父の一時帰宅と「原発ゼロの歴史的瞬間?」(鎌田慧)

◎今日木曜日は、8月に病院に入院その後「介護老人保健施設老健)」入所の父が2か月ぶりに一時帰宅する日です。
老健から3人の方が車で父を連れてきてくださいます。バイクでケアマネジャーの女性が先に到着。外に出た母と私とご挨拶を済ませて車の到着を待つことに。夫も気が気でなくて、ウロウロ。そのうち、車到着。車椅子の父がスロープを降りてきます。門を開けて、玉砂利を見たリハビリ担当の方が、「車椅子から降りて手を取って歩いたほうが良いな」と仰って、『かなりの距離(2,3m)だけど大丈夫?』という家族の心配する中、手を取っていただいて父が歩いて玄関へ。へぇ〜こんな距離歩けるんだぁ〜!?と私たちはビックリ。いつも車椅子姿で、母が「歩けるの?」と聞くと、「普通に歩ける」と済まして答える父の言葉に、「じゃ、歩いてみて」と試すワケにもいかず、私たちは誰も信じていなかったのです。
応接間兼居間の父の定位置にある椅子に腰かけた父に、係の方が「久しぶりに帰った家はどうですか?」と聞いておられます。父がどう答えたのか・・・大人が7人で取り囲んでいますので後ろにいた私には父の表情も言葉も見えず聞き取れずでした。みなさん、ちょっと興奮状態。リハビリの成果が、老健の方たちも予想以上だったみたいです。キッチンやトイレや浴室への道筋の手すりが必要かどうか、どういう形状の手すりをどの位置にすればよいのかなどを話し合われています。そのうち、「2階にも上がってみますか?」と言われるので、「そんなことできるの?」と半信半疑。「3,4段の階段の上り下りの訓練はしていますので」と言われます。
しばらく休憩して2階へ。階段を登れるのです!! 全員が2階へ上がることに。6畳の和室の奥が仕事を辞める70歳直前に増築した天井の低い小さな父の部屋になっていて、そこにはトイレもあります。「パソコンやっておられるのですか?」と言われました。ここ1年近くは触っていませんが、写真の整理はパソコンでやっていましたし、年賀状の印刷もやっていました。老健でパソコン教室があるのですが、父はお習字を選んだようです。
帰ってきても当面はベッドを借りて1階だけの生活ですので、直ぐにというわけにはいかないかもしれませんが、慣れてくれば又2階に上がって自分の部屋にこもれる日が来るかもしれません。下りは、同じような姿勢で後ろ向きに降りるのが一番安全というリハビリの方に、夫も山でも危険な下りはその姿勢ですと話しています。手すりをもう一本つけた方が安心ということになりました。
下の部屋で、この分だと、3か月の予定を少し早めて11月中ごろには帰ることもできると言っていただけました。皆が一番心配していたお風呂も、風呂場に必要な用具を揃えて介助があれば自宅でもOKということでした。これだけの人たちに関わっていただいて、車椅子で立ち上がるのもやっとだった父が1か月少しでここまで回復できるとは本当に驚きでした。有難いことです。老健にしてよかったと夫も口に出して言っていました。私も本当に良かったと思いました。あと一息です。

●今日も続けて、<「さようなら原発1000万人アクション」2013年10月13日 No Nukes Day 原発ゼロ☆統一行動 -福島を忘れるな・再稼働を許すな->でのルポライター鎌田慧(さとし)氏の講演を「みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました。」さんから:「いまちょうど私たちは歴史的な瞬間に立ち会っていると思います。 どういう瞬間か?と言いますと、原発をゼロにするという瞬間です」 10/13鎌田慧さん(文字起こし)

原発は建設過程の中から、ウソと金と脅しでつくられてきたということを
ずっと私は一貫して主張し続けてきました。
原発は民主主義の反対にある、対極にあるという事を言ってきたんですけど、


原発事故が起こっても全くその体質は変わらない。
ウソと金と脅しでやっていきます。
再稼働もそれで乗り切ろうとしています


とにかく「安全だ」「安全にする」「金を払う」
それから「電力不足である」「経済的にダメになる」
そういうウソをずっと続けながら、まだ同じウソをやっているというのは、
私たちの反対運動がまだまだ力が弱いという事を示している訳です。

いまちょうど私たちは歴史的な瞬間に立ち会っていると思います。
どういう瞬間か?と言いますと、原発をゼロにするという瞬間です。


これだけ嘘で繋いできた原発を、とにかく私たちの決意によって原発を無くしていく。
全く原発のない平和な社会にしていく。
そういう歴史的な時代に私たちは生きています。

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