沖縄タイムス社説(「昭和天皇実録」)と敬老会

◎先週発表された「昭和天皇実録」、私も注目していた沖縄に関する記述について地元沖縄の記事です。

昭和史の空白が埋まらない「昭和天皇実録」とは


昭和天皇、軍部専横止められず 「実録」公表、苦悩浮き彫り (沖縄タイムス9/9)
昭和天皇実録に「天皇メッセージ」沖縄訪問希望も (沖縄タイムス9/9)
・≪社説≫ [昭和天皇実録] 戦後史の理不尽を正せ (沖縄タイムス9/10)

3番目、沖縄タイムス(9/10)の社説の一部から

 昭和天皇は45年9月から51年4月までの間に、11回もマッカーサーと会見している。 詳細な中身は実録でも明らかにされていないが、「日本の防衛」「国内の治安」「対日講和の見通し」「共産主義をめぐる情勢」などが話題になったことが記されている。

 冷戦が顕在化し始めた時期に会見が集中し、治安・講和・安全保障などの問題が話題になっているのは、昭和天皇の関心のありかを端的に示している。


 昭和天皇は、1946年(昭和21)2月に横浜を訪れたのを皮切りに、戦後、8年余りの間に沖縄を除くすべての都道府県を回った。全国で唯一、沖縄への「地方巡幸」が実現できなかったのは、沖縄が米国の施政下にあったからである。

 実録からは、復帰後、沖縄訪問を希望し続けていたことが分かる。贖罪(しょくざい)意識があったのかもしれない。


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 天皇陛下は2012年12月、79歳の誕生日に合わせて記者会見し、「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労をしている面を考えていくということが大事ではないか」と述べた。昭和天皇が果たせなかったことを天皇ご夫妻が意識的に引き受けているのは明らかである。

 問題は、そのような思いが生かされないまま、冷戦期に出来上がった基地網を再編・新設し、半永久的に維持しようと日米両政府が躍起になっていることだ。

★引用元はコチラ「地元紙で識るオキナワ パート2」(http://michisan1.ti-da.net/e6735520.html)より。

◎イギリスのスコットランドの独立がどうなるか?と騒がれていますが、世界的に、地方を踏みつけにした中央という在り方が極限に達してきているのでしょうか。福島の原発事故でも同じことのようです。 「福島の不幸で原発をやめるのは、耐えがたい苦痛を将来の日本国民に与える」と1年以上も前、自民党細田博之氏(幹事長代行)は公言していました(引用元:http://31634308.at.webry.info/201409/article_13.html)。
今、耐え難い苦痛を迫られている福島の人達は犠牲にしてよいという棄民政策そのもので、沖縄と同じです。自民党の考え方は戦前の日本と変わっていません。日本も地方が中央(一部の人達)の利益のために犠牲になるような政策を取り続けるならば、スコットランドのようになるかもしれませんね。
(写真は世界遺産富岡製紙工場に行かれた方のお土産。富岡産シルク蛋白液入りの『まゆごもり』という本クズ(葛)です。形がお蚕さんのまゆの形。熱湯で解くとあの懐かしい透明な葛湯になります) (トップの写真はジンジャーの花。少し前から家の片隅で咲き始めました。今年は少し早いかもしれません。それだけ涼しいのかも。
◎昨夜9時過ぎ夫が初級の終了山行を終えて立山から帰ってきました。現役の若い方たちは仕事をしながらですので週末が山行きになります。今年はあいにくのお天気で、山小屋は例年の人出が無くてどこも大変だそうです。今回はやっとお天気に恵まれ、これでお役目終了です。自分たちも先輩のお世話になったのでご恩返しの2年間。山の会は皆さんボランティアですが、組織としてシッカリしているので、家族の者は安心して送り出せます。
さて連休のお互いの報告ですので、私の方も扇町小沢一郎講演会とデュフィ展の話をすることに。「小沢はどうっだった?」と聞かれて、ブログにも書いた通り「お話はまともだったけど、野党の選挙協力民主党が旗振りをというのでは現実味がなくて・・・」と。デユフィのニースの海岸の絵は夫もよく覚えていて、へぇ〜そのころから80年くらい変わっていないということか〜!でした。
さて、今日はドッサリの洗濯ものを片付けて、先日、注文した家具屋さんへ父のリクライニングの椅子を受け取りに行くことに。先日はついでにキッチンで必要な幅25センチの戸棚を母が買ったら、組み立て式でお持ち帰りでした。私は午後から約束の「じんじん」の試写会でしたが、夫が一人でかかりっきりで組み立てることに。試写会から帰った頃に完成でした。母が気の毒がってお茶を出したり、いろいろ気を使ったようです。今度も組み立て式なのですが、レザーの座椅子面を肘掛式の木枠に高さを調節しながらはめ込む式で、今回は簡単そうです。それでも悪いからと丁度お昼頃だったので、車の後ろの席から、「そこのお寿司屋さんに入って!」と命令です。奢るから・・・というので、夫は「時間がない」と言っていますが、寄ってもらうことに。
回転寿司の”にぎりの長次郎”に4人で入りました。いちいち選ぶのも面倒なのでランチセットを頼むことに。季節のメニューの酢の物やハマグリのお吸い物、それに、デザートのプレートには小さなチーズケーキとこれも季節の栗と小豆を合わせたものが。父も入れ歯の具合が悪くてモゴモゴしながらでしたが、ほとんど残さず平らげていました。
レモンティーを頂きながら、母が「敬老の日に、あんたたちにも福祉会からタオルが来たんでしょ」と。そうなんです。お向いの奥さんがお世話されているのですが、チャイムが鳴って出てみると、「奥さんの名前が入っていて・・・」と何やら気の毒?そうです。「そうなのよ〜、今年、70になったのよ〜」と私。かわいい柄物のタオル2枚セットのお祝いのしるしと敬老会の案内を夫の分と二人分、頂きました。
それで母が言うには、「今日は敬老のお祝いやね〜」。夫が、「そう、そう、敬老会です」「ほんとね〜敬老会だわ〜」と私も。家に帰って夫が、「老老介護に入ったな〜」と。そういうことです、我々も・・・とつくづく。(羽を痛めた蝶が舞い込んだことも。涼しくなってアンデスの乙女も満開です。)