物言えぬ福島と福島キッズin鷹栖(北海道)

◆「みんな楽しくHappy♡がいい♪」さんから、少し前の記事になりますがコピーしてみます。
<物言えぬ社会>「判断する能力、考える能力、怒り、勇気、熱意、 そういうものを日本の社会と日本人が失ってきた」岡山博先生(引用元:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3155.html

物言えぬ日本社会の中で失ったもの
岡山博医師(仙台赤十字病院呼吸器科、東北大学臨床教授)
2013年7月29日 衆議院会館
ティモシー・ムソー講演会「福島における動植物の変異とチェルノブイリとの比較」にて


― 前略 ー


私は仙台ですが、
事故のあと、小さい子どもを持つお母さんたちがいろいろ心配しても、
学校から言われることは「安全だ、安全だ」
しかしどうも真面目に考えると安全ではない。
しかしそういうことを話題にあげる人がいない。という事でみんな孤立しちゃうんですね。


それで、そういう人たちがどんどん、どんどん集まってきて、
20位グループが出来て、それでいろんな事を始めたんですが、


「学校の給食も危ないから測って欲しい」今測らないんですね。
じゃあ、「測らないんだったら弁当を持っていきたい」って言うと、
「給食は教育だから、そんな勝手は許さない」
牛乳は止めたいから水筒を持っていくと、アレルギーがあるからと水筒を持っていくと、
「牛乳飲まないのは良い」と。
だけど「水筒を持ってくるのはダメだ。学校の水を飲め」と言って、
水筒の水を捨てさせるんですね。

それで、「じゃあ測って欲しい。測らないんだったら自分たちで測ってもいいか」というと、
「持ち出し禁止だ」というんです。

それで、持ちだして測った人に対しては、これは窃盗扱いですよ。


それからそこの担任は、別に担任があおったわけでも何でもないんだけど、
「あなたが不安をあおるような事をなにか言ってませんか」といって、教育委員会から注意です。
この注意というのは法的な中身があってね、3回やると処分なんです。


それで今、学校の先生はどういうふうになっているかというと、
ほとんどの先生は関心ない。
もう、関心がある人はとっても辛いです
こんな給食を食べさせるという事を強制したくない。
だけど給食教育という事で全部食べる事を点検する。
それから「食べなさい」と言う事を命じられる。


それで「給食も含めて放射能の事を考えます」と言いたいけれども、
放射能のことを話題にすると、生徒も親も不安になるから、教師ごとに違う事を言ってはいけないと。


もう戦前と同じなんです


学校で教師が「言ってはいけない」という事を言われるとか、
「言いたい事を言ってはいけない」というところで子どもが教育されて、
このようなことも恐ろしいことだと、私は考えています。


そして、今度の事故が起きたことの背景には、物言わぬ社会というものがあるんだけれども、
これに懲りて良くなってきているか?というと実は逆で、
ますますもの言えない社会になっていっている。


これ、外からみたら「とても日本って不思議な世界だ」と思うと思います。
こんな事故を起こしたのに、一番それを推進してきた人たちが一番いま威張っている。


これはいろんな考え方があるんじゃなくて、
まともに考える意思と熱意と能力と、どんどん人の社会は失ってきたんじゃないかと


私はここを何とかしないと、原発の問題だけじゃなくて、
同じような背景の問題がどんどんどんどんこれからも出てくる。
いま、日米の問題なんかもそうだと思うんですね。


という事があって、
学校の先生が、あるいは親が、自分の子どものために給食の話題を家族でする事が出来ない
そういうところまで教育がおこなわれている。
という事を私は一緒に話題にしたいと思います。

◆◆さて、北海道の「おとじろうとらいるのひび」さん、7月30日に福島の子供たち29人を迎えて6日目。ホームステイ先の家族と一緒の写真を紹介。
素晴らしい笑顔をコチラで:http://blog.rairu.com/?eid=1258
おとじろうさんのコメントを引用しておきます:

福島キッズのきっかけは、『原発事故』です。夏休みの間だけでも、こども達に「放射能の心配のないところで生活してもらいたい」という想いでした。福島を離れ、生活している家族もいます。福島で生活し続けている家族もいます。事故から2年以上たち、その置かれている複雑な状況は、想像はできても、そこにある『想い』の複雑さは、想像の及ばないところにあるような気がします。そういう意味では、気にすることはできても、何をしたら良いのか、途方にくれてしまいます。でも、『福島キッズ』に関わりながら、「何かをしたい」と思う人達が、身近に多くいることを知らされました。関わるきっかけは、本当に様々だろうとは思いますが、関わった人達の笑顔をみて、「福島で起きていること」が決して他人事とは感じられない何かを抱えていたのだと感じることができました。