情報は誰のもの?(民は由らしむべし、知らしむべからず)

特定秘密保護法の問題点を「情報は本来その国の国民のもの」という原点から指摘された記事をここに:発言者はアメリカのハルぺリン氏です。

 「世界の基本原則では、政府が持つ情報はその国の市民のものだ。安全保障など特別な目的で情報の秘匿は可能だが、非常に狭く精密な限定をかけねばならない」


 「運用には司法の監視が必要で、開示による公益が勝る場合は秘密にできないという決まりも要る。法案にそれらの規定が全くない。秘密指定が解けた後に廃棄されれば『情報の所有者は国民』の原則に反する」

 
これらの考えは今年6月公表の「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則(ツワネ原則)」でも規定された


 「日本はなぜ国際基準から逸脱するのか、政府は国会採決の前に説明しなければならない。民主主義社会の義務だ」(引用先:http://www.47news.jp/47topics/e/247843.php

ところが、今の自民党政権の安倍首相はじめ閣僚の皆さん、あるいは党の石破幹事長は、この世界の常識を御存知ないようです。そして、日本は昔から国家の情報・機密は国家のモノでやってきた実績があります。公にしない、見せない、隠す、勝手に処分する、焼却処分が当然みたいな時代がすぐそこというより今もです。
民は「よらしむべし、知らしむべからず」(*)でやってきたことが、今なお自民党の国会議員さんの中には生きているようです。経済のグローバル化とか、国際競争力とかに一生懸命で負けたくなかったら、世界の情報公開や人権問題の趨勢や国際基準にも関心を持って取り組んで頂きたいものです。
◆「shuueiのメモ」さん10日の記事「戦時法制に逆戻り、危うい特定秘密保護法」から、今必要なのは”公文書管理法と情報公開法”の改正だという記事です。出だしから途中まで:

戦時法制に逆戻り、危うい特定秘密保護法
狙いは日米安全保障の実態報道の制限

福永 宏 :東洋経済 記者

2013年12月08日



情報公開は欠点だらけ

日本という国はそもそも、国民の知る権利という観点から見ると、先進国の中では非常に遅れているたとえばわが国の情報公開法には、次のような大きな欠点がある。


第一に、開示情報の範囲が狭い。その結果、開示された公文書のコピーは黒塗りだらけとなる。


第二に、開示手数料が高い。その経済的負担が開示請求への抑止力となっている。


第三に、開示決定までの期間が長い。


第四に、不開示決定の場合、その理由が開示されない。


日本では公的な記録を保管官庁が裁量で破棄したり、隠したりするケースがかなりある西山事件の極秘電文も現在、不存在ということになっているが、破棄されてしまった可能性が高い。


重要な会議でも、議事録を取らないケースが存在する。東日本大震災原発事故への対応を決めるいくつかの重要会議で議事録が取られていなかったことは問題となった。


古い話では、1945年8月、日本がポツダム宣言の受け入れを決めた直後、後世に残したくない、あるいは連合国に見られたくない大量の公文書が軍によって焼却されてしまったことが有名だ知られると困る事実を闇に葬るのも“国家権力の常”なのである。

◇全文はコチラで:(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20131210/1386620136
◆同じく、日本の情報公開に問題ありという「句の無限遠点」さんの11日の記事、「ヨーロッパ諸国は秘密情報は公開強化修正法案へ−悪法秘密保護法成立」の途中から:

日本ではアジアの非民主国家へ移行して、中韓と同じ土俵で競わんとしていますが、ヨーロッパの趨勢は日本とは全く逆です。


安倍政権がいかに奇怪な政治集団か世界が不信を募らせています。


そして今日は自民党NO2石破幹事長が、本音を漏らしてあとで訂正発言をしています。
秘密を漏らした公務員とともに、入手した報道機関は共謀で処罰される、ただし前提は公益性に反していると司法が判断されればという意味のことを記者会見で発言。


あわてて数時間後に、報道機関は処罰されないと訂正。ただ公益に反しているかどうかの判断は報道機関の常識と、発表するのは勝手だがそれは報道機関のリスクであると述べて結局自己規制しろと言わんばかりの訂正発言でした。


こうして解るのは当の自民党トップクラスまでもが、法律の中身を理解しないまま警察官僚に押し切られたということです。


警察庁とすれば、とても便利な安全保障プラス治安維持活用ツールを手中にしたわけで、国民には明らかにいいことではないでしょう。


東京新聞ではこの日本の秘密厳罰化にたいして、ヨーロッパ各国は逆の動きになっていることを報じています

◇ということで、東京新聞の記事はコチラで:http://d.hatena.ne.jp/haigujin/20131211/1386775134
(*)

民はこれに由らしむべし


子曰、民可使由之、不可使知之。


子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。

(訳)

「由る」は「頼る」の意味です。人々を治めるさいの姿勢を説いた文言です。以下の様に訳します。


孔子は言った。
人々を頼らせることは容易だろう。しかし、理解してもらうのはむずかしい。


(解説)

この言葉は、長年、権力の都合のいいように、下のように曲解されてきました


孔子は言った。
愚かな民は、頼らせるべきで、わざわざ知らせるべきではない、混乱を招くだけだ。


この解釈は、権力による情報統制の根拠にされてきました。最近でも、不良債権問題、薬害エイズ問題等を思い起こせば、なるほどとうなずくことが出来ます。


これは、「べし」を恣意的に「命令」または「当然」の意味に解釈した結果です。本当は、この「べし」は「可能」あるいは「推測」の意味です。したがって、私が紹介した訳が正解です。


権力者はこれからも情報をコントロールし国民を欺こうとします。しかし現在、私達にはインターネットという強力な武器があります。塾生諸君の活躍を期待します。 (引用元:http://www.geocities.jp/rongo21/rongo/8_9.html

写真はカニシャボテン(デンマークカクタス)。紅白一つの鉢に挿した中で、赤いのが咲き出しました。12月です。