靖国神社は長州神社、戦争神社?(靖国参拝を考える)

◎安倍首相の靖国参拝を「問題なし」「賛成」と考える人が多いというアンケート結果が発表されたことがあります。[靖国神社]や[参拝すること]の意味を分かった上で、と言うよりも、中国や韓国からとやかく言われることに反発してのことかと思います。「言われっぱなしは情けない、日本人も自己主張すべき」というのもわかりますが、道理に合わないことを言い返す(主張する)と国際的に恥をかくことにもなります。従軍慰安婦問題で大阪市長橋下徹氏が言い返し(主張し)続けてお話にならないと相手にされなかった例があります。
今回はアメリカの「失望した」に対してアメリカ大使館に非難のメールが殺到?したそうです。アメリカは戦勝国で日本に民主主義的な憲法を与えた国(非難した人たちにとっては多分『押し付けた』国)ですから、よっぽど注意しないと民主主義がまだ根づいていないと”ガッカリの二乗”、”恥の上塗り”になりますので、反発・非難・抗議の前に、一度冷静に良く考えてからにしましょう。
●そこで、靖国問題を取り上げたブログを紹介しながら考えてみたいと思います。
まず、そもそも論から。憲法と宗教についてです。年末の我が家の忘年会で「宗教だとは思わない」と言われた方がいてショックでしたが、自民党の改悪憲法では、靖国参拝社参拝を「社会的儀礼」「習俗的行為」として「宗教ではない」を憲法の中に『ただし書き』で位置づけて、参拝強制もしかねないということです。引用元は「小海キリスト教会牧師所感」さんの「政教分離の重要性」;http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140106/p1

政教分離の重要性」


<前略>


 明治維新政府の伊藤博文、欧米列強に対抗するため中央集権化を図って、天皇を現人神に仕立て上げて天皇を中心とした国家神道をつくりました。江戸幕府が檀家制度で国民を宗教統制しようとしたのに代えて、それまで全国にバラバラに存在した神社を、伊勢神宮を頂点としてヒエラルキーをつくり、氏子制度で国民の宗教統制をはかりました。教育勅語軍人勅諭は、現人神である天皇のために命を捨てることこそ、日本人にとって最高の栄誉であると教育しました。また、いっぽうで幕府とゆかりのある仏教・他宗教を弾圧しました。


 国家神道の管轄は神祇官教部省・文部省と移りますが、その基本方針は一貫して国民の皇民化です。靖国神社護国神社は文部省でなく陸海軍の管轄下に置かれたという意味で特殊で、軍事的色彩がより強くはありますが、本質的には文部省管轄の国家神道の目指したことと同じです。


 ヨーロッパは政教癒着のもたらす宗教戦争の悲惨に懲りてウェストファリア条約を結びました。しかし、明治政府がその歴史の知恵に学ばず国家神道をつくった結果、日本は暴走しましたが、ついに先の大戦で破たんしました。戦後、日本国憲法20条で政教分離を決め、文部省管轄の国家神道包括宗教法人神社本庁となり、靖国神社は別に単立宗教法人となりました。前者は「神社本庁」と名乗っていますが、役所ではなく単なる一宗教法人ですしかし、今なお多くの国民は政教分離の重要性に気づいていないのが危険なことだと思います。


 実際、自民党憲法改正草案では20条を改変して、国家神道復活が企てられていますかつて国民儀礼と呼ばれた神社参拝が社会儀礼と呼びかえられて、公教育に神社参拝を持ち込むことを可能とすることを意図しています。


現行憲法

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


自民改憲草案
二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

同じく小海の「牧師所感」さんの11日の記事は、米国のアーリントンと靖国を比較しながら考えた内容です。コチラ●「小海キリスト教会牧師所感」さんの「孤立する日本」(http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140111/p1 )より

「孤立する日本」


 昨年末NHKオンラインに、次の記事が載った。


「十二月二十七日付けの有力紙ニューヨーク・タイムズは、国際面のトップに『靖国神社への参拝によって日本のリーダーは平和主義から離脱する姿勢を鮮明にした』という見出しの論説記事を掲載しました。記事は安倍総理靖国参拝に先立ち、野党やメディアの反対にもかかわらず特定秘密保護法を成立させたほか、自衛隊の装備を拡充する防衛大綱をまとめるなどして、政治的なリスクを負いながら日本の戦後の平和主義からかじを切ろうとしている、としています。

また、外交的には今回の靖国神社参拝が日本と中国や韓国との関係を一層悪化させ、アメリカにとってももはや日本は、中国に対抗するうえで頼りになる存在ではなく、中国との緊張を高める『アジアの問題』になろうとしていると指摘し、アメリカの対アジア政策にも悪影響を及ぼしかねないと懸念を示しています。」

 先の戦争で主権を侵害され二千万人という人命を戦火のなかで奪われたアジア諸国のなか中国・韓国が、首相の靖国神社参拝を非難するのはわかりやすい。だが、今回はこれまで戦争の手伝いをしろと迫ってきた米国が「失望した」という異例の強い表現で、非難している。米国ばかりか、EU・ロシアもまた懸念や非難を表明して、日本は孤立している。だが政府は失態を隠そうとするので国民にはよく見えない。


そして、靖国神社の本質がなんであるかも教わらない日本人は、「米国大統領もアーリントン墓地に表敬するのに、なぜ首相の靖国参拝を非難するのか」という趣旨のメールを即日三百通も米国大使館に送りつけたそうである。筆者自身も勉強するまで靖国神社の本質が何か知らなかったのでえらそうなことは言えない。いくつかポイントを挙げておきたい。

第一に、アーリントン墓地と靖国神社は性格が異なる施設である。アーリントン墓地は国立で、どんな宗教形式でも選択できる。他方、靖国神社は単立宗教法人で、神道形式に限定される憲法二十条は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めている。


第二に、アーリントン墓地の埋葬の決定権は施設側にはなく、本人と遺族の意思次第である。 靖国神社は神社側が遺族と本人の意思を無視して祀ってしまう。


第三に、アーリントン墓地は戦没者の慰霊施設である。他方、もともと靖国神社は国民の戦意高揚をはかるために戦没者を祀る陸海軍の施設だった。今も境内の遊就館は、戦争で他国の主権を侵害し、多くの人命を兵火によって奪い、多くの人々を武力で支配した側面には触れず、ことさらに大東亜戦争がアジアを欧米列強から解放したという側面のみを誇張しているだから首相が、「不戦の誓いをした」と発言しても、「戦意高揚の施設で不戦の誓い?」と思われてしまう。


第四に、安倍首相は「日本は戦後、自由と民主主義を守ってきた。そのもとに、平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫し、一点の曇りもない。」とおっしゃるが信用されないのは言葉と行動が矛盾しているからである。首相はずっと「戦後レジームから脱却」をスローガンとして、自由と民主主義と平和の土台である日本国憲法を非難してきた。先の参院選の翌日には武器輸出三原則緩和を発表し、ついで、大本営国家安全保障会議(NSC)を設置した。そして年末には、国中が反対の声で満ちている中で、「平成の治安維持法」、特定秘密保護法強行採決した。つぎには、憲法九条があっても集団的自衛権行使は可能だという解釈改憲を打ち出そうとしている。

言葉と行動がこれだけ隔たっていて、信用してもらうのは難しい。「TPP反対」と公約して票を集めて選挙が終わったとたんに「TPP推進」に転じたり、毎日三百トンの汚染水が噴き出しているのに「放射能は完全にブロックされている」と世界中が注目するなかで発言なさるのだから、ある意味で首尾一貫していると言えなくもないのだが。


第五に、米国も身勝手ではある。米国が軍事費節約のために、日本に戦争の下請けをさせようとして働きかけるから、政府はNSC、特定秘密保護法集団的自衛権行使といったことを推進してきたのだ。だが、それに乗じて首相が、特に戦争を主導した人々(いわゆるA級戦犯)をも祀った靖国神社を参拝することは、「大東亜戦争は欧米列強の植民地主義からアジアを解放した正義の戦争だ。戦勝国が敗戦国をさばいた東京裁判は不当だ。」という主張を意味するので、「戦後の国際秩序を否定して、もう一回戦争したいのか」と米国は失望し、中・韓・EU・ロシアといった世界の国々も、日本は軍国化したいのか、と懸念をいだいている

 いずれにせよ、世界からの孤立は危険である。軽率な愛国心は国を滅ぼす。国民は頭を冷やして、よく考えたい。

<以下省略>

◎タイトルに使ったのは「世相を斬る あいば達也」さんの次の記事から引用しました。●「靖国神社」は「戦争神社」と海外から呼ばれ、隠れ「長州神社」であり軍部神社
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/c33271934cb32b256c07fa6e44212806

 この「戊辰戦争」の戦死者を祀るために設立したのが「靖国神社」であり、薩長軍の戦死者を、朝廷(明治天皇)が神社を建立し、祀ったのが始まりである。実は、第一に「靖国神社」の性格を知る上で、とても重要なポイントである。第二のポイントが、薩長軍から薩摩のドロップアウトと長州の跋扈と云う史実だ。つまり、靖国神社の歴史を見ていくと、色々と難しいことが書かれているが、背骨には朝廷を利用し、長州のために戦った戦死者を祀る、長州神社と云う色彩を色濃く持っていることも忘れてはならない。*当然のことだが、安倍晋三は山口長州の人間である。

この後、「明治維新以降の軍事史と軸を同じくし、天皇の名を語り人工物として作り上げられたのが靖国神社であり、古来の我が国が信仰と関わる神道とは似て非なるものであること肝に銘ずべきである」とあり、11日のコメント欄でSPYBOYさんが「インチキ官製文化」と書いておられたことと一致します。その意味で「真の宗教ではない」が「宗教法人」という矛盾もあることが判ります。まずは全文をぜひ読んでみてください。また、「戦争神社」と言うのはWikipediaでも、社名のところで:海外の英語圏では「Yasukuni shrine」と表記されるが、それと並んで「war shrine」(戦争神社)と表記される場合がある。としてBBC放送とかUSATODAYを引用しています。(参考「靖国神社Wikipedia」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
(写真は山形県の啓翁桜(けいおうざくら)。暮に親戚から送ってきたという一束を母が半分分けてくれました。ツボミだったのが、ほころび出しました。このまま葉桜まで楽しめるんだそうです。)