またいとことの親戚づきあい


年賀のやり取りだけの「またいとこ」(はとこ?)の今年の年賀状に「娘の旦那が箕面で居酒屋をやっています。一度一緒に行きませんか」と書いてありました。
1月2月と夫が不調。3月に入ってやっと少し調子が戻って、そうそう、一度電話して・・・と先日連絡を取りました。それで、日曜日の夕方、お店でということになったのですが、その後電話があって「、隣の両親も」とお誘い。去年後半の父の様子を報告して、できれば、お店に行く前に我が家に寄ってもらえたら両親も喜ぶと思いますと伝えて、昨日5時頃、”またいとこ”と奥さん、娘さんと孫二人が娘さんの運転する車で我が家に見えました。
前日、夫が「どういう関係や?」というので、箕面に来る7歳まで豊中市岡町に居た頃、ご近所のお姉ちゃんとキーちゃんに遊んでもらってた。その頃、そのあたりでは珍しい洋間(館)のあるお家で、玄関前が階段になっていて、そこで近所の子が集まっていつも遊んでた。(母の話によると)お父さんが刑事さんだったけど、戦争の末期に40歳で召集されて戦死。18年生まれで夫と一月しか違わないキーちゃんはきっと親の顔も知らないと思う。お母さんが身体が弱くてとても上品で綺麗な人だった。仕立物や子供たちが学校に行くようになってからは給食のおばさんで二人を育てたと聞いていました。

昔、石川県の大聖寺で大学進学を控えていた頃に父親を亡くした長男の父に大阪へ出てこないかと声を掛けてもらった方の弟がキーちゃんのお父さん。いとこ同士の子ということで、”はとこ=またいとこ”ということが判りました。
これは、昨日居酒屋での話と、今朝のコーヒータイムで、生きている内にと父と母に聞きながらメモしました。書いておかないと何度聞いてもすぐわからなくなります。
で、キーちゃんと私は、幼馴染ですが、奥さんと夫とはお互い、それに私も初対面です。ややこしい話は置いといて、親戚どうし箕面で縁があって・・・ということで、娘さんの夫が店長(お孫さんがパパと呼ばずにお店に入ると「店長」と呼ぶんだとか)を務めるお店で一席ということに。10歳と5歳の姉弟がしつけが行き届いているのか我が家で話しているときも、サンルームの椅子に座って二人で仲良くおしゃべりしたり遊んだり。居酒屋さんでも紙に何か書いたり、小さなレゴのようなくっ付けて遊ぶもので色んな形のものを作ったり、お母さんと3人、3時間以上も大人しく遊んでいるのにはビックリしました。

そして、居酒屋さんというのも私は初体験!でした。「孫を連れて行く」と言ってたけど子ども連れで入れる居酒屋さんです。次から次へと若い娘さんたちが入ってきますし、中には年配の男性が一人でというのもチラホラ。3人ほど若い人を使って、忙しそうです。娘さんは、「波があって、今日はたまたまです」と仰っていましたが、初めて見る「居酒屋」風景でした。
キーちゃん夫婦の馴れ初め、私の両親が結納を持って夜行列車で長崎の奥さんの実家を訪ねた時、大皿にお魚が大盛りに盛ってあって歓待を受けた話などは、母が我が家でしていました。父もいつになくお喋りでキーちゃんのお父さんやそのお兄さん(父を呼んでくれた人)の話をしていました。
7つ歳下、63歳の奥さんもとてもシッカリした明るい方で、ジム通いとママさんバレーとその後の飲み会のリーダーだと仰っていました。キーちゃんのお母さんも100歳まで生きて、死ぬとき、皆いる前で初めて「お母さん、今までありがとう。育ててくれてありがとう!」と言えたんだとか。

「両親が揃って長生きっていうのはいいな〜。昔からあんな夫婦になりたいと思っていた」と言われ、「二人には叶わないけど生きたお手本です」と私たちも。「これを機会にまた」「そう、親戚づきあい始めましょ!」「そうやな〜親戚やな〜」。別れ際に、「これをご縁に…」と夫と奥さんも握手して。聞いてみると娘さんは外院、もう一人の息子さんは半町と箕面の住民、長男さんは芝原で箕面寄りの豊中です。今まで知らなかったのに急に親戚が増えました。キーちゃんもまだ現役。引き際を考えているとか。夫と同じようなことを言っていました。
日曜の夜を外食して過ごすなんてことはめったにないこと。
帰ってから、昨夜に続いてTBSのトヨタのドラマの後半をやっていましたので観ることに。
昭和25年までの企業の苦闘が描かれていました。キーちゃん一家のような一家の働き手を無くした家庭も大変でしたが、生き延びた働き手の男たちも大変な時代だったのでした。