「1枚の写真」


8月16日のブログ、「なぜ解かれた?封印の『焼き場に立つ少年』」にコメントでお知らせいただいたブログをお訪ねしました。
青木新門さん、聞いたことあると思ったら「おくりびと」の原作「納棺夫日記」の方でした。おかげさまでNHKスペシャル「解かれた封印」が2008年8月7日に放送されたことも解りました。ウインザー通信さんがそのNHKの番組を見て書き起こしをされたのは昨年のことですが。
そっくりコピーさせていただきました:引用元:http://d.hatena.ne.jp/mikutyan/20090228/1235784448
Mikuさんが、5年前ご自分が取り上げたブログを教えてくださったのには、理由がありました。
この写真を見て青木新門氏は少年と同じような体験を思い出して泣いてしまい、それを知ったオダネル氏は自分の腕の中に抱きしめたということを知らせて下さったのです。オダネル氏は、「あの時、少年の肩を抱き、なにか励ましの言葉をかけたかった、しかし、できなかった」という後悔の思いを、半世紀近く経った日本の写真展の会場で青木氏を自分の胸に抱くことで氷解させることができたのです。

2009-02-28

「1枚の写真」

                               おくりびと


講演の冒頭に、青木新門さんが必ずといって良いほど「1枚の写真」のお話をされます。

ジョー・オダネル氏の写真展で出会った「少年の写真」。



「写真の少年」と、
「死んだ妹の亡骸を難民収容所の火葬場に置いてきた少年の青木新門さん」
がぴったりと重なったからでした。


納棺夫日記』の奥底に、
静かに流れるチェロの響きとなっているのではないでしょうか。



    

     少年よ
     「立派な日本男児になれ」と
     きみの父は出兵していったのか
     「弟を頼む」と
     きみの母は息をひきとったのか
     きみはけなげにその言葉を守って
     弟の遺体を背負ってここまで
     歩いてきたというのか


     少年よ
     歯を食いしばって何をみているのか
     戦争の悲惨さか
     人間の愚かさか
     それとも
     彼方の青い空なのか


     少年よ
     それにしても
     きみの直立不動の姿勢は
     痛々しすぎる
     あれから63年
     今年も蝉が鳴いている

     no more war



 2008年8月7日に放映されたNHKスペッシャル「解かれた封印」を観て私は再び涙した。
元米国大統領専属カメラマン、ジョー・オダネル氏の写真展を観たのは
十四年前であった。
あの時私は一枚の写真の前で動けなくなった。


 「この少年は弟の亡骸を背負って仮の火葬場にやって来た。
そして弟の小さな死体を背中から降ろし、火葬用の熱い灰の上に置いた。
少年は兵隊のように直立し、顎を引き締め、決して下を見ようともしなかった」
と添え書きがあった。


 私が満州終戦を迎えたのは八歳であった。
母とはぐれ、死んだ妹の亡骸を難民収容所の仮の火葬場に置いてきた自分の体験と重なり、涙が止めどなく流れた。

 そんな私に気づいたオダネル氏が理由を聞くと私を抱き締めてくださった。私は氏の胸の中でいつまでも嗚咽していた。


 氏は昨年(2007年)、くしくも長崎原爆投下の8月9日に亡くなった。
この度放映された「解かれた封印」は、氏がホワイトハウスを退職後、四十三年間も封印してきた軍の規律に違反して撮った写真が詰まるトランクを開け、原爆投下の正当性を信じる米国社会からバッシングを受けながら投下の誤りを告発してゆく記録となっている。


私には氏はアメリカの良心のように思えた。


                 「shinmonの窓」より

◎トップの写真は、今朝のベラドンナリリー(アフリカ浜木綿)、久しぶりの日光浴です。