくさん収集されていたというのが面白いと思いました。お茶券を買っていましたので、見終わってすぐお茶室の即心庵へ。
床の間の掛け軸を見てビックリ。着物か帯地に日本刺繍を施したものが掛け軸になっていました。そこに逸翁さんの歌が書いてあります。美しい着物姿の先生の解説では、「わかくさの三笠の山にのぼりゆく 三々五々の人もかすみて  逸翁」。香合は富士山の形でした。お花は竹筒の花入れに紅白の椿。
出された御菓子は桃色の桜の花びらの形をしていました。展示品のなかに「茶銘『中之白』命名文」という表装された軸がありました。この「中之白」というお茶を松江から取り寄せてのお茶会です。
一緒に席(土間の椅子)に着いた8人ほどの中で最初に戴くことになった私に出されたお茶碗は珍しい白楽(しろらく)。楽(らく)茶碗といえば、赤楽(あからく)、黒楽(くろらく)ですが、先生も、白もあるのね〜と。松葉の絵が描かれています。出されたお茶碗はどれも名品(のはず)。以前解説してもらった逸翁さんの「小心大胆」のお茶碗も出ていました。甘いお菓子の後にグリーンのお薄茶を頂いて外に。喉も乾いていたところでしたので本当に丁度よいお茶とお菓子でした。

お天気も良いし、時間も早いのでそのまま歩いて小林一三記念館の方へ。長屋門と新緑が美しい。暖炉の部屋の和服の逸翁肖像画小磯良平の作品。
今回の展示のテーマは「復興」でした。パネルを読むと戦後復興に吉田茂に呼ばれて小林一三氏はいろいろアイディアを出して尽力しています。
中央に任せるのではなく(中央で決めて押し付けるのではなく)各地方自治体が責任を持ってやるようにというのが小林一三さんの考えだったようですが、それにも抵抗があったり、古くて新しい問題です。