「九谷焼に描いたマンガ」展

一か月ほど前、両親と我が家宛てに展示会の案内が来ました。
美しい磁器の藍色と黄土色のお皿の絵に美女が描いてあります。なに?これ?です。
裏返すと「九谷焼によるまんが展」とあります。
名前は? 米谷彰能(こめや・あきよし)。従弟です。
「おげんきでしょうか。趣味が高じて作品展をやることになりました。まだ始めて一年.つたないものばかりですが、いつか見て戴ければ幸いです。」と添え書きがしてあり、福井新聞後援で福井新聞のビルの1階が会場になっています。
美しい葉書ですので食卓の横にずっと飾っていました。
2週間ほど前、コーヒータイムでの母の話です。父のOB会。父の会社は今は合併してしまったのですが、道修町の製薬会社で、IBMを導入した頃の担当部署だった方たちが何十年とOB会をやっておられ、父は最年長でずっと参加しています。そのOB会が終わったので訊いてみたら即「行く」という返事なので、千里で切符を買ってくるというのです。どうせ行くなら初日にと17日の月曜日です。夫は以前からその頃出張の予定でどうなるかと思っていたら案の定その日出発ということになり、早朝関空へという予定。じゃ、私も一緒に福井へ行こうかなと行くつもりでいました。
ところが夫は出張の航空券の手配も済ませていたのに、日本の業者の側から突然の延期。じゃ〜車で4人で行こう!ということになり、先日両親の切符をキャンセルするのに千里中央に行ったのでした。
夫は、一泊岩登り。今年は教える立場です。土曜日に降った恵みの大雨のあと岩登りをして帰った翌日の昨日、片道220キロのドライブ、大丈夫?と母が心配しますが、夫は大丈夫のようです。10時頃出発しました。滋賀県を走って北陸自動車道への分岐点米原(まいばら)に近づくと今日は薄っすらといつもの伊吹山が見えます。

北陸自動車道を福井で降りて、市街地に向かってしばらく走ると裁判所が見えて、その隣にビルがありました。従弟が出てくれて駐車場に案内してくれました。会場は新聞社ビルの一階のカフェの中。従弟の父親、私の父の弟、が喫茶のテーブルで座って待っていました。私の叔父ですが、父の末の弟で婿養子に出ていますので苗字は違います。
従弟の話ですが、「小さい頃漫画ばかり描いて勉強しなかった。その後成人して30年間は仕事していたが、サラリーマン生活を止めて父の仕事を継いだら閑、その閑に趣味に始めた九谷焼の絵付けで、昔の漫画が甦った」のだそうです。私が覚えている従弟は大きなバイクで九州をまわってくるという途中で箕面の伯父さんを訪ねてきたときのライダー姿の従弟と、あとは写真を始めましたといって夫のパソコン画面でみた素人離れした写真です。そうそう、夫の最初の会社の同じ社員で、イタリアへご一緒したF氏の開発部の部下でした。技術畑だったのですが、F氏の話では「絵は上手かった」そうです。
さて作品は予想外に素晴らしいものでした。丁度絵付けの指導をされたというワンピース姿の堀江先生がおられて直接お話を聞くことが出来ました。「とにかく始めて1年でここまで描ける人はいない。先生顔負けです。描いた通り絵になるのではなくて、仕上がりを想像して書かないといけないので難しいのに」と絶賛でした。先生は「出藍の弟子」との2人展を楽しみにしていると仰って退出されました。
後でわかったのですが、堀江さんというのは父の実家のお向かいの茶碗屋さんでした。大昔、父の実家と母の実家を行き来して叔母や従兄弟姉妹たちに囲まれて遊んでいたころ、ベンガラ格子の城下町の通りのお向かいさんだったということです。そして、私の記憶の最初は、福井の大地震大聖寺の父の実家が倒壊。再建の時、母の実家から何人も応援にかけつけ、全壊した家の後に大きな柱が空にそびえ立つのを見た覚えがあります。Wikipediaで調べると昭和23年、私4歳のことでした。加賀の大聖寺福井県寄りですので被害が大きかったようです。この地震の時、道路が波打ったという親戚の話をよく覚えています。

福井地震(ふくいじしん)は、1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸から北近畿を襲った地震である。福井大地震ともいう。

震源福井県坂井郡丸岡町(現坂井市丸岡町)付近。戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震。規模はM7.1。

発生当時戦後最多となる死者・行方不明者 3,769人を出し、大正関東地震関東大震災)、兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)などと並ぶ、日本の災害史上最悪クラスの震災となった。2011年現在も東日本大震災阪神・淡路大震災に次ぐ戦後3番目の規模の震災である。死者のほとんどが、当時あわせて人口20万余りにすぎなかった福井市坂井郡(現坂井市)に集中しており、その被害率(死者は人口の1%超)は、日本の近代史に他例を見ない。
丸岡城丸岡町)倒壊。 北陸本線細呂木駅、金津駅(芦原温泉駅)が倒壊。 地震振動で堤防高も沈下し、その後の九頭竜川決壊につながった。 大和百貨店福井店、全壊。

絵葉書になっていたお皿「リュウグウノツカイ(=竜宮の使い)」は「奨励賞」をもらったのだそうです。
自宅に電気釜を買って、作品制作に自宅で集中してできるようにしているとか。


テーブルの上には小物が飾ってあります。猫のペン立て。タランチュラ、クラゲ。展示会を決めたのが去年の8月。それから毎月絵皿2,3点くらいのペースで展示会にこぎつけたそうで、作品が溜まってからでは出来なかったとか。これが済んだらしばらく休んで・・・とも。
本人は、伝統的な九谷焼にマンガを描いて・・・とちょっと気遅れ気味の作家さんでしたが、伝統的な絵柄と色彩をマンガでというのは面白いし、何より美しいのが良いと思いました。よく見ると細密に描かれた絵はおどろおどろしい場面でもあるのですが、精緻な筆致が静かで美しいと感じます。また伝統的な絵柄くずしのようなものは新しさが味わいの違いとなって面白いし。(上の右の写真、右端の両手を上げてポーズしている雌猫のペン立て、私が予約しました)
「本展について」より:郷土の誇り九谷焼ですから、その伝統を受けた絵が描ければいいのに、若かりし頃のマンガのクセがぬけず、正直なところお恥ずかしい限りです。それでも古九谷の青手や五彩手と言われる青(緑)、紺青、黄、茶、赤など限られた色を用いた絵、文様は、制限が大きいという点でほとんどが墨一色で描くマンガと相性がいいように思います。また制限が工夫へとつながると思えるのが楽しいものだと思います。そこで、「こうなったら九谷焼に描いたマンガだぁ〜」と開き直ったのが本展というわけです・・・

趣味で始めた手慰みが先生のご指導であれよあれよという間に個展となり、作家デビュー? 一番戸惑っているのは本人さん。写真をお披露目しておきましょう(ピンボケですが・・・)。
値段をつけるのが一番困る。今のところ石川県の1時間の最低賃金にかかった時間数を掛けて、あとは材料費とかを加えて・・・それでも、こんな値段!と呆れられるのではと弱気。小物作品には裏の値段に売約済みの丸囲いが。夫は初個展のお祝いに気に入った絵皿を予約していました。父も小さ目のお皿で気に入ったのがあり、それを。別に小物でほしいのがあり、一部破損があるのでとお安くしてもらい特別扱いでお持ち帰り。今朝のコーヒータイムに父が持ってきて見せてくれました(→)。3時半、会場を後に、従弟と叔父の見送りを受けて4人で車に乗り込み、帰途に。