本日、「ソチ5輪スノーボード・ハーフパイプ」に次いで2つ目です。
◎昨日は2月11日、3・11から2年と11か月でした。
その翌日の福島第一原発事故から今日は2年と11か月になります。
いつも貴重な記事を紹介してくださる「shuueiのメモ」(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/)さんの今日のブログの記事から、福島の子供たちの言葉をコピーします。
もう一つの記事は、「福島第1汚染水 トリチウム処理に決め手なし 選択肢は4つだが…」(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20140212/1392150893)です。
福島から避難した子どもたちの言葉
「わたしの夢は去年と全くちがいます」
・放射線をなくしてほしいです。
・ひなんくいきにしてほしいです。
・平和な国にもどってほしいです。
・長生きしたいです。
・本当にだいじょうぶと思っているのかを知りたいです。
(後略)
(福島市・小5 避難先で暮らす)
・外であそびたい。
・きれいな空気がすいたい。
・なんで、原発をこんなにたくさん作ったのですか。
・死にたくないです。(早く)
・友達とはなれるのがいやです。
かんさん、ほうしゃのうをなくしてください。
ふくしまのおがわさえです。おそとであそびたいです。
(「うらをみて」と書いてあり、裏面に)
ほうしゃのう だいっきらーい
◎前日11日の記事の中から2つをコピーします。
2014年02月08日 12時55分 NHK福島放送局
http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6054789501.html?t=1391860009462
原発事故のあと、福島県が行っている甲状腺の検査で、子どもからがんの症例が相次いで見つかっていることについて、県の調査検討委員会が開かれ、甲状腺がんを引き起こすおそれのある、放射性ヨウ素による被ばくとの関連を分析すべきだといった意見が出されました。
原発事故で放出された放射性物質は甲状腺に蓄積するとがんを引き起こすおそれがあることから、特に被ばくの影響を受けやすいとされる、事故当時18歳以下だったすべての子どもを対象に福島県が検査を進めています。
これについて、7日開かれた県の健康管理調査検討委員会で、去年12月までに検査を受けたおよそ27万人分の結果が報告され、がんやがんの疑いのある症例は前回より16人増えて74人になりました。
このうち、事故直後の4か月間に体の外から浴びた被ばく量を推計できた24人について、県は、被ばく量から事故の影響は考えにくいという見解を示しています。
しかし、7日の会合で委員からは、甲状腺がんは、体内に取り込まれた放射性ヨウ素によって引き起こされるとして、これらの被ばくとの関連を分析すべきだという意見が出されました。
ただ、放射性ヨウ素については、事故直後のデータが少なく、委員会では、国の機関などが、航空機で測定したデータから推計した値などがどこまで利用できるか、今後、検討するとしています。
甲状腺がん新たに7人 福島県調査、計33人に
2014/2/8 日本経済新聞
東京電力福島第1原子力発電所の事故による放射線の影響を調べている福島県の「県民健康管理調査」の検討委員会が8日までに福島市で開かれ、甲状腺がんと診断が「確定」した子供は前回(昨年11月)の26人 から7人増え、33人になった。「がんの疑い」は41人(前回は32人)。
検討委の星北斗座長はチェルノブイリ原発事故後の甲状腺がんの発症経過や、今回見つかったがんの種類、 大きさなどから「現時点では放射線の影響は考えにくい」と述べた。がんの発見率がこれまで考えられていたよりも高いことについては「症状がない人も含めた未知の調査で、比較できない」と説明した。
しこりの大きさなどを調べる1次検査で約25万4千人の結果が判明し、1796人が2次検査の対象となった。
「確定」と「疑い」に、手術の結果「良性」と判明した1人を含む計75人のうち24人について、原発事故が起きた2011年3月11日から4カ月間の外部被ばく線量も公表。1ミリシーベルト未満が15人、1ミリシーベルト以上2ミリシーベルト未満が9人だった。
国立がん研究センターなどによると、10代の甲状腺がんは100万人に1〜9人程度とされてきた。
甲状腺検査は、原発事故発生当時18歳以下の全員、約37万人が対象。1次検査の結果で軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定し、BとCが2次検査を受ける。〔共同〕
◎以上の他に2つ記事が紹介されています:「放射線 放射性物質 Q&A 甲状腺がんの種類や特徴は」と「チェルノブイリの地獄から」です。
ベラルーシ・ミンスク州のエレーナ・ワコリュクさんの手記は:「こんなことを書くことになったのはすべて、チェルノブイリ原発事故という、私をおそった不幸のせいである。私の罪でも意思でもないのに、不幸は私や家族の生活を破壊してしまった。不幸というものは、いつも予期しないときにやってきて、弱い者を痛めつける。私が経験させられたこと、いや私だけでなく数百、数千の人々が経験したことは、チェルノブイリの囚人とでも言うべきものだった。故郷で私たちは「死刑囚」と呼ばれている。なんとも恐ろしい言葉であるが、本当のことでもある」という一節から始まり、「息子は、大きくなるにつれ、ますます健康状態が悪くなった。一九八六年の四月から一九九二年までに三〇〇回以上医者にかかった。この間、一人の医者も病気とチェルノブイリ事故とを結び付けることをしなかった」で終わります。福島で同じことが起こらないようにと願っています。(「チェルノブイリの地獄」全文はコチラで:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20140211/1392063954)