「それでも夜は明ける」(映画)


連休前に一本映画をということで、「テルマエ・ロマエ2」を、と思ったのですが、公開に先立ってテレビで「1」をやっているのが分り、最後の場面の10分ほどを見た夫が余りのバカバカしさに行く気を喪失?した様子。それで、映画館のHPで調べて、「特別な1日」さんが取り上げておられた「それでも夜は明ける」を見つけて行くことに。夜7時一回きりの上映で、それも昨夜が最終回、今日からは子供向けの映画ばかりになっています。ヴィソラの映画館前から六甲山のある西側を見ると夕映えでした。

アメリカの奴隷制がテーマの映画で、今年度アカデミー賞の作品賞、助演女優賞脚本賞を受賞しています。2時間以上、緊張しっぱなしの映画でした。見終わった夫が、連休前にこんなヘビーな映画を見せられるとは・・・と。
アメリカの北部で自由黒人としてバイオリンを弾いて妻と二人の子を養っていた男が、騙されて拉致され奴隷として売り渡されて、苦難の12年の末、元の家族のもとに戻るまでが描かれています。原題は「12 Years a Slave」です。
監督の名前がスティーブ・マックイーン。この名前を聞くと、私たち世代は、テレビで見たあの「拳銃無宿」や映画の「荒野の七人」や「タワリング・インフェルノ」を思い出します。まだ生きてる?と夫も。こちらは英国人の黒人の同姓同名の監督さんです。
昔のマックイーンをウィキペディアで調べて見たら思いがけない最期を知ることに。


1979年に米国西部開拓時代に実在した賞金稼ぎをモデルにした『トム・ホーン』の撮影中、アスベストが原因の中皮腫を発症していることが見つかった。翌1980年に『ハンター』で主演するものの、その時点で余命数ヶ月を宣告されていた。中皮腫の原因は海兵隊時代に搭乗した軍用艦船の船室の内装に多用されたり、趣味のレースで当時使われたアスベスト製の耐火服・耐熱フェイスマスクから長期にわたりアスベスト繊維を吸引したのが原因ではないかといわれている。また荒野や砂漠の光景として使われる撮影場所が軍の核実験で汚染されていたのが体調をさらに悪化させたともいわれている。1980年3月に治療法がないと告げられたあと、メキシコで代替医療(ケリー療法)によるガン治療を受けたが、癌は全身に転移、再訪したロサンゼルスの病院で手術は無理と告げられる。その後偽名で入院したメキシコの小さな病院で首と腹部の転移癌を切除する手術後に心肺停止で死亡した。 11月7日死去。50歳。

石綿アスベスト繊維を吸っていたことや、核実験で汚染された荒野や砂漠で撮影したことが遠因で亡くなっているとは…驚きました。
さて、映画の方に戻りますと、1841年から1852年、12年間の奴隷として過ごした体験をソロモン・ノーサップが1853年に発表した原作を映画化したもので、この映画は本当の物語ですという字幕から始まります。(南北戦争は1861〜1865年、リンカーンによる奴隷解放宣言は1862年


南部の綿花プランテーションでの綿つみの過酷な労働や農場主の生活、白人監督者の非情なむち打ちや吊るし首、目を背けたくなるようなおぞましい場面が続きますが、これはかつてあった本当の事という意識があるせいか逃げることはできません。
最初の農場主(ベネディクト・カンバーバッチ)は奴隷の扱いに対しては過酷ではなく、日曜日には聖書を読み聞かせたりします。でも、奴隷に対して優しい人間扱いは自分だけのことです。他の白人(ポール・ダノ=この人、執念深くて乱暴で怖い)が執拗に彼(キウェテル・イジョフォー)を襲うことに対して、自分や家族を犠牲にしてまで黒人奴隷を守り通すことはできません。逃がすには買った時のお金が惜しいので転売して逃がしてやります。自分はやらないけれど、他人が遣ることを止めるのに自分を犠牲にしてまでは、わが身がかわいい・・・大多数がこの部類の人間なんだろうな〜と責める気にはなれません。

間にトウモロコシの刈取り場面があって、それからもっと過酷な扱いをする農場主に売られていきます。この農場主(マイケル・ファスベンダー)は別の意味で怖い白人です。優秀な綿摘み労働者でもある女奴隷(ルピタ・ニョンゴ)を夜な夜な慰み者(性奴隷)にして白人妻との間は不和。白人妻もこの女奴隷と夫との関係を知っていて、何かとこの女奴隷には冷たく当たる。この女性は本当にかわいそう。昼間は働きづめに働いて、夜は夜で嫌な男の相手をさせられて・・・死ぬこともかなわず・・・という毎日です。
この農場に東屋を建てるのに雇われるカナダからの流れ者の大工をブラッド・ピットが演じています(ブラッド・ピットはこの映画の製作者でも)。自由黒人の彼は、逃亡を持ちかけた白人に一度は密告されましたが、結局、この大工が奴隷制反対論者であることを知って、身の上を話し、手紙を出すように頼み、これがキッカケで12年の奴隷生活に終止符を打つことになります。どの俳優さんたち、黒人白人問わず、真に迫る演技でした。
最初の農園主から与えられたバイオリン、そこに妻と子の名を密かに彫り込んで首にあてて演奏していたバイオリンを自らの手で壊してしまうシーンがあります。自由黒人の自尊心と誇りを象徴するバイオリンだったはず。弔いの場面で一人の女性が音頭を取って黒人霊歌を合唱する場面では、彼が大写しになります。最初は黒人奴隷たちの歌に一緒に入っていけない彼が次第にコーラスの中に入って一緒に声を出して歌い始めます。こういう時の表情のアップ、長回しが随所にあって、この場面では俳優さんの雄弁な表情が自由黒人としてというより黒人としての意識に目覚めていくようで、不当な奴隷制度に立ち向かっていく決意をも感じさせる場面です。この印象的な歌のシーンをコチラの動画で見る(聞く)ことが出来ます:”Roll Jordan Roll”(https://www.youtube.com/watch?v=mAZhQQN758g
因みに、醜悪な農園主の慰み者になる可哀想な女奴隷を演じてアカデミー賞助演女優賞を受賞したルピタ・ニョンゴさんは、People誌が1990年から毎年発表している「世界で最も美しい女性」で、今年の1位に選ばれています。(映画の写真2枚は「Yahoo映画」フォトギャラリーよりお借りしました)