「子ども留学・松本モデル」と師走半ばの生け垣に・・・

★長野県の松本市の菅谷昭(すげのや・あきら)市長は、元医師で、チェルノブイリで小児甲状腺がんの医療支援に従事したキャリアを持つ政治家です。原発事故に関する菅谷市長の警告はことごとく現実のものとなり、政府は後追いするように対策を取り始めています。しかし、子どもの健康に関しては国は一向に動きません。菅谷市長は、「日本の子どもたちを、特にふくしまの子どもたちを、みんなで命を守ってあげるというのは、これは国民の義務で、大人の義務なんです」と、「こども留学」という考えで、新たにNPOを立ち上げ、来年4月を目指して「松本モデル」を打ち出すことに
あの野球の王さんも、「子どもの自立という点で、いいきっかけ。僕らも昔はみんな疎開した」「まさにこれは国難の状況であって、子どもたちを守るためにもこういう事は大変いいことじゃないですか」と話されたそうです。
◎詳しくは「みんな楽しくHappy がいい♪」さんのコチラで:「<松本こども留学>「松本モデル」が全国に広がって欲しい12/17菅谷昭松本市長会見(文字起こし)」(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3471.html
◎菅谷昭氏については、Wikipediaより以下に:

菅谷昭(すげのや あきら、1943年11月22日 - )は、日本の政治家、医師。長野県松本市長(第13代)。


長野県更埴市(現千曲市)生まれ。信州大学医学部卒業。聖路加国際病院での研修を経て、信州大学医学部第二外科学教室に入局。1976年、トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学ぶ。1991年から、松本市NGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加する。1993年、信州大学助教授に就任。


1996年から、ベラルーシ共和国の首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて、小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。1999年、チェルノブイリ原発事故により高度に汚染されたゴメリ州の州立がんセンターで医療支援活動にあたる。2001年に日本に帰国し、長野県衛生部医監に就任。同年、吉川英治文化賞受賞。翌2002年、長野県衛生部長に就任。


2004年、松本市長選挙に日本共産党の支援を受けて出馬。現職の有賀正松本市長らを破り、初当選を果たした。2008年に再選。
2012年3月の松本市長選挙では、現職の菅谷以外に立候補を届け出た人物がいなかったため、無投票で3選を果たす。過去の松本市長選挙における無投票当選の例は、1976年3月の和合正治の初当選以来、36年ぶりの出来事であった。

(トップの写真は、八つ手の白い花。囲みの中は、いつものYさん宅の生け垣の白い山茶花、終わりかけの中に今が盛りの花一輪を見つけました。)

☆火曜日は病院で父の心臓の検査結果を聞く日でした。13時に予約してあったのですが、電光掲示板で「60分遅れ」の表示が出ていました。2時半ごろやっと番号が出て、先生のお話を聞くことに。
パソコン画面に心臓の内部に色が綺麗に出ているところがあって、先生のお話では、普通はこんな色が出ない、色が出ているところは血が逆流しているんだそうです。弁膜症で、年齢相応の老化現象とのこと。地域のかかりつけ医への紹介状を書いていただいて処方箋を出していただきました。
夫が車で、そのまま、我が家の近くのリハビリデイサービスへ父を乗せて直行。2時間遅れで父を置いて帰宅。母は昨日がヨガの最終日。すでに帰宅。私にケイタイを何度かけても出ないと心配していました。昨日はケイタイもカメラも持たずに出たのでした。
父は、病院内では車いすを利用しましたが、杖をつきながら、今朝のコーヒータイムは歩き方もしっかりしていて迎えに出た夫が驚いて声を上げたくらいです。筋トレの効果が出ているようです。心臓にも良いそうですし、体重も、2週間たって少し増加傾向。これで筋肉がついて食が進めば少しづつ体重も増えそうです。年内に家での普通の生活が取り戻せそうで、安心、みんなで喜んでいます。
(写真は、芙蓉の実。お地蔵さんの南、水路が直角に曲がっている所に毎年芙蓉の花が咲きます。その花の後の実が色づいて弾けそうになっています。下の写真は、Yさん宅の生け垣、黄色い葉に黒い実が映えて。マンションの植え込みの枯れた下草の上には散紅葉。)