世界でリビジョニスト(現状変革主義者)と呼ばれることは・・・・


先週の日経新聞の「経済教室」(5月23日)の記事を残しています。タイトルは「政権の『現状変革』に危うさ」とあり、副題は「集団的自衛権を考える(下)」です。ひょっとすると読み逃した「上」は、賛成意見だったのかもしれません。
記事の書き手は千葉大学教授の酒井啓子、59年生まれ。東京大教養卒。
専門はイラク政治史、現代中東政治

改めて読んでみると、とても今の安倍政権の海外から見た危うさがわかります。これは移してみる価値があるかも…でやってみます。

政権の『現状変革』に危うさ
米、中国の反応警戒 / 国際社会の信頼 失う恐れ    酒井啓子


・海外で東アジアの紛争を危惧する論調拡大

 「もし今年、第3次世界大戦が起きるならこんな感じだろう。中国の漁船が東シナ海の係争中の島に接近し、日本の海上保安庁がこれを襲い漁民は逮捕され発砲がなされる。北京は最後通告を出し、東京は日米安保条約を発動する」
 これは今年1月、安倍晋三首相が第1次世界大戦を引き合いに出して日中関係に関する演説をしたダボス会議の直後、豪日刊紙オーストラリアンが報じた記事の冒頭である。
 世界で最も戦争の危険性の高い地域として、東アジアを挙げる海外メディアが増えている。英国の安全保障研究の専門家、ローレンス・フリードマン氏は、米フォーリン・アフェアーズ誌上の対談で、日中間の紛争を念頭に「あと1年、何も偶発的事件が起きないとすれば、それは幸運に恵まれた場合だけだろう。衝突のリスクは非常に高い」とまで述べている。
 注視すべきは、緊張の原因が中国の軍事的脅威の増大にあるとしつつも、日本が呼応して防衛力を増強し、緊張増大の要因の一端を担っているという批判的な論調が少なくないことである。批判が示すのは安倍政権が掲げる「戦後レジームからの脱却」への懐疑であり、それに関連する政策全体への懸念である。……


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 中韓のほか欧米で広く日本の対外政策に対する危惧が報じられていることを、単なる誤解や認識不足と軽視することは賢明ではない。なぜなら、こうした誤認こそが戦争発生の背景にあるからである。
 安全保障のジレンマと呼ばれる国際政治の概念は、まさにそのことを言い表したものだ。相手国の意図を正確に把握できないために過度に相手の力に恐怖し、自衛のためとして軍事力を強化する。相手国はそのことに不安を覚え、さらなる軍事強化に走るというもので、意図せぬ衝突の危機が増大する。
 悪循環を回避するには、相互の意思疎通を密にした極めて高度な外交努力が不可欠だ。しかし2012年夏以降、日中はおろか日韓関係においてですら、外交的チャンネルが決定的に途絶えている。
 国内的にも、マスコミやインターネット上で煽られる相互の憎悪感情は、暴発的衝突を誘発しがちである。相互の意思疎通が破たんしたところでは、相互の誤認が重なって些細な衝突でも本格的な紛争に発展する場合がある。海外メディアが危惧するのは、この点だ。


 誤認や意思の不疎通は、対立する当事国間のみならず同盟国、友好国の間でも深刻な問題を生じかねない。米国は集団的自衛権の行使を日本に強く求めてきた。特に米国世論の半数が「世界の警察官」であることを望まない今、同盟国が負担を担うことは米政権の歓迎するところだろう。

 だが、日本が今ここで集団的自衛権の行使容認を決定することが、米国にとって手放しで喜べるものかどうかについては、留保が必要だろう。というのも、現在の対アジア政策を見れば、オバマ政権が中国を警戒しつつも共存関係を求めていることは明らかだからだ。行使容認が周辺国に日本の軍事力の増強とみなされ、これらに対する抑止力となる以上に相手国を挑発する結果となることを、米政府は危惧している。

・安倍政権への懸念が他国を刺激する恐れも

 とりわけ米国をはじめ欧米諸国が疑問視するのは、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」がどこまで現状変革の意思を持つものなのか、という点である。安倍首相の歴史認識靖国神社への参拝、繰り返し浮上する政権幹部による河野・村山談話の見直し発言などは、日本が戦前のような西側政治秩序と相容れない状態に回帰するのではないか、との懸念を惹起させた。慰安婦問題は女性の権利侵害としての基本的人権を阻害するものととらえられがちだ。
 

 欧米諸国の報道ぶりのなかで懸念されるのは、安倍政権を形容するうえで「現状変革主義者(リビジョニスト)」との表現をとることがあることだ。米国のニューヨーク・タイムズワシントン・ポスト、冒頭に引用したオーストラリアンでは、政権成立以来、安倍政権について報じた記事のうち、首相自身、あるいは政権や政策に対してリビジョニストとの形容詞を使用したものは、約2%とはいえ、存在する。


 現状変革主義という表現は通常、主として中国、ロシア、イランなど冷戦後の米国が主導してきた西側政治秩序に変更を求める勢力に対して使用される。その同じ用語を欧米メディアが安倍政権に対して使用しているという意味は、深刻にとらえられてしかるべきではないか。

 安倍政権の政策を現状変革とみなす視点が広がれば、従来日本に寄せていた信頼感を国際社会が持ち得なくなることが危惧される。

・日本の「安心供与外交」は国際的な信頼の礎

 京都大学中西寛教授、東京大学の石田淳教授、慶応大学の田所昌幸教授は共著「国際政治学」で、外交には威嚇による「強制型」と、相手国に約束を違(たが)えないことで安心を供与する「安心供与型」があるとしている
 従来、日本が対外的に供与してきた安心の源泉こそが、戦争と植民地支配の反省の上にたって憲法9条を基に平和を構築してきたという日本社会の戦後経験と、決して 他国を攻撃することがないという法的制約であった。相手国に安心を供与することが結果的に相手国に攻撃を自制させる効果を持つという思想が、これまでの日本の安心供与外交の核であった。 
 イラクに派遣された自衛隊が評価されたのは、まさにそれが制約下にあるがゆえに、安心を供与できたからである。米国が駐留中に約4500人の米兵の死者を出し、反米抵抗運動の激化でイラク人民間人の死者が毎月3000人以上に上る中で、自衛隊は数少ない「イラク人を殺さなかった」駐留軍であった。 

 米軍傘下で行動したことはアラブ社会に対日失望感を生んだものの、イラク国内では、米軍と共にありながら武力行使を自制する、米軍とは異なる存在だということで、自衛隊が評価されたのである。ここで重要なことは、理念において西側政治秩序の中に属しそれを維持しながらも、手段として欧米諸国のような力による強制を取らない国として、日本が信頼を獲得してきたということだ。
 米プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授は著書「リベラルな秩序か帝国か」で、冷戦後のリベラルな国際秩序の性質の1つとして、日本とドイツの存在を挙げている。大国になりうる潜在的パワーを持ちながら、あえて自己抑制的な役割を受け入れ、政治的、経済的及び安全保障上は西側政治秩序の中に組み込まれている点に、両国の意義を見出した。
 そのような性質が西側政治秩序の重要な要因として存在してきたのだとすれば、その日本が自己抑圧を解くことは、アイケンベリー氏が想定した西側政治秩序からこぼれ落ちることを意味するのではないか。露骨な権力政治の台頭に直面して受け身でいたつもりの日本が、知らず知らずのうちに現状変革を求める地政学的な権力抗争のトップランナーとみなされていたということがないように、望む。