大津往復と戦争と李香蘭(クローズアップ現代)

昨年の今頃、義姉夫婦の傘寿と喜寿のお祝いと言って、義弟夫婦と3夫婦が箕面の"風の杜"で一泊しました。その一か月もしない内に、義兄が階段から落ちる事故。入院して手術、手術は成功したものの、手足が効かなくなり、リハビリ中に誤嚥性肺炎を起こし、その後リハビリは進まず、手は硬直、寝たきり状態で、話す言葉も聞き取れない状態になっていました。その義兄が火曜日、朝、亡くなったという電話。水曜日お通夜、木曜日、お葬式でした。
お通夜を済ませて、姉の家に戻ってみんなでお茶を飲んでいると、義姉が、夫と義弟宛の封筒を持ち出して、「先日、こんなもんを見つけた。悪かったけど開けて読ませてもろた。読んでみて」と封書を夫に。手紙の日付は今から22年前、還暦を迎えた時の手紙です。病気がちで仕事を転々とし我がままで義姉を幸せにしてやれなかった。私亡きあとは二人によろしく頼むという内容でした。同じときに書かれたお義姉さんの名前の入った大きな感謝状がありました。金持ちの親戚からお金がないことをなじられて、義兄は自分の方の親戚づきあいを絶っていて、親戚は義姉の一族のみだったようです。
戦前は羽振りが良くて大阪から田舎の実家に戻った際は村中の人が寄ってくるほどだったのに、戦争中満州に行って、敗戦で無一物で引き揚げてきたら、今度は、当てにされては困ると誰一人寄ってくるものは無く、小学校では、”中国人”とヒドイいじめにあった、と、去年初めてお義兄さんから聞いた話を、今度はお義姉さんが話して聞かせてくれました。
戦争被害…こういう形の戦争の影響もあったのね〜と義弟のお嫁さんと話しました。久しぶりに義姉の長女一家とも話ができました。子供たちも成人して社会人になった3人娘と料理職人を目指す高校生君の成長ぶりも見ることができました。お葬式が終わって、姉の家に一度寄ってから瀬田西で名神に。写真は京都から大阪に入る大きな坂の大山崎付近です。

ところで、21日(火曜日)のNHKクローズアップ現代は「李香蘭 激動に生きて」でした。

母の1つ年上94歳で先月亡くなられた山口淑子さんの数奇な運命の人生を振り返る番組でした。
祖国は日本、中国は母国と日中二つの国を愛した山口淑子さんの半生は、ミュージカルや何度かのドラマ化で私もテレビ視聴しました。
母や婦人雑誌を通してか、李香蘭としての山口淑子さんや、夜来香の歌や、映画「支那の夜」も何となく知っていました。20年ほど前、何かの雑誌で、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していた時期があるのを知って驚いたこともありました。「三時のあなた」もリアルタイムであったような。

今回、「クローズアップ現代」を見て初めて知ったことが、アジア女性基金との関わりでした。
支那の夜」の撮影現場を見ていた方が、その後従軍慰安婦となり、アジア助成基金の副理事を務めている山口淑子さんに映画の撮影風景を覚えているという話をしたのだそうです。同基金理事の東京大学大沼保昭名誉教授は、山口淑子さんは元慰安婦の電話相談を亡くなるまで続けていたと話します。それは、まるで”いのちの電話”みたいだったそうです。
山口さんは若い頃、日本の国策映画に出演して中国人を欺くような大きな過ちをした。その贖罪の気持ちでその後は償いの人生を生きたとも。責任を感じるとは、こういうことを言うのではと思いました。後年、海外の戦場の取材に果敢に出かけますが、自分の戦争の傷を癒すつもりで来ているのではない、同じ傷を持つ人を作らないために来ているのだと言っておられたそうです。

NHKの「李香蘭 激動を生きて」:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3568.html
日中の戦争を知らない今の若い人たちは本音でお互いの思いを話し合って本当の友情を作っていってほしいと語っています。
☆スタジオ出演の早稲田大学谷川建司客員教授は、日中の学生たちに当時の李香蘭出演の映画を授業で見せて、日中問題を話し合う授業に取り組まれています。

★<大鷹淑子副理事長に聞く「21世紀のいま、若い人々に伝えたいこと女性のためのアジア平和国民基金2014年9月15日閲覧>http://www.awf.or.jp/pdf/news_18.pdf