「面子と名誉の取り違え」吉田証言と慰安婦問題


木曽の御嶽山が昨日お昼前爆発しました。秋の青空に白い噴煙がムクムク湧き上がるのを最初は驚いてみていましたが、たちまち灰色の火山灰に覆われて・・・登山者の皆さんが命からがら下山するという…何が起こるかわかりませんね。夜になって夫の実家から電話、「兄貴、行ってなかった?」「?」「山」「あ〜御嶽山。大丈夫。今日は昼間、箕面の山だったから」。心配しての電話でした。有難いことです。
◎27日の「小海キリスト教会牧師所感」さんのブログのタイトルは、「従軍慰安婦問題で世界が日本を非難している理由は、朝日新聞による吉田証言誤報ではなく、むしろ安倍首相の言説である」です。「牧師所感」さんが引用されているブログの記事は、タイトルの内容通りなのですが、とても分かり易いので、ぜひこちらを訪ねて見てください。

吉田証言など一切関係なく安倍首相や櫻井よしこ氏の慰安婦ヘイトスピーチと二枚舌が国際的に批判されている


井上伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014年9月18日 16時32分

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140918-00039211/

かなり長い記事ですが、一部を取り出してコピーしてみます:

安倍首相は自分勝手に「狭義の強制性」「強制連行」なるものを作り上げてそれを否定することで「慰安婦問題」をなかったことにしようとしていますが、「狭義の強制性」についてもオランダ人女性を強制的に慰安婦にした事実認定として、「スマラン事件」の公文書がありますし、日本の司法によってさえすでに事実認定されています。さらにいえば、「狭義の強制性」「強制連行」なるものが存在しなかったと仮定したとしても、「慰安婦」は、当時の国内法・国際法に照らしても違法でした。


安倍首相の理屈では北朝鮮拉致問題もなかったことになる


仮に安倍首相が主張するように「狭義の強制性」「強制連行」を証明する証拠の文書がなければ、世界から非難されるような問題はないとした場合、北朝鮮拉致問題も世界から非難される問題ではなくなってしまいます。

◎お終い部分に近い個所から一部をコピーです:

・・・・・・・・  きょう(9/18)の毎日新聞などにも櫻井よしこ氏らは「『慰安婦』国際中傷を跳ね返せ」という意見広告を出して、慰安婦の問題は、吉田清治氏の虚偽証言による「作り話」で、「この間、日本はどれだけ辱めを受けてきたでしょうか」などとしています。しかし、事実はまったく逆で、国際的な非難をあびているのは、安倍首相や櫻井よしこ氏らの主張である「狭義の強制性」「強制連行」否定の方です。日本が「辱めを受けてきた」のは、安倍首相や櫻井よしこ氏らの主張の方なのです。

◎全文はコチラで:http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140918-00039211/


★この記事を引用し、内容を要約して伝えておられる「小海キリスト教会牧師所感」さんは、「先日の引用の表現を用いれば、首相は形式主義的に「面子」にこだわることによって、かえって、国際社会における日本の「名誉」を貶めているのである」と結んでおられます。
この「面子と名誉の取り違え」というのも、とても今の安倍首相をはじめとする方たちの勘違いを言い当てていると思いますので、引用させていただきます。<引用元:「小海キリスト教会牧師所感」さんの9月25日「面子と名誉の取り違え」(http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20140925/p2)>

 「面子」にこだわればこだわるほど、世界からますます軽蔑されて、「名誉」を失っているというのに、まるで気づかない日本は、今、従軍慰安婦問題に関して、まさにこういうばかげた状況に陥っているのではなかろうか。山崎さんという方、すごい慧眼。

山崎 雅弘 @mas__yamazaki 13時間


実質としての「国の名誉」が日々失われていることに憂慮する日本人は少なくないが、形式としての「国の面子」にしか関心のない人には、前者の人間に見えている破壊が全く見えない。自国の失敗や瑕疵を認めて「他国、特に自分が見下している国から見下される」不安から「国の名誉」をさらに壊し続ける


政府と国民が「名誉」と「面子」を取り違え、ひたすら「面子」に固執した結果、この国は1945年8月に破滅の瀬戸際へと追いやられた本物の「愛国者」はその状況を「二度と繰り返してはならない」という点から思考を始めるが、「面子」にこだわる「偽の愛国者」は、逆にそれを繰り返そうとする


この先、政治家や新聞、政府に近い人間が「名誉」という言葉で思考や行動を誘導・制約する動きが増えていくと思うが、美麗な語句に惑わされて「名誉」と「面子」を取り違えたまま暴走すれば国が滅ぶことを、先人は自分たちの命と引き換えに教えてくれている彼ら彼女らの犠牲を無駄にしてはいけない



「名誉」でなく「面子」にこだわる人間は、交渉では「実質的勝利」でなく「形式的勝利」を求めるので名を捨てて実を取るという「譲歩」を行えない。「面子」にこだわる人間は「形式」に思考を支配されているので、名と実の違いすら認識できない。失敗するとわかっていても、他の方法を選択できない。


先の戦争における敗戦と膨大な犠牲は、政府と国民が「名誉」と「面子」を取り違えて、ひたすら「面子」に固執した結果だったと思う。国際連盟脱退も、日中戦争解決の失敗も、敗北確実な対米英蘭戦の開始も、面子に固執せず譲歩すれば避けられたが、それができずに日本軍人だけで230万人が死亡した。


「名誉」と「面子」の取り違えは、捕虜の扱いにも見られる。実質の「名誉」を重視していた日清・日露戦争の日本軍は、捕虜を不名誉とは考えず敵の捕虜にも敬意を払ったが昭和の日本軍は捕虜になれば「面子が潰れる」と考えて厳禁し、敵捕虜も虐待して、大勢の日本軍人が戦後に戦犯として処刑された