「焼き場に立つ少年」

明日は8月15日の敗戦の日です。戦争を表す写真といえば私はこの写真を思い出します。以前にブログでも取り上げた写真でした。12日の「生き生き箕面通信」さんがその写真と、写真を撮ったカメラマンがその時の少年を描写した文章を掲載されています。

おはようございます。
生き生き箕面通信2059(140813)をお届けします。


・焼き場に立つ少年


 有名な写真だから、すでに多くの方が目にされたことと思います。しかし、敗戦の日を明後日にひかえたいま、もう一度、この写真が伝えるものに思いをいたしたいと思います。

 1945年、長崎の爆心地付近の、多くの死体焼却をしていた「焼き場」で、ジョー・オダネルという報道写真家が撮影した「焼き場に立つ少年」です。


 インターネットにアップされた写真には、こんな文が添えられていました。 



 「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
 すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
 男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。 
 荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。 


 10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。 
  おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
 弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。 


  しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。  
 重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。 しかも裸足です。 


 少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。


 
 少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。


 
 この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
 


 男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。 


 まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
 


  真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。


 その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。


  少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
 


 夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました」


  (インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
 

◎引用元:http://blog.goo.ne.jp/ikiikimt/e/840282991904fa39b6cc4a3aa620cb1c