2日(日曜)の脱原発大集会

◆やはり参加された方の生のレポートは違います。
「特別な1日」さんの「 原発☆国会大包囲」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20130603/1370256409)によると主催者発表で8万人の人たちが国会の周りに集結して脱原発・反原発を訴えたそうです。各政党の代表たちの挨拶や、原発立地の町から参加した人たちのスピーチもあったようです。
たくさんの写真を見ると、この日参加した人たちの怒りや憤りや願いや望みが創意工夫を凝らしたアピールの仕方で表されているのが分ります。
そしてこれは報告者のSPYBOYさんの視線そのものなのでしょう、たくさんの子ども連れ、親子の姿があります。子どもたちは私たちの未来です。
こういう集まりがこの日、日本の首都であったということを、私たちは一般の報道で詳しく知ることが出来ない社会にいます。そうならば、やはり自力で情報を得て伝え合っていかなければなりません。是非、ブログを訪ねて見てください。
◇「keniti3545の日記」さんの昨日のブログでも2日の大集会を伝えておられます。コチラ「脱原発国民の願いは変わらない!」で:http://d.hatena.ne.jp/keniti3545/20130603/1370246319
◆◆写真をお借りして同じ日にあった「さようなら原発」の集会から落合恵子さんのスピーチをコピーしてみました。
「みんな楽しくHappy♡がいい♪ 2011年3月11日。その後私は変わりました。」さんが動画からスピーチを書き出しておられます。
タイトルは「原発憲法改悪阻止の二つのテーマだけで柔らかく結び付く」と付けられているように、分裂ではなく繋がろうというメッセージです。
選挙に向けて、「とにもかくにもこの時代を超えていくために、いくつかのテーマで私たちは柔らかく結び付く事がもう出来ないのですか? 出来る筈です。」
「私たちはある地方に、そこに暮らす人々に、命と安全と安心に対する犠牲を強いたまま生きてきた痛みと反省がとても強くあります。だからこそ、だからこそ結び付きたいのです。」
「あの人たちが欲得で結び付くのなら、私たちはもう一度、痛みへの想像力と共感で結びつこうじゃありませんか。」
と呼びかけています。
引用先:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3030.html

「反原発憲法改悪阻止の二つのテーマだけで
柔らかく結び付く」落合恵子さん
6/2つながろうフクシマ!さようなら原発集会


こんにちは。
毎回同じ言葉からスピーチを始めます。
元気ですか?
元気で、いて下さい。
心からお願いします。


南海トラフの巨大地震をはじめとして、近いうちに巨大な地震がやってくると、連日のようにメディアは私たちに報道しています。
その巨大地震原発の存在がなぜ別個に語られる国なんでしょう?


ハリケーンだってそうです。
テロが怖いというならば、原発の存在そのものを問いかけるところから始めればいいじゃないですか。
この国は"相変わらずの国策"をそのまま続けています。
まるで3.11など無かったかのように。


だから私たちは忘れない。
だから私たちは心に刻みます。


防衛費を増やしながら、福祉を削りながら、
事前の防災ばかり呼びかけながら、原発はそのまま。
だから、もっとたびたび私たちは抗議をしましょう。
もっとたびたび声を荒げていきましょう。


原子力発電はもとよりです。
この国を覆い尽くす"原発的な体質と構造"を破壊するまで変わらない国なのです。


福島の人々の苦しみを放置したまま、トルコに原発を売り、
さらにインドをはじめとして海外の国々を訪れている
この国の"死の商人"と"死の輸出"を私たちは容認することは、決して決して、できません。


2万人以上の人々が、家に、故郷に帰る事が出来ず、福島にいらっしゃる。
その事からも目をそらす"薄っぺらなおがくずみたいな内閣"に
私たちは、なにも、何も共感するものはありません。


心からの怒りと理不尽に対する許し難い思いを込めて、ここにもう一度約束をしましょう。

私たちは福島と繋がります。
私たちは全ての原発立地の、沢山いらっしゃっていますが、人々と繋がっています。


憲法が保障した生存権基本的人権主権在民
福島の人々にありますか!?
奪っておいて、「よくも よくも」という気持ちがあります。
私たちの痛み、そこから始めていきましょう。


まずは選挙。
前回の選挙で棄権をした多くの人々を、如何に次の選挙に呼び戻すか。
この事が大きなテーマの一つだと思います。
呼び戻す事が出来たら流れは確実に変わります。
なかなか、なかなかその道が見えないのですが、心から呼び戻していきましょう。
その方法を、できる事全てをやりませんか。


そして同時に、違いは違いです。
過去にどんな事があった事も知っていますが、
そこで別れるのではなく、
とにもかくにもこの時代を超えていくために、
いくつかのテーマで私たちは柔らかく結び付く事がもう出来ないのですか?
出来る筈です。


幼い頃に遊んだ「むすんでひらいて」の遊びを思い出して下さい。
ネットワークという言葉を、私は時に、編み物のネットワークに変えたりします。
「むすんでほどく」「ほどいてむすぶ」を私たちはできる筈だと思います。


たとえば、原発憲法改悪阻止の二つのテーマだけで、
もっと柔らかく結び付く事は可能な筈なのです。

違っていいのです。
他の部分は違っていたって良いじゃないですか。


私たちはある地方に、そこに暮らす人々に、
命と安全と安心に対する犠牲を強いたまま生きてきた痛みと反省がとても強くあります。
だからこそ、だからこそ結び付きたいのです


「人」あっての発展です。
「子どもの未来」あっての繁栄です。


「開発」という名の「発展」という名の拝金、お金お拝む。
「拝金」という名の堕落と破壊とまやかしの繁栄にもう一度私たちはまっすぐに、別れを告げていきましょう。


そしてこの鎖から私たち自身を解き放つことができるのは、
やっぱり一人一人の私たち自身であるという誇りをもう一度、素手で握りしめていきましょう。


私は私に問いかけます。
準備は出来てるかい?
「何があろうと、どんなハメ方があろうと、私は私を売らないぞ!」
この約束を一人一人が自分としていくことが大切だと思います。


私たちには権力はありません。
福島第一原発事故の後、私はずーっと対峙してきた権力が欲しいと心から思いました。
「そしたら子どもを家族を学校を地域社会をそのまま別のところに移転させることも出来るのに」と。
でも私たちには権力はありません。


それに対抗するものがなにか?といえば、
私たちには愛する者たちがいるということ。
誕生前の命も含め、血の縁だけではなく、私たち自身の共感と友情がここにあるということです。


あの人たちが欲得で結び付くのなら、
私たちはもう一度、痛みへの想像力と共感で結びつこうじゃありませんか。


以上です、ありがとう。    (写真はすべて「特別な1日」さんの3日の「反原発☆国会大包囲」の記事の中の写真です)