金曜デモと美智子皇后

昨日の金曜日も官邸前金曜デモは行われ、「特別の1日」さんのブログ主のSPYBOYさんは参加、その様子をブログの記事にされています。私はちょうど蛙のアンテナで☆句の無限遠点☆さんの記事を読み終わってから、金曜デモの様子をと「特別な」さんを訪ねました。
[山本太郎氏の天皇陛下への手紙](蛙)⇒[山本太郎氏の手紙から美智子皇后水俣病](俳愚人)⇒[手紙から新潟県巻町の体験そして美智子皇后のことば](SPYBOY)と、私の中でつながってしまいました。今日はそのことをブログの記事にしてみたいと思います。

まず、恒例の官邸前デモのレポートを今回はこういうタイトルで:「複雑さに『耐える』:★1101 再稼働反対!首相官邸前抗議!」http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20131101/1383315967
このタイトルの「複雑さに耐える」という言葉が美智子皇后の言葉です。

毎回、デモの様子の報告と写真に入る前の色んな時事問題についてのSPYBOYさんの考察がなかなか読みごたえがあって楽しいのですが、今回は過去の体験について語っておられます。それが、<1995年、日本で初めて、住民投票によって「我が町に原発は不要」という決断を下した新潟県巻町>のことで、今はこの町は新潟市の一部だそうです。
▼「この時ネットでグリーンピースが『今度の月曜に実施の有無がきまるので巻町の町長宛にメールを送ろう』という呼びかけをやっていた。土曜日にそれを見て、組織に関わるのは嫌だけど、冷静に文章を書くことならボクにもできると、ボクもメールを送った。」 週が明けて月曜、町長は住民投票を実施することを決断した。そのあと原発の建設が止まったのは上の記事の通りだ。地方紙によると住民投票の実施を発表する際 町長はこんなことを言っていたそうだ。『この週末、全国から50通くらいメールが届いた。それを読みながら良く考えてみた』。
▽そして、SPYBOYさんはこう考えます。「今ほどネットが広がってない時期だからメールがもの珍しかったせいもあるし、何よりも町長さんは見識がある人だった。だから、こんなやり方が常に通用するとは思わない。だけど、各自がやれることをやっていけば出来ることがある、というのはボクの中に体験として残った。」
美智子皇后のタイトルの言葉については、11月31日朝日新聞朝刊「論壇時評」の作家高橋源一郎氏が美智子皇后の講演での言葉を紹介した件を取り上げておられます。

読書は人生のすべてが、決して単純でないことを教えてくれた。私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても、国と国との関係においても』。

(税金がもったいないと思うのでボクは天皇制はきらいだし、皇后がそんなことを言ったのも全然知らなかったけど、大変示唆に富んだ発言だと思う。はっきり言って、この人、やるな(笑)」。

▽そして、皇后様の「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」という言葉から、SPYBOYさんはこう考えます。             

今の世の中は、ものすごいスピードで色々な出来事が起こり、色んな人の色んな利害が複雑に絡み合っている。それを単純化するためにキャッチフレーズやデマ、陰謀論が飛び交っているし、政府や役人、それに左右を問わず政治家自らそういうものを吹聴していたりもする。そういう『単純な結論』に身を任せてしまうのは簡単だ。だけど、それでは複雑に絡み合った問題は解決しないだろう今の世の中で本当と思えることを見つけるためには、ボクらは複雑さに耐えなければならない。世の中の仕組みや人々の利害の複雑さを解きほぐすことに耐えて、心の底から本当だと思えることを探していかなければならない。                         


                                            
                                       
その論壇時評の左脇の記事で小熊英二氏が『原発反対の民意が強いがゆえに、今現在 日本は結果的に脱原発を実現できている』と述べている。これも確かにその通りだ。


そのことを考えても、巻町のことを考えても、原発を止めることについてボクは楽観視しているところがある。ボクが生きている間は原発を止めることはできないかもしれないが、個人がやれることをやっていけば、多少なりとも世の中を変えていくことは出来るのではないか。あとは複雑さに耐えうる個人個人の意志の問題だ。

▽▽デモの様子は是非ブログを訪ねていつものようにヴァーチャル体験してみてください。
私が注目したSPYBOYさんの一言は「この人、やるな」という言葉でした。
私の体験もよみがえってきました。箕面福祉施設を訪れる天皇皇后両陛下の車列を、気の進まない私がたまたま今は山口にいるWさんのお宅でWさんのお琴の先生でビーズの先輩でもあった方と一緒にお茶を飲んでいたら、近くだから見に行こうと誘われて、見に行った時のことです。
物々しい人払い車払い、空にはヘリコプターが飛んで、新御堂のドン突きに迎えに出ている人もまばらでしたが緊張感がただよっていました。車の中で手を振っておられるお二人を初めて見ました。特に美智子皇后の美しさはテレビを通してみるのではわからない美しさでした。戦後の憲法で決められた象徴天皇の役割を天皇皇后両陛下は懸命に体現しておられます。国民とともにあること、弱者やマイノリティーを決して国民の中から外さない努力。私はこの日から現憲法天皇制を含めて初めて理屈ではなくて有難いものと思いました。
▼▽▼そして、☆句の無限遠点☆さんで紹介されている美智子皇后水俣病、「苦海浄土」の著者で、高齢と病をおしてなお社会に発信し続けておられる石牟礼道子さんとの交流についてのエピソード(東京新聞)は、山本太郎氏の手紙をことさら政治問題に仕立てあげようという人たちにとっては無縁の世界です。この社会にあって今ここ数十年の原発政策の報いを私たちに代わって一身に引き受けなければならない福島の人たちへの両陛下の思いは、水俣と通じ合っていると思います。
是非コチラで山本太郎手紙事件より、官僚右翼は皇后の崇高な精神にうたれよ」http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20131101/1383313507
写真はカナダのSさんに貰ったアンティークのクロスステッチ。真ん中は今は亡き斜め向かいの大先輩さんから海外旅行のお土産に戴いたもの。下も戴いたスイスのハンカチ。