金曜デモと新聞記事から(放射性ヨウ素と元検事総長死去)

◎官邸前の金曜デモが続けられています。今回も恒例の「特別な1日」さんのブログへどうぞ:「 ★0621 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議! 首都圏反原発連合」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20130628/1372431502
昨日はコンサート前30分だけの参加ということですが、たくさんの写真で官邸前の老若男女様々のデモの様子がわかります。
それと「米最高裁同性婚の差別は違憲と判断』」というタイトルで、最後に「今先進7か国で同性婚がまったく認められてないのは日本だけ だという。ジェンダー問題の後進国だ、いつの間に。」と書かれているのが、とても興味深い内容です。


◎木曜日の讀賣夕刊に載った記事:

原子力機構 事故20日後の推定図 放射性ヨウ素 北西・南へ拡散


 日本原子力研究開発機構は16日、東京電力福島第1原発事故で放出された放射性ヨウ素131が地面に降った量を推定し、事故から約20日後の分布図を公表した。原発から北西方向に広がったセシウムと比較すると、ヨウ素131は北西方向に加え、原発近くでは南方向にも降っていたとみられる。事故直後の被爆の実態を知る手がかりになるという。
 甲状腺にたまりやすいヨウ素131は、甲状腺がんとの関連が指摘されている。しかし、半減期が8日と短く、事故直後の汚染状況がよく分っていなかった。
 原子力機構は、航空機で測定した放射線量などから、地表に降ったヨウ素131の量を推定する手法を開発。2100年4月に米エネルギー省が航空機で測定した地域のデータをもとに分布図を作成した。
 ヨウ素131が1平方メートル当たり300万ベクレルより多く降った地域は、原発の北西方向に加え、原発から10キロメートル圏では、南方向にも広がっていた。原子力機構は、ヨウ素を多く含むガスが風によって南に拡散した可能性が考えられるという。
 学習院大の村松康行教授(放射化学)は「事故直後の被曝実態を調べる上で、当時のヨウ素131のデータが得られたのは意義がある。今後は他の研究とも組み合わせて、さらに被曝線量を推定する精度を上げる必要がある」と話す。

◎もう一つの記事はロッキード事件の主任検事を務めた元検事総長の吉永祐介氏死去を伝えるニュースです。
←こちらは日経土曜日朝刊。
→こちらは金曜の讀賣夕刊の一面と関連記事の18面です。
「名実ともに『特捜検察』を象徴する存在だった」というのが評価です。
私の場合、ロッキード事件といえば思い出すのは、六甲に住んでいて、上の子が幼稚園時代の頃のこと、送り迎えにラジオの国会中継をイヤホーンで聞きながら歩いていたことがありました。一国の総理大臣が裁かれているというとんでもない事態。アメリカのコーチャンがでてきてアメリカで証言するとか、田中総理が「よっしゃ、よっしゃ」と言ったとか。そして、それは今ではとっても苦い記憶になっています。政治と裁判とマスコミが一体となった時、無批判に受け取る個人は、感情的にも全く同じになってしまうという体験です。あれは何だったんだろう・・・と嫌な記憶として・・・
今朝の「生き生き箕面通信」さんが、見事に私の嫌な記憶を解説しておられます。あれが原点だったか…という思いです。「検察・司法ファッショの元を作ったのが、吉永・元検事総長ではなかったですか」(http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/b165a1e5125f04c147b1727118545f5d)からコピーです:

 吉永氏に対しては、僕は真逆の評価をします。今日の司法・検察ファッショの起点となった人物とみなしています。

 吉永氏は、田中角栄総理(当時)を逮捕して総理大臣の座から引きずり降ろした時の主任検事として、ロッキード事件全体を指揮しました。


 この時に使ったのが、「嘱託尋問」という方式でした。この方式は、田中氏が死去したあとになって、最高裁が違法と判断したいわくつきの捜査手段です。



 吉永氏をトップとする捜査陣は、アメリカにいるロッキード社のコーチャン氏らを尋問することが欠かせなかったのですが、アメリカにいるコーチャン氏を取り調べることはできず、このため日本の刑事訴訟法では認められていない「嘱託尋問」をアメリカの裁判所に要請、証言を取りました。


 これを実行するために、日本の最高裁は、「証言を理由に公訴されることはない」という宣明書をわざわざ出したほどです。最高裁判例では、「検察官の不起訴(起訴猶予)の約束に基づく供述は証拠能力がない」となっていたにもかかわらずです。それを自ら破って”取り引き”を可能にさせたのです。


 つまりこの時点で、田中氏を有罪にするために、検察と最高裁が手を結んだといえます。はじめに「有罪ありき」の捜査を可能にする道を開いた”画期的な”先例をつくったわけです。

 
 事実、田中氏を刑務所に拘束しました。検察を司法は異例の違法な手続きをむりやり押し通して、「時の総理大臣」をお縄にし国民のヤンヤの喝さいを浴びました

 この流れに、当時のマスメディアは一緒になって喝さいするばかりでした。もともと検察の捜査のしりをたたき、総理を追い詰める空気を作るのにやっきになったのがマスメディアでした。


 田中金脈事件は、検察、最高裁、マスメディアがあおり、それに洗脳された国民も一体となって、一人の政治家の政治生命を葬った事件と総括できます。 「検察・司法ファッショ」はその後もいつでも発動できるうずみ火として、日本社会の中にインプットされたのです。


 そして、それは「小沢事件」として、再びかき起こし燃え盛らせて、小沢氏を闇に葬る流れを現出しました。

 「巨悪は眠らせない」は、自分たちのいかがわしさを覆い隠す”名言”なのです。吉永氏がどんな気持ちで人生の幕を引いたのか、でき得るならば聞かしていただきたいものです。