伏見人形の色紙

日曜日の午後、カナダのSさんが、2日後の離日を控えて、3回目の我が家訪問でした。今回は、10月末から足掛け3か月、実質1か月半ほどの滞在で、4回も会うことになりました。一度は寄宿先のお宅で。二度目は彼女の実家での母親の三回忌の法要の帰りに、我が家は外壁塗装工事中でした。三度目は4人でランチの集い。そして最後の四度目が日曜のお昼下がり。
彼女とは小学校、中学校、高等学校と一緒でしたが、その間、クラスは一度も同じではなかったのです。
でも、小学校時代にお絵描きを習っていて一緒でした。3人姉妹の長女だった私に母は絵を習わせてくれていました。滝道の途中、現在昆虫館のある辺りに、バンガローが沢山ありました。その一番手前の山小屋に画家の先生一家が小屋番で住みこんでおられて、二人でそこへ通っていました。
高校時代、二人とも絵を選択して、授業が終わった後油絵を描いたりしていました。彼女は、大学受験も絵で受けることにして、デッサンに通ったりしていましたが、私は別の方向に行くことに。その時、彼女を見ていて絵が好きというのはこういう事…と思ったことを覚えています。それからは全く会うこともなく、彼女は京都の芸大を卒業したらそのままカナダに行ってしまったと風の便りに聞いてはいました。
結婚して、沼津、加賀市、神戸を経て、実家の隣に家を建てて戻って来た頃、一度、彼女の鉄の彫刻?作品が箕面文化施設の前に建てられるというので同窓仲間が集まったことがありました。その後又数年して、彼女は、年老いた母親が気がかりだからと一時帰国して、日本で職に就くことになり、京都の長岡にアパートを借りて、大阪芸大の講師として働くように。その頃、私は周りの方たちを誘ってサロンのような読書会のような勉強会のようなものをしていました。そのメンバーと、年一度集まるクリスマス忘年会に彼女もお誘いするようになりました。それからのお付き合いが今に続いています。
10年ほど経って、いつまでも講師でいても、日本では年金も出ないと、老後のことを考えて25年以上も大学で働いたカナダに戻る決意をされました。そして年に1,2度日本に帰ったりしているうちに、弟さん夫婦と同居していた母親が施設に入り、昨年、亡くなられました。今年、法事の後、我が家に寄った彼女は、姉と弟が急に老け込んだとガックリしていました。姉とも弟とも疎遠で、特に弟さんには理解してもらえないとこぼしていた彼女を見て、「戦闘意欲、失くした?」と冗談交じりに訊いてみました。ピッタリだったらしく、彼女も「そう、スッカリ戦闘意欲なくしたゎ。可哀想になってきた」と。彼女は弟さんと”闘って”いたんですね。
先日の日曜日、最後に会った日は、「弟も、母を亡くして、淋しくなったみたい」と仰るので、「そう、そんな話が出来るようになったの、良かったじゃない」と私。「親が亡くなったのをキッカケに兄弟姉妹、けんか別れみたいになっている例をたくさん知っているので、逆に仲良くなれるなんて幸せよ〜」と私。「まだまだ、そこまでいかないけれど・・・」と言いながら、いつになく明るい表情の彼女。私も嬉しくなってきました。
弟さんと残された掛け軸とか色んなものを片付けながら、もらってきたのと、黒い焼き物の器を取り出されました。抹茶茶碗にしては一回りも二回りも小さい真っ黒なお茶碗。置いていく、と言われるので、いいわよ、預かっても、と預かってあります。
そして、取り出されたのが、色紙でした。彼女が描いた、伏見人形の絵です。
ふっくらした御顔が可愛い。桃の花か、桜の花の蕾かな・・・。