金曜デモと新大久保のデモ(「健全な民主主義は日本の誇り」)

大阪でも昨日の夜から大雨になり、やっと半月以上も続いた猛暑が今日は一段落、少し涼しい(29℃)朝を迎えました。
昨日の金曜デモ、雨を心配しましたが、「特別な1日」さんのブログではセーフだったとか。ブルネイのTPP閣僚会議が共同声明を出して終わりました。アメリカが「年内妥結」を強行に求めて、日本が追随しているように見えますが、昨日のアンカーでは森田実氏が、中間選挙を控えてオバマ大統領がどうしてもTPPで成果をあげたいからだと解説していました。
今回のブログのタイトルは:「夏の終わりにTPPについて、少しだけ考えてみる:★0823 大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議!」http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20130823/1377268489
タイトル通りTPPについて触れておられます。TPPの問題点、冷静に考えてみると・・・ということと、デモ参加者の写真にそえられた記事がとっても考えさせられます。私は汚染水問題で少しデモ参加者の数が増えるかなと思ったのですが、関係なかったようです。と言ってる自分が関西の金曜デモに出かけていないのですから、他人任せで言えたことではありません。

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ところで、久しぶりにとっても嬉しいニュースを見つけました。「Various Topics」さんの<『新大久保の痛い人達』に立ち向かう人は最初10名、今2500名>です。

ニューズウィークの記者が、新大久保の嫌韓デモ現場で目撃したお話を記事にされています。

余り長くないのでそのままコピーさせていただきます。コピー元(http://afternoon-tea-club.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/08/102500_cf9d.html

ニューズウィーク (2013年8月17日)

嫌韓デモの現場で見た日本の底力
By レジス・アルノー

http://www.newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2013/08/post-715.php


 6月30日、私は最近話題になっている嫌韓デモに行ってみた。このデモは東京の新大久保で何年も前から、毎週日曜日に行われているものだ。私は不安を胸に家を出た。自分の身も心配だったが、新大久保の人々のことも、日本の対外イメージのことも心配だった。


 実は新大久保はサンフランシスコのチャイナタウンやパリの日本人街と同じような「観光スポット」だ。外国人にとって、新大久保のコリアンタウンを歩くことは伊勢丹新宿店の地階と同じくらい楽しさと驚きに満ちている。伊勢丹が日本がいかに洗練されているかを示しているとすれば、新大久保の街が示しているのは日本が外国人に対してフレンドリーで開かれた国であり、他国の文化が生き生きと存在できる国だということだ。


 だがデモのせいで、新大久保は日本が外国人にとっていかに不快な国になり得るかを象徴する場所となった。嫌韓デモの数百人の参加者は自らを愛国者だと考えているのだろうが、実際は日本の力をそいでいるに等しい。憎しみをまき散らすデモ隊の存在を許すのは日本の恥だ。


 新大久保で店を営む在日コリアンは、税金を払って日本政府の財政を潤している一方で誰の脅威にもなっていない。だが「朝鮮人を殺せ」と日本人の誰かが言えば、それは日本という国を自ら攻撃していることにほかならない。こうした発言はジャーナリストや一般の人々によって世界中に伝えられると考えていい。そして日本のイメージにも、尖閣問題や東京への五輪誘致における日本の立場にも悪影響を与えるだろう。アメリカやフランスも、外国人居住者や韓国系の自国民をきちんと守れない国の側になど、簡単に立ちはしないはずだ。


 私は不安を胸に家を出たと書いたが、帰宅したとき、私の心は喜びに満ちていた。在日の人々は決して嫌韓デモの挑発に乗らない。だからこそ約2500人の日本人が彼らを守るために自発的に集まり、嫌韓デモに反対するデモを行っている。また、警察は嫌韓デモ隊が新大久保の中心部に入ることを許さなかった。彼らは自らの任務を果たし、私にはジャーナリストの仕事をすることを許した。


 感動の瞬間を何度も目にした。反対デモの人々に「本当にありがとう」とささやいていた在日コリアンの姿もあった。普通のサラリーマンや学生、OLが一緒になって嫌韓デモ隊に立ち向かい、「差別反対!」と叫んでいた。私から見ればこの人たちこ<そ、真の愛国者。彼らは日本の名誉を守っていたのだから。


 健全な民主主義は日本の誇り


 このうち1人はフタミさんという法律を学ぶ学生で、以前から嫌韓デモへの抗議活動をしてきた。彼は多くの日本の若者が忘れている政治参加の尊さを身をもって示していた。「最初は10人しかいなくて、警察の車に守ってもらった。それが今では2500人だ」と彼は言う。

(後略)