三人でお茶会

◎今日1月17日は阪神大震災から19年。自治会では防災訓練で黄色いハンカチを家の前に掲げることになっています。19年前の3月はオウムの地下鉄サリン事件も。
◎木曜の日経夕刊、ワシントン情報です。
安倍政権の靖国参拝の「真意」をアメリカ側に伝える活動が上手くいっていないようです。
この記事に書かれている「知日派」と言うのはいわゆるジャパンハンドラーと呼ばれる人たちです。
その人たちに理解されないとなるとOUTです。
日経新聞はそのことを必死?に「警告」として伝えていますが、
昨年の千鳥ヶ淵のケリー・ヘーゲル両長官の初めての献花の意味(警告)を無視した現政権に理解できるかどうか・・・
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◎さて、昨日は今年に入って三度目のお茶会?でした。
先週の火曜日、7日のことです。郵便局の近くのスーパーマーケットの前で知り合いによく似た人を見かけました。でも、一寸老け込みすぎだし、表情も一寸違うような、他人の空似で、私の知ってるYさんではないと思い決めて顔をそむけようとした、その時、その方が、私に向かって「あの〜」と。「Yさん? Yさんですか?」と私。
3年ほど前に、山口のWさんが法事で箕面に来られた時、Yさんと同じマンションで別棟のSさんを引き合わせようと4人で一緒に近くのフランス料理店でお食事をして以来、3年ぶりくらいです。新年のご挨拶をしたのですが、コンビニで意識を失って市立病院に入院していたと、ビックリするようなお話。
入院はいつまで?と言うと、入院はしていなくて、今日は本当ならデイサービスで施設に行く日だけど病院に薬を取りに行ったのでと。最近はお料理は煮物だけで、殆ど出来合いを買うのと言われます。事情が良く分りません。倒れた? デイサービス? カボチャと人参を炊くくらい? 言いたいことがすぐには出てこないというもどかしいような話し方? 何があったのかしら?と思いながら、買物前の私「今日、会えてよかった」と言うと、「また会いたい」と言われて、その日は別れました。
子ども会の世話役仲間で、息子さんが中学の頃、郵便局の近くのマンションに引っ越されました。その後も子ども会仲間でお食事会を毎年していましたが、一人づつ病気になったり、二人が引っ越して遠くへ行ったり、で、今は箕面で元気なのは私とそのYさんぐらいでした。そのYさんが・・・。
この祭日の月曜日に思い切って電話してみました。長男と同い年の息子さんが電話口に。小学校以来、30年ぶりくらいです。挨拶を交わして、お母さんは外出中、夜には戻っているとのこと。夜お電話して、「木曜日、お茶を飲みに来ない?」とお誘いしました。3年前に紹介したSさんのことは忘れておられました。
昨日、約束の木曜日、1時20分。もう家を出ていないといけない時間ですが、ヒョッとしてと思って、電話してみました。ご本人が出られました。「今日、お茶に誘ったんだけど、来れる?」「あ〜」と私の名前を呼ばれました。「近くにSさんがおられるけど、誘ってもらいましょうか?」と言ったのですが、「今から着替えて、一人の方が気が楽だから、一人で行く、大丈夫」とのこと。

時間通りに来られたSさんは、赤福餅の2個入りの箱を”珍しいから”と持ってきてくれました。しばらく話していたのですが、時計を見ると2時です。Sさんを置いて外に出て見ました。一本道ですし、突き当りのマンションのところで曲がってまた一本道ですが姿が見えないので、一度戻りました。Sさんと二人で、下の道と手分けして見に行こうと外に出て、二手に分かれようとしたら、Yさんが、一本下の道からこちらに来られるところに出会いました。元の家の在った筋を一つ上がった所が我が家で、目印の桜の木がなくなったことを伝えていなかったので、迷われるかなと心配したのですが、桜の木のことは覚えていないということでした。
そしてお茶です。上の息子が初めて持参するお土産に千里阪急で買ったという鶴屋吉信の京観世をこの日のために残しておきましたので、それを出してお茶を点てました。3人で2時間。Sさんをお呼びして良かったです。うすうす少し様子がいつもと違うと思って、お話はしておいたのですが、お茶出しと聞き役は一人では無理でした。彼女のお蔭で、二人でなんとかYさんの言いたいことの8,9割は理解できたと思います。

分ったことは、(2年ほど前)あることで近くの病院へ行ったが市立病院を紹介され脳の海馬の薬を飲んでいる。娘さんとケアマネさんが相談して下見をして今の施設に週一回行くようになり、週一回ヘルパーさんと散歩にでかける。だけど、ヘルパーさんを使うのは税金の無駄使いだと思う。お昼は一人でヴィソラのうどん屋、171号線のうどん屋さんや千里にもバスでうどんを食べに行く。娘は母親が一人で歩くのは心配している。同居の夕方6時半に帰ってくる事務の仕事をしている息子より、大阪府の南に住んでいる娘が車でかけつけてくれるので、娘の方が良い、という話でした。去年の1月に玄関で何かの角にぶつかって肋骨を5本折った。1日家で寝て、近くの病院に2週間入院。その後娘さんの所で2週間世話になった、というお話もありました。ビックリするようなことばかりでした。
私より4つ上の辰年、丁度Sさんは一回り下の辰です。子どもたちが中学生になった頃、Yさんは病弱なご主人がいずれ働けなくなることを見越して資格を取って介護老人施設のケアマネージャーになって働いていました。上の娘さんと弟さんの二人とも勉強がよくできて、息子さんは国立の大学でした。ところが、いつの頃打ち明けられたか、『家にいるのよ〜』と引きこもりで家にいると話されました。
ご主人亡きあとも働き続けて、10年ほど前、信号で出会った時、「息子が同じ職場で働き始めたの」とYさんの方から話しかけて下さったことがありました。その後、確か70歳まで仕事をされていたはず。人一倍苦労されたのに、どうして…と思いました。
一緒に帰って行かれたSさんから、電話があって、「帰りに結局二人でブロッコリーだけ買って帰ったんだけど・・・」とSさんも驚いたと。「今日の話では3年前に会った直後からよね〜、近くなので何かある時は駆けつけるけど…」と有難い言葉を戴きましたが、今の所、今日の様子では取り立てて私たちが出来ることは無いみたいなので、月一度くらい又お茶にお呼びする時ご一緒していただくようお願いしました。
7日のあの時、Yさんであるはずがないと思ったのにYさんだった時が一番ショックでした。どうして…なんで…という思いが強いです。でも、考えようによっては、Yさんは今、幸せなのかも・・・・わかりませんが・・・