「もし、日本という国がなかったら」

◎日本の良さに自信が持てないナショナリストの方たちに是非読んでほしい本がコレ。と言っても、外国人に言ってもらいたくないと嫌がられるかもしれませんが。実は私もまだ読んでいなくて読みたいと思っている本です。本の読み解きがとても説得力のある方のサイトですので、ぜひ訪ねて読んでみてください。「松岡正剛の千夜千冊」の1545夜に当たります。

ロジャー・パルバース

もし、日本という国がなかったら

集英社インターナショナル 2011

[訳]坂野由紀子

装幀:刈谷紀子・高木巳寛


日本人にはオリジナリティがないだって?
馬鹿も休み休み言いなさい。そうとしか思えないのは、
欧米ばかり気にして、日本のことを
本気で見ていない病気のせいだ。
日本には自慢できることがいくらだってある。
すばらしくクリエイティブな日本人もたくさんいる。
ロジャー・パルバースは日本の各地と文物と
多くの日本人とに出会って、このことを確信した。
そして、こう言った。
「もしも日本がなかったら、
世界はうんとつまらなくなるだろう」!

◎これだけで十分読んでみたくなりますが、私は、著者紹介を読み進むうちに意外な人物と著者が関係があることを知りました。

 こんなおかしな事件で23歳のときに日本に来たのだが、持ち金はたった200ドル、それでも決行したようだ。このとき知人から紹介されたのが若泉敬という日本人だった(若泉がどういう人物かはあとで説明する)。
 若泉は青年を温かく迎えてくれた。自分が勤めている京都産業大学を紹介し、若泉のボスにあたる学長の荒木俊馬も、ロシア語とポーランド語の専任講師としてパルバースを迎え入れた(荒木俊馬はぼくが高校時代に首っぴきになった赤くて分厚い天文学事典の著者だ)。
 こうしてパルバースは京都洛北の深泥池(みどろがいけ)近くの小さな家に住み、すぐに日本にぞっこんになった。とりわけ借景で有名な円通寺に惚れ、たちまち日本語を習得して(パルバースの語学習得能力はおそろしく速い)、オスロ大学から京大に留学していたスールンと結婚し、そのまま“日本人”になじむ日々をスタートさせた。結婚時の仲人も円通寺の住職だったようだ。『日本ひとめぼれ』(岩波書店)という本もある。

◎そしてこの若泉敬松岡正剛氏はこう紹介しています。私は、沖縄密約特使としての若泉敬京都産業大学との関係は知っていましたが、東大在学中のこと(NHKで紹介されたエピソードとは別の)や、その後のイギリスやアメリカでのことは初耳です。

 で、若泉敬であるが、この人は国際政治学のセンセイだった。東大法科在学中の昭和27年に国連アジア学生会議の日本代表になったりもしている。
 大学院はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで(だからロンドンにも知己が多かった)、そのあとはジョンズ・ホプキンス大学の高等国際問題研究所(SAIS)で研究員をしていた。そのときマイク・マンスフィールドディーン・アチソンやウォルト・ロストウらのアメリカ政治を代表する日米安保派と知りあった。ビカビカのエリート秀才だったのである。
 その後、京都産業大学に招聘され、トインビー(705夜)やハーマン・カーンを日本に招いたコミュニケーターとして活躍するとともに、他方では防衛庁防衛研究所などにもかかわっていた。カーンはそのころ世界で一番の未来学者で、ランド・コーポレーションで軍事研究にも携わっていた。
 が、若泉のことは、これだけではわかるまい。彼の名は、いまでは日本の外交史に関心がある者にはよく知られているだろうように、実は佐藤栄作首相がニクソン大統領と沖縄に関する密約(いわゆる核持ち込み密約)を結んだときの同行特使だったのだ。佐藤とともにニクソンキッシンジャーなどと亙りあった唯一の日本人だ。
 しかし若泉は、このことも知る人ぞ知るところとなっただろうが、この密約が日本に核持ち込みをゆるしてしまったという行為に、その後はずっと沈黙を守りながら苦しんだ。あげくは1994年、突如として沈黙を破り、驚愕の一書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)を遺書のように書くと、八重山諸島石垣島でいったん心を鎮め、故郷の福井県鯖江で青酸カリをあおって自殺してしまったのである。


 パルバースはそういう後半生を背負うことになる若泉と、ごくごく若いころに出会ったのだ。奇縁であろう。
 本書にはそういう若泉への敬愛とともに、当時のトインビー夫人が日本のホテルでアメリカン・ブレックファーストを出しているのに呆れ、「私たちはこんなものを食べたくて日本に来たのではない。どうして日本のホテルはアメリカの真似をするのか」と怒ったことなどにもふれている。

◎日本論については、「パルバースは、そうではない。日本を単一民族と見るのも単一文化社会と見るのもまちがっているとみなす。」「そのことをパルバースは自分の目と足と舌でしっかり確かめたようだが(ぼくよりずっと日本中を旅している)、本書のなかではその体験をいかし、日本には少なくとも5つの独自文化が成り立っているとみなしている。 東北、江戸東京、大和・京都、北九州、沖縄、この5つだ。おもしろい」

「 こうしてパルバースは、日本人があまりに“insular”(内向き)になっていることを心配する。自国の文化を海外に向けて自信をもって語れないまま、産業的なグローバリズムの波にだけ乗ろうとしていることに危惧を向ける。
 このことは逆に、英語を駆使できるようになればグローバルになれると思いこんでいる日本人ビジネスマンの傾向にも色濃くあらわれている。パルバースはそのことも心配してくれる。そんなことではムリなのだ。」
「パルバースは「失われた20年」の日本がめざめるには、次のことが必要だと実感しているようだ。
ひとつ、若い世代は自分の満足感などに浸らずに他者を理解するように努めること、
ひとつ、メディア(とくにマスメディア)が日本の真の問題に目覚めること、
ひとつ、クリエイターやアーティストが社会問題を大きくとりあげること、この3つだ。これらはあらためて見直すと、まさに井上ひさし大島渚がとりくんだことだった。もうすこしさかのぼれば、坂口安吾井伏鱒二が、鶴見俊輔日高六郎が問題にしてきたことだった。」
◎長い文章の最後を松岡氏はこう締めくくります:「こうしてパルバースは本書の最後に、絞りにしぼった提言をする。日本人は“buck the system”に向かうべきなのではないか、ということを。
 この英語は「体制に刃向かう」という意味だ。“to buck”は馬が背を曲げて跳ね上がることをいう。“system”とはデファクト・スタンダードな体制のことだ。体制を蹴り上げてみる。この気力が必要なのである。儲けることばかりにうつつを抜かしていてはいけない。仮りにビジネスに徹するとしても、文化力に富む経済文化力を心掛けるべきなのだ。 
 『もしも日本がなかったら、世界はうんとつまらなくなる』のだから、日本人よ、自信をもって体制に刃向かいなさい、コンプライアンスなんかにとじこもるのはやめなさいと、ロジャー・パルバースは言うのだ。以上、まったく同感だ。」

◎全文はコチラ:「松岡正剛の千夜千冊」の「パルバース著『もし、日本という国がなかったら』」(http://1000ya.isis.ne.jp/1545.html