★憲法記念日のテレビ番組を見ていて、憲法改変OKの方たちが「今の憲法はアメリカの押し付け憲法」だからと言われます。
美輪明宏さんみたいに「誰が作ろうと関係ない、良いものは良いのよ」というのもアリですが、「本当に押し付け?」と考えてみたいと思います。そこで、NHKの2012年の番組「自由民権 東北で始まる」からです。憲法学者さんによると、現憲法に繋がる、日本人が考えた原憲法とも呼ぶべき憲法があったということです。
<日本国憲法につながる地下水脈>
三宅:「どういう風にご覧になりますか?」
樋口:「ハイ、改めて、今持っている日本国憲法につながる水脈の源だな〜地下水脈の水源だな〜と。
特に色川先生ご自身が陣頭指揮して発掘した五日市憲法草案は、つまり、何かをしたいという止むに止まれぬ「行動」、それと世界につながっていく「知」、「行動と知」というものが、草深い村落であゝいう風に結びついたという、これこそ地下水脈の水源だろうと改めてそういう思いを強くしますね。
戦後、こういう議論がありますよね:「戦後日本は戦争に負けて日本の歴史に関係のないものを戦勝国に押し付けられた、だから、これをご破算にしてやり直そう」という。 とんでもない、そういうことではないんだということが・・・。
実際、1945年、敗戦後、占領軍が大変注目した民間の憲法研究会の方々が作った案がある。在野の知識人、論客たちの集まりですが、その中で唯一の憲法研究者が鈴木安蔵。鈴木安蔵が高知に行った時、そこで、今まで世の中に知られていなかった植木枝盛の資料に出会う。そういう鈴木安蔵が中心になって民間草案を書いた。
鈴木安蔵は、現在の南相馬市の出身。自由民権運動に光を当てた憲法学者です。
昭和11年、高知を訪れた鈴木は埋もれていた植木枝盛の憲法草案を再発見する。そして敗戦後、鈴木は憲法研究会のメンバーとして昭和20年(1945年)「憲法草案」を作成。その際、植木枝盛を始めとする自由民権運動の思想を取り入れた。(「統治権は日本国民より発す」)
憲法研究会の草案はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に提出された。これらも参照しながら日本国憲法のGHQ案がまとめられた。
樋口:「注目すべきは、アメリカの当局は日本の戦前にも民主主義があったんだという認識を持っていたということです。これは、植木枝盛だけでなく五日市、そして数々の自由民権運動の中で模索されていた憲法構想というものが、私は、地下水が表に出る幸せな機会を得たのだという風に理解しています。
色川:「戦後の民主主義の元の所には、自由民権運動があると・・・」
樋口:「ハイ、全く」 色川:「仰る通りだと思いますね」
菅原:「鈴木安蔵さんとか、そういう力もあり、遡れば植木枝盛とか、千葉卓三郎とか、そういう人達が、優れた貴重な憲法を作り上げたわけじゃないですか。今こそ、その憲法をもう一度一つ一つ読んでいけば・・・。日本人は、日本の国はこうしていくんだということが示されているわけだから、そこへ戻るというかなぁ〜。
若者たちが新しい自由民権を考えてほしいですね。」
色川:「そうですね。今度の東北大震災で、僕はずいぶん走り回って、感じたんですが、若者が今の暮らしに一寸おかしいぞ、不自然だぞ、と考えるきっかけをつかんだ。他の人の災害に自分が労苦を分かち合うという考えが出てきて、それが行動に表れている。新しい・・・を拓くんじゃないかという気がする。」
菅原:「光は辺境から・・・ お二人の話を聞いてネ、昔から言われますね、光は辺境から・・・・」
◎引用元:蛙ブログ<光は辺境から…「自由民権 東北で始まる」>http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120201/1328055111
★★「小海キリスト教会牧師所感」さんの「日本国憲法の制定過程(その1)」からです。
(3) 政府に渡された英文のGHQ草案の内実は、相当に日本製である
・・・・・、この英文原文は、GHQ法規課長ラウエルが中心となって記されたが、それは憲法研究会の「憲法草案要綱」(起草者、鈴木安蔵)の影響を相当受けている。すなわち、そこには明治期の自由民権運動の思想家植木枝盛の「儀礼的天皇制・国民主権・基本的人権」が含まれている。
また、幣原喜重郎首相の提案による戦争放棄・軍備放棄条項を加えているものである。
◎詳しくはコチラで:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140506/p3
★★★NHKの討論番組だったかで、高村氏が集団自衛権の問題で砂川判決を持ち出しておられてビックリしました。砂川裁判といえば安保闘争の前年、基地は違憲という伊達判決が出て、その年、最高裁でひっくり返された事件?でした。半世紀以上も前の判決を持ち出してまで・・・しかし、理屈に合わないというのを、こちらのブログで:
砂川判決引用の不思議
不思議な出来事である。集団的自衛権行使を容認しようとする安倍晋三政権が、その根拠に五十五年前の砂川事件の最高裁判決を持ち出したことだ。
駐留米軍を合憲とした判例だが、判決文の傍論部分で次のように書いている。
<自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない>
わざわざ「自国の」と書いているように、どう考えても個別的自衛権のことである。
仮に砂川判決が集団的自衛権行使を認めているとするならば、後の政府解釈も変わるのが道理である。でも、そうならなかった。
それどころか、砂川判決の三カ月半後に、当時の岸信介首相は参院でこう答弁した。
<集団的自衛権は、日本の憲法上は、日本は持っていない、かように考えております>
安倍首相の祖父の発言である。普通の人が読んでも、砂川判決を根拠にすることはほとんど無理なはずだ。 (桐山桂一)
☆引用元:「「砂川事件判決を持ち出して 集団的自衛権を論じること自体、国民をバカにしている。@かっち 」http://blog.livedoor.jp/ryoma0102/archives/6204187.html