沖縄へ(古宇利島、フクギ並木から那覇・国際通り)

21日(土)ホテルの窓からは、北に遠く島が二つ見えます。
沖縄の北端の島、伊平屋(いへや)島と伊是名(いぜな)島です。伊平屋島は鹿児島の与論島と同緯度にあると聞きました。
今日はお昼ごろに那覇市に戻って息子のマンションに寄ることにしています。その前に、本部(もとぶ)半島の東、橋で結ばれた二つの島へ出かけることに。
8時出発で帰路とは反対方向の東へ、屋我地島へ渡るワルミ大橋と、古宇利(こうり)島へ渡る古宇利大橋です。
左はワルミ大橋、右は古宇利大橋。古宇利大橋を渡って左に折れ、島を一周20分程で回りました。
橋から見えていた白い展望台、オーシャンタワーはオープンが9時。
まだ早いので橋が真正面に見える駐車場に車を止めて写真を撮ることに。

若い女性のお二人とお互いのカメラで撮りっこすることに。
橋の両脇に広がる海の色が今までの海の色とも違って素晴らしいコバルトブルーの濃淡です。
高台から下って2つの橋をもう一度渡り直して、今度は美ら海水族館があったあたりに戻ります。
途中ドライブマップに載っているオンザビーチカフェでコーヒーをと思ったのですが、砂浜沿いのカフェはまだ開いていません。
二人で砂浜へ出てみました。夫は海水で手を洗いに行ったようですが、足元を見ると砂の中にゴロゴロと穴の開いた白いものが見えます。
これってサンゴの死骸!と足元にあるのを幾つか拾って車に戻りました。いいお土産になりました。
本部(もとぶ)半島西北先にある「備瀬のフクギ並木」を目指します。
フクギ(福木)は前日の今帰仁城跡の中にも古木がありました。下を見ると小さな白い花が沢山落ちていました。
備瀬(びせ)の福木は約2万本もあって古木の日除け暴風除けの並木(防風林)です。
迷路のような福木並木の細い道を歩いていくと民家があったり、休憩所があったり、シーサーの工房らしきお宅があったりします。
フクギのトンネルの先に海が見えるので海岸沿いに出てみましたが行き止まりで並木の方に戻ることに。うっそうとしたフクギの大木は何か動物的な生命力が感じられます。
わが家にもある観葉植物のポトスがそのフクギの高木に絡んで上っていますが、一部道路に這い出したのを触ってみました。まるで、のたうつ青大将みたいで、葉はお化けみたいな大きさです。
一休みできる場所に出てきましたので、トイレ休憩とアイスコーヒーで水分補給をすることに。
お店の方が、「あれがシークヮーサーの木」と教えてくださった木、よく見ると青い実がいっぱい!! 
スダチによく似た緑の実が本当にたくさんついています。まだ小さくてとお店の方が。
一つ取らせていただいて香りをかいでみました。いい香りがします。
さて、きりがないので歩いて車の方へ向かうことに。
芭蕉の木となんだろ?と言ったら、住民のおじさんが「ココナツ!」と。

ドライブマップに書いてある海洋博へ寄って巻き巻きのバベルの塔みたいなのを…と思いましたが見当たらず。最後に、美ら海水族館からずっと見えていた島、真ん中に岩山が突き出ていて、夫が岩登りしたくなったと言っていた島、伊江島をカメラに収めて、いよいよ、那覇市へ向かうことに。車が南に走り出したら、熱帯植物園とマキマキバベルの塔が見えてきました。
どうも美(ちゅ)ら海水族館と隣接して那覇寄りに海洋博公園というのがあってそれを見逃したようです。バベルの塔は展望台のようですが、これも次回に残すことに。
このブログを書いている途中で午後のお茶飲み友達来宅。
子どもさんが小学生の頃家族で沖縄に行ったことがあるというUさんのお話では、当時はまだ観光化されていなくて、嘉手納基地前を通ったときは迷彩服の米軍兵士が見えて怖いくらいだったそうです。バンザイクリフ摩文仁の丘)のあたりもひめゆりの塔のあたりも、死んだ人の話がまだまだリアルだったとか。タクシーに乗ったら運転手さんが戦死者の写真を乗せていて、あそこに行くべきだ、これを見るべきだと。「恨んでいたのかしら?」と私。「じゃ〜なくて、きっと戦争中沖縄は大変だったのを解ってほしかったんだと思うけれど、小さい子供にはちょっと・・・」というお話でした。そのころから30年近く経っていますので、確かに、高速道路や世界遺産にテーマパークのような平和祈念公園と随分整備され観光には便利になりました。Uさんは、それが”良いこと”なのかは分らないけどね・・・と。明らかな賃金格差を前提にした企業の進出…(息子の会社はその一例、外資に吸収され大阪廃止となり)など…と、二人で沖縄の今の話になりました。
さて、ナビの助けでほぼ予定通り息子のマンションに。ドラッグストアの駐車場へ止めるようにという指示通りに。今回の旅行の目的の一つは沖縄の息子の住んでいる”おもろまち”でしたので、息子の部屋を見て半年の沖縄での生活ぶりを聞くことができて一安心でした。早速沖縄でも音楽を通して知り合いができ、その方の手作りのそれ自体が楽器というスピーカーまで置いてあって驚きました。
玄関の下駄箱の上にも変わった楽器が置いてあって、聞いてみると英国の古い楽器で、釘のようなものが共鳴板に刺さっていて弦を弓で弾くとそれが振動して鳴り大きなラッパを通して聞こえるというケッタイな楽器でした。「三線(さんしん)は?」と聞くと、「市場でも売ってるのでちょっと買う気を失った」と。ハードな仕事を趣味でバランス取っているということかと良い方に解釈するしかありません。
今後の予定は?というので、話し合って、先に国際通りへ行って昨日ホテルの居酒屋で出された泡盛を注ぐガラス製の抱瓶(だちびん)を探すことに。近くの商業施設の中で遅目の昼食に沖縄そばを食べました。「そば」と言っても 沖縄にはソバはなくてラーメンとウドンの中間という麺に軟らかい豚肉(ラフテー)が入ったシンプルな沖縄そばを食べることに。その後タクシーで沖縄一の繁華街の国際通りへ向かう。
運転手さんに、ガラス製の酒器を探していると言うと、めぼしいお店の前まで行ってくれることに。沖縄のメインストリートを走りながら戦後の話を。「この辺り一帯焼け野原で何にもなかった。沖縄で一番早く復興したのがこの国際通りで沖縄の『奇跡』と言われた」とか。そういえば旅行の本にも、県庁までの一直線1.6キロは「奇跡の1マイル」と呼ばれたとあります。広い通りの両側にはずらりと大小さまざまなお店が並んで、修学旅行の高校生グループや外国人観光客も目立ちます。
運転手さんが教えてくれた2軒目のお店でお目当てのガラス製抱瓶を見つけました。抱瓶(だちびん)はもともと陶器製で身体に沿うよう弓なりになっています。昔、山や海で仕事をする人が水を入れて用いた水筒で、紐の通し穴があります。
探していたガラスの抱瓶は、お店の人に聞いても分らず、私が偶々展示してある中に見つけたものでラッキーでした。稲嶺盛吉という吹きガラス作家の作品で大きさも小ぶりで丁度良い具合でした。模様の「虹」の出具合が、店先に飾ってある最新作ほどきらびやかではないので初期のころの作品ではないかと思います。それが却って落ち着きがあっていい雰囲気です。ガラスなので中の酒量が見えてよいのだとか・・・夫には良いお土産になりました。
念願を果たした後は、脇道に入って昔ながらの市場の様子を見て回ることに。息子が案内してくれた処が有名な牧志公設市場だったようです。青い魚も、そしてなるほど沖縄三味線の三線(さんしん)も売られていました。(下の写真左は県庁の建物で国際通りの起点)


その後、息子と別れて、ホテルへ帰る途中にある大きな建物の県立博物館・美術館へ。